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第三回 前編『あしたから出版社』/島田潤一郎(晶文社)

 思い立つことが全ての始まりではないでしょうか。
 というのはこの本がまさにそのことを書いているような気がするのです。まだ読んでいないのでそんな気がするだけです。
 ところで、「思い立ったが吉日」と言いますが、なぜ吉日なのか。大安の方が良いのではないか、など関係のないことを書いている場合ではありませんでした。この書評記事は、第一回でもお伝えしましたが、読む前に書く前編と読んだ後に書く後編とにわかれています。今回取り上げる本は、夏葉社という「ひとり出版社」を立ち上げた方(作者)がその経緯などを書いた本のようです。
 「ひとり出版社」というのは最近よく聞かれるようになりましたが、文字どおり大きな組織ではない主に個人が出版元となり、企画立案編集等する小規模出版社の事です。おそらくこの本の作者が今言われているひとり出版社の草分け的な存在ではなかったかと思います。
 わたしがなぜこの本を買い、そして積読事になってしまったのか。それは自分もまた「ひとり出版社」をやろうと思い立ち、その為の資料として手にしたのがその購入の理由なのですが、しかしパラパラとページをめくると、なんだか作者自身の社会での生きづらさの話からはじまり、出版社のやり方を単純に知りたかっただけのわたしは、それこそがこの本のおそらく魅力でもあるにもかかわらず、読むのをやめて積読の山に紛れさせてしまったのでした。
 このたび発掘となりましたのは、自分も最近ひどく生きづらさを感じてしまったからかも知れません。
 それはうつ病になったからでした。そして死にかけてしまいました。
 いや、死にかけたからうつ病になっていると気付いたのかもしれません。
 ある日、ブラック企業で酷使した身体と頭は色々あってもう限界で、その夜気付いたら会社のビルの屋上に佇んでおりました。これは死ぬなあ、と朦朧とした頭で直感し、おそってくる希死念慮から正気に戻るためにあるところへ電話をかけた事によって我に返りました。電話先は留守でしたが、一定のリズムで流れる呼出しのコール音で覚醒し戻って来られたのでした。
 そんなわけで、わたしは立派なうつ病になりました。
 で、死ぬのを思い立ったり、思い止まったりして、会社を辞めることを思い立ち、退職しました。
まさに行為は思い立つ事によってなされるのだなあと実感した次第です。なされることは、意志の力によって全てなされているのに違いありません。
 そういうわけで、生きづらいわたしは、今こそこの本を読む時ではないのかと思い立ち、積読解禁を思い立った次第です。

 ちなみに、わたし自身の「ひとり出版社」については、実は思い立った時に出版社名もイギリスの国際ISBN期間に登録しており、一般流通される書籍の裏面にあるISBN番号も取得し書籍JANコードというものも登録済みなのですが、今は先ほど書きました体調の関係で妻に譲渡して活動する前から休止状態が続いている体たらくです。「マヌケ出版社」というふざけた名前ですが、その話はまたの機会にさせて頂ければ幸いです。
 それでは、『あしたから出版社』、読み進めてまいりたいと思います。
 今回用いますのは晶文社から出版の単行本ですが、最近ちくま文庫で文庫化され再版がかかっておりますので、よろしければご一緒にいかがでしょうか。

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