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ツトムクルーズ×井上務
ツトムクルーズとして活動を始めて6か月!
おかげさまで忙しくさせていただきます。
ツトムクルーズとして意識して活動していく理由として
個人、法人としての井上務、そしてyoutuberとしてのツトムクルーズ。
この二つを紐づけることがテーマとして現在に至ります。
そして今、OSSAN REVOLUTION という曲で歌い手としてデビューしたりする中
ありがたいことに冒頭での書き出しのように充実した毎日を送っています。
その忙しい毎日の中で、時間の限りを仕事やyoutube活動に当て
ひたすら走り続ける中でどうしても埋められないところがありました。
それがいったい何なのか?わからないまま時は流れて
茫洋と忙しい毎日の中で、なにかモヤモヤは晴れない日々。
先日、なんてことのない夜、事務作業の合間、久しぶりにBGMとしてでなく
自らチョイスして音楽を聴いた。
amazarashi や MOROHA や GADORO
僕は言葉という魂の形があいかわらず好きで、やはりそこに居心地の良さを感じる。
こういった音楽が地上波のような華々しい場所で拡散されることは少ない。
ネット社会になり言葉が暴力として当たり前のようにとらえられるようになり、その副作用でメディアからはいろんな言葉が消えた。
確かにヘイトや嫌がらせ、人を蔑むような言葉
誹謗中傷。 そういった類を廃絶しようとする手段として言葉を制限するのは致し方ないのかもしれない。
しかし、人間の本当は歯に衣着せぬような言葉の中に
心の底から湧き出てくる
怒りや憎しみ、尊み、悲しみ、喜び。
感情の形として出てくる言葉にこそ良くも悪くも力がある。
しかしリスクを恐れるが故、あまりにも言葉を選びすぎてしまっているように思える。
それを良いことだと考える人が多いから、世の中にこういう風潮が流れたのか?
いや、そうではない、そういうものを正義としないと自分が蔑まれる恐れがあるからその言葉を飲み込んだり、陰でこっそり近しいもの同士
人に揶揄されない場所で隠れキリシタンのようにしか本音の言えない現状。
独裁政権を恐れてなんかではない、自分と同じような、目に見えない一般人に恐れて言葉をつぐむ昨今が現実。
人々の心から 本音 などというものが消えたわけじゃない。
実際思っていることと全く違う言葉を使い分けているのがこのネット社会。
言いたいことを言えない世の中でいいのだろうか?
もちろん言いたいことを言いたいから人を気遣わないで良いなどということではない。
本音と本音というのはぶつかり合うから意味があるのであって
ぶつからずに見えないところで同じような価値観の人間の中だけで語られることに意味はない。
世の中とは残念ながら生きにくいもので、だからと言って生きにくいからこそ本音で叫ぶ言葉というものが必要なのではなかろうか?
それをナンセンスだという人が多数なのかもしれない。
けど、人が本音を失ったなら、未来へ向かうことに何の意味があるのか?
若い時毎日何かに不満があるようなあの感情。
大人になったから消えたのではない、それはいつの日かにあきらめたり
封じ込めたり隠したりしたりするのがうまくなっただけだと思う。
熱くなるなと言われる世の中の常で、それでも心は熱く燃えていたい。
意味のある、良くも悪くも人につき刺さる生きた言葉を発していくべきだ。
と、僕は思う次第で。
なので、このnoteを始めることは自分にとっての自己満足以上でも以下でもなく
僕が僕の言葉を本音で発する場所
を欲していたことに気づいたから、ただこの一点です。
戦略や行動に立場上どうしても意味を持たさないといけない状態の私
井上 務が、自分の思うがままを書き綴る
意味があって意味のない、価値があって価値のない。
しかし絶対に必要な場所だと思っています。
その時のその感情を忘れたくない。
昨日の自分を忘れたくない。
本当の自分を失いたくない。
人が永遠のテーマとしがちな、あえて途中で蓋をする場所を
あえて作り出して自分自身をここで表現しようと思っております。