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“劇団鹿殺し”は永遠の愛を追い求める気高き狩人。真田佑馬(7ORDER)&梅津瑞樹らを招いた音楽劇『キルミーアゲイン'21』が傑作な理由。

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“劇団鹿殺し”の活動20周年の記念作品として上演される『キルミーアゲイン'21』。本作は、2016年に活動15周年記念公演として上演された同作を大幅にリライトした音楽劇。ダム建設の問題に揺れる人魚伝説が根づく村を舞台にした物語だ。作を丸尾丸一郎、演出を菜月チョビという劇団鉄壁の布陣に、音楽劇には欠かせない音楽をシンガーソングライターのタテタカコが担当。出演者には、劇団メンバーのほか、真田佑馬(7ORDER)、梅津瑞樹、花組芝居の谷山知宏、動物電気の小林けんいち等、実力派のメンバーを揃えたカンパニー。
その舞台を観劇することができたのでレポートしよう。


文 / 竹下力

すべてが愛おしい舞台

すべてが愛おしい舞台。芝居、音楽、歌、小道具、舞台美術、ギャグやパロディーなど、演劇に必要なあらゆる要素に恋をしてしまう瞬間に満ちていて、生きることの不条理を生への愉悦に変えてくれるマジカルな体験を約束してくれる。まさに演劇マジックが至るところで炸裂する傑作。俳優たちは、天真爛漫な子供のように歌って踊ったかと思えば、自分が無敵の存在であるように傲慢不遜にパンクに振る舞う。“劇団鹿殺し”が20年の活動で培ってきた、演劇への愛を100%のパワーで観客にぶつけて、世界を蹴飛ばす勢いで我々の心を鷲掴みにする。観客は本作から溢れる愛おしさを、心の中で“愛”に変換し、ロールさせ続ければ完璧な気分になれる。最高にロマンティックで、ハードで、悲しくて、それでいて喜びが散りばめられたロックンロールな奇跡のショーだ。

本作を観れば、結成20周年を経ても、いささか“劇団鹿殺し”の魅力が衰えていないことがわかるだろう。彼らは何年経ようとも、“無償の愛”を伝える伝道師、“人間そのもの”を見つめる科学者であり続けた。しかし、彼らは清廉な理想主義者でなければ、弱きを助け、強きをくじく正義の味方でもない。人間の弱さを認めようとしない、世界にのさばる“分からず屋”にムカつくだけだ。彼らは常に強者へのカウンターであり続けている。クイーンに代表されるロックの思想をまとい、つかこうへいの何者にも屈しない姿勢を糧に、自由な存在でいることにこそ彼らの矜持がある。

あらゆるストラグルをくぐり抜けたその先に見える仄かな優しさを体感させてくれる

舞台は、ダム建設を間近にひかえ、さまざまな思惑に揺れる山間の小さな村。そこに東京で演劇活動をしている劇作家の藪中 健(真田佑馬“7ORDER”)が戻ってくる。彼を村に呼び戻したのは、同級生の河本 大(丸尾丸一郎)。ふたりは大衆演劇を上演する古い劇場「たにし座」で再会する。河本は、村に伝わる人魚伝説を元に、ダムの建設反対のメッセージを込めた芝居を作ろうと提案する。すると、そこへかつての演劇仲間で今は村の不動産会社の社員として村人たちを退去させようとする大蔵 聡(小林けんいち“動物電気”)がいちゃもんをつけ、東京で藪中と共に同じ劇団に所属する山根亮太(梅津瑞樹)や「劇団たにし」の2代目座長の市川たにし(谷山知宏“花組芝居”)が入り乱れる。しかし、彼らはこの村で17年前に起きた悪夢を引きずりながら傷を背負って生きている。そこに、かつての悲劇の生き残りの及川やまめ(菜月チョビ)が藪中の前に現れて……。

舞台は、現代、17年前の過去、そして藪中たちが作る劇中劇と、3重の構造になっているが、それらはリズミカルにテンポ良く展開されるので難しさはなく、話の面白さもあってグイグイ引き込まれるので爽快感が漂う。観客は感情の流れるままに物語を追い続ければ、そこにある喜劇や悲劇、柔らかく差し込む他者への温かみと人間に通底する悲しみを感じることができる。あらゆるストラグルをくぐり抜けたその先に見える仄かな優しさを体感させてくれる。それでいて、どんなにハチャメチャをしても誰からも許される愛くるしさと極彩色のポップさを兼ね備えている。
ここに脚本の丸尾丸一郎と演出の菜月チョビのタッグでしか成立しない“劇団鹿殺し”ならではの作劇術が垣間見える。一見してカオスでナンセンス、スピーディーな展開を見せるが、決してブレることなく、濃厚な人間ドラマを成立させてしまう手腕が、今でも多くの人に愛されている理由だろう。

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丸尾丸一郎と菜月チョビには、共闘するに相応しい心の共鳴がある

彼らの作品の屋台骨を担っているひとりが、脚本の丸尾丸一郎だ。彼がどんなに無茶な物語を描いても、舞台に道理が生まれるのは菜月チョビの演出が大きいけれど、彼は生まれついての“私戯曲”を書くひとりだと思う。彼自身の人生の体験が集約された脚本には、人間の営む生活の生々しさが横溢してリアルであり続ける。彼の人生で感じた悲しみ、痛み、喜び、すべてが等価になって観客の生の歩みと結びつく。「人は傷ついてもなぜ懲りずに生き続けるのか?」という人間の根源的な問いを感じさせてくれる。今作では、おそらく自身の演劇体験……劇団を作り、さまざまな困難にぶち当たりながら、みんなで壁を乗り越えていく様子が描かれているといってもいいだろう。いってしまえば現在の演劇人・丸尾丸一郎の等身大の姿が作品になっているのだ。演劇に携わる人間であれば共感を、そうでない我々には人間の感情の揺れ動きを繊細に感じさせてくれる。現代の演劇界を代表する稀有な作家のひとりだと思う。

菜月チョビの演出は、キッチュなガジェットと無茶振りの応酬を巧みに使い分け、可愛らしくも憎らしく、それでいて愛さずにはいられない、魅惑的な舞台にしてしまう。彼女も自身の人生の体験の蓄積が演出に活かされていると思う。もちろん、どの演出家もそうだけれど、彼女の場合は可能な限りギリギリまで自分の人生を切り取りながら作品にパッケージできる才能が感じられる。
だからこそ、ふたりがタッグを組めば、きわめて個人的な経験さえも観客が作品に共感してしまうレベルにまで到達させることができる。ふたりには共闘するに相応しい心の共鳴があるからだろう。そうして、丸尾が土台を作り、菜月が建物を建てる。今作でも、菜月のシルク・ドゥ・ソレイユを感じさせるような幻想的でエンタメ感の強い演出は、日本的な情緒と相まって、唯一無二のカラフルで静謐なフォルムを獲得している。どんなにドロドロなドラマでも、そこにはピンと張り詰めた清々しい空気がある。

見どころ満載の俳優たちの芝居

俳優陣の芝居は、劇団員を含めて、劇団や観客を愛している想いがひしひしと伝わってくる。誰もが自由であり、同時に、劇団のために呼吸をしている。客演陣もそれに応えた芝居で見どころ満載だ。

大蔵 聡役の小林けんいちは、ツッコミ役に徹して、ひとつ一つのボケをテンポよく回収する手腕に圧倒される。小ボケから大ボケまで、目まぐるしく劇中に飛んでいるけれど、笑いが置き去りになってしまわないように、ボケをくまなく拾っては投げ返す。千本ノックを受けるかのように大変そうな芝居なのに、そんなことはものともせず演じ切った彼の奮闘ぶりはかっこいいの一言。

市川たにし役の谷山知宏は、土着性の強い芝居なのに、観ているだけで思わず笑ってしまう。それは、大衆演劇のイメージの最大公約数をきちんと理解して演じているからだ。ケレン味をしっかり効かせて、誰もが理解できるパロディーにして味わいのある演技をしていて見事だった。

山根亮太役の梅津瑞樹は、藪中に憧れて演劇の道を志したものの、彼の頼りなさに振り回されて絶望し、なんとかその失地を回復しようとシリアスに試みるのだが、その仕草が笑わずにはいられないという絶妙な芝居を見せる。それは、彼が常に見栄を切るキャラクターで、カッコよく収まろうとするのに、どんなに頑張ってもそれができない不恰好さを台詞回しや所作できちんとこなしていたからだろう。彼が劇中劇で演じる人魚の格好をしたコスプレの芝居やダンスも違和感なく世界に溶け込んで、彼を追いかけていれば自然と舞台の世界観に感情移入できる。本当に役にハマっていたし、芝居だけでなく、スッとした細身で鋭角な美しい顔立ちが、今作のように登場人物が多い舞台でも“ダルさ”を感じさせない緊張感のある作品にまとめてくれる。芝居の絶対値の大きさとクレバーさに驚かされる。才能あふれる頼もしい俳優だ。

藪中 健役の真田佑馬の人間の“業”を煮詰めたような存在感のある芝居は圧倒的だった。自分の弱さを目の当たりにし、苦悩に満ちて葛藤し、出口を見出そうともがいている姿には思わず自己投影をしてしまう。彼は人間そのものを演じているからだろう。他の誰でもない“あなた”になっている。演劇には、神様のように誰かの願望や失望をすべて引き受ける役がひとりはいると思うけれど、彼は一心不乱に観客の感情を受け止めていた。彼はお話を回す役でもあるが、カオスがカオスのまま着地しないように気を遣いながら、ギャグも、歌も、楽器の演奏も、踊りも華麗にこなし、舞台の進行のハンドリング役にもなっていた。ため息が出るほど素晴らしかった。

及川やまめ役の菜月チョビは、存在と非存在の間で揺れ動いている、とても難しい役どころなのに、自然と舞台の風景に溶け込み、スムーズに演じていた。どこで何ができるのか、何をしたらいいのかをわかっている理知的な芝居。それでもやっぱり、この人は歌っているだけで耳を傾けてしまう歌唱が魅力だ。彼らは路上ライブも平気でやってしまうバイタリティのある劇団だけれど、彼女はきっと、どこで歌っても、人魚のように誰かを吸い寄せてしまう魅惑的な声の持ち主だと思う。タテタカコの作詞・作曲の歌では、ソロで歌うことが多いけれど、タテタカコの人間の実存への疑念と、相反するように、存在すること自体の喜びを歌詞にしたダイナミックで繊細な曲を、きちんと歌っていて今作の見どころになっていた。それにしてもこの人はマイク姿が凛として似合う。

河本 大役の丸尾丸一郎は、どの舞台でもそうだけれど、彼が役を演じると、主役だろうと脇役だろうと、周りを巻き込み、誰もが個性を持った、大切な役になってしまう徳の高い芝居になる。野放図とカオスが“劇団鹿殺し”のシグネチャーだとすれば、それを最大限に発揮させながら秩序をもたらす俳優だ。平等主義が貫く芝居からは、本当に舞台が好きだと感じさせてくれる。だからきっと、ここまで芝居を続けてこられるのだ。実直な芝居愛の塊で、観客は心の底から信頼できるし、これからも、観続けたいと思わせてくれる。今作でもその徳の高さと平等主義が完徹している芝居を十分に堪能できる。

誰にでも知ってもらいたいささやかな愛

“劇団鹿殺し”が20年かけて表現し続けたのは、突き詰めていけば“愛”だと思う。それは宗教的な宇宙レベルの“愛”ではなくて、あなたの心にひっそりと隠れた“誰にでも知ってもらいたいささやかな愛”だ。それはあなたと私の絶対的な距離のお話でもある。その距離が近づき、あなたと私の秘蹟がひとつに結ばれた時、誰もが自由で平等でいられる理想郷が生まれる。今作のような人間味あふれる作品は、普通に生きることが難しい時代にあって、どんな人でも心に少しの優しさがあれば繋がりあい、困難を必ず乗り切れることを教えてくれる。

“キルミーアゲイン”というタイトルは、死してもなお蘇ることができるフィクションの無限の可能性を感じさせる演劇の原点を表しているかもしれない。でも、それ以上に、人間は何があろうと生き続けようとする決意を持った動物であることを無条件に肯定する彼らなりのラディカルな宣言だと思う。今作では、その言霊が劇場に響き渡り、コールアンドレスポンスのように、万雷の拍手がカーテンコールで鳴っていた。それこそが本作が傑作たるゆえんではないだろうか。今後の活動にも目が離せない。

東京公演は、9月30日(木)から10月10日(日)まで紀伊國屋ホールにて上演。大阪公演は、10月15日(金)から10月17日(日)まで大阪IMPホールにて上演される。また、9日(土)、10日(日)の公演は「Streaming+」で配信され、アーカイブは1週間残る。公演を見逃した人は配信で楽しむことができる。さらに今作のDVD化も決定している。詳細はオフィシャルサイトをチェックしよう。

劇団鹿殺し活動20周年記念公演
『キルミーアゲイン’21』

東京公演:2021年9月30日(木)~10月10日(日)紀伊國屋ホール
大阪公演:2021年10月15日(金)~10月17日(日)大阪IMPホール

<ライブ配信>
配信公演:2021年10月9日(土)13:00公演/18:00公演
アーカイブ配信期間:2021年10月15日(金)23:59まで
配信公演:2021年10月10日(日)13:00公演
アーカイブ配信期間:2021年10月16日(土)23:59まで
配信チケット購入先はこちらから

【STORY】
人魚伝説が残る、山間の渓流にほど近い村。
ダム建設の是非に揺れる村に、東京から一人の男が帰ってきた。
村がダムに沈むのを止めるべく、起死回生のお芝居を作ろうと集まる人々には抱えてきた過去があり……。
想いを込めるほどに何故か生まれる。

作:丸尾丸一郎
演出:菜月チョビ
音楽:タテタカコ

出演:
丸尾丸一郎 菜月チョビ 鷺沼恵美子
浅野康之 メガマスミ 長瀬絹也
内藤ぶり 藤綾近 前川ゆう
真田佑馬 梅津瑞樹
小林けんいち(動物電気) 谷山知宏(花組芝居)
阿部葵 今村花 笠井唯斗 ばんこく 松本彩音 若月海里 古澤芽衣 アイザワアイ 松永治樹 田中優真 高橋戦車

オフィシャルサイト
オフィシャルTwitter(@shika564)

キルミーアゲイン21チラシ表


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