過去 現在 未来
鬼束ちひろさんの「月光」
僕が若い頃にリリースされた衝撃的な曲。
今、この現在の社会のほうが一層当てはまる。
問題提起のようにリリースされた曲の想いが届かず、さらに腐敗した世界。
私は今、政治の世界に挑戦しようとしています。
その原点は?
若い頃思い抱いていた矛盾。
そういうものを受け入れられずにもがき苦しんだ若い日々。
私単体としては色んな暖かい人のおかげで自分を保ち、今まで生きてこられた。
しかし、今の若者は?
より一層混沌とした世の中に放り出された子供たちの未来は?
若者の世界を知らないもの、関わりのないもの、自分らとは関係の無いものと捉えるのならこんなオッサンの想いなどいらない。
けど、僕のまわりで屈託なく笑う子供たちの未来は、果たして自信を持って譲れるものなのか?
決してそうではない。
子供のためとか若者のためとか、よく聞く言葉だが、それは全部我々大人からみた目線。
本当に子供の、若者の目線に降りて、一緒に感じて想うことなら我々の街はこうはならないはず。
どの立場の人間も、真剣に人を想い行動しているのは事実。
私はそこは否定しない。
しかし、そこには結果が伴わないといけない。
自分の理想のため人を振り回すことを行為ととらえるその傲慢さが、新しい独りよがりを生み出す。
政治が独り歩きしているのは実は単純なのです。
そして、伝える側、私はそこの位置になろうとしているのですが、届かないような想いではなんの意味もなく、私のそれもまた独りよがりとなるのです。
だから、私は、どんな立場になろうと、井上ツトムを辞めません。
今、こう思い、こう書き綴ることが生きる意味だと本気でおもっています。
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