
自らを愚かであると思える人こそ賢者である(『ダンマパダ』63偈)
どなたであったか、ノーベル賞を受賞された方が、会見で、「学べば学ぶほど、知らないことが増える」とおっしゃっていました。「なるほどな」と漠然と納得した記憶があります。こういう学問研究の奥深さと重なる部分もありますが、仏教ではもう少し違う次元を言っているように思います。
本願寺第8代・蓮如上人のお言葉に、「ご法義をよく心得ていると思っているものは、実は何も心得ていないのである」とあります。小賢しく「わかったつもり」は危ういということです。また昔の人は、「聞きぶり狐にだまされて、臨終迫れば尾が見える」と注意を促してくれました。聴聞を重ね「わかったつもり」になっていても、いざ臨終になった時に、ニセモノの信心だったと「尾が見える」ようでは遅いですよ、と「勘違い」をいましめています。
上人のお言葉は、「何も心得ていないと思っているものは、よく心得ているのである」と続きます。
阿弥陀さまの智慧の光に照らされてこそ、自分の影、つまり愚かさに気付きます。そして光が強いほど、影も濃いものです。自らを愚者と思える人こそ、本当の賢者なのですね。
(本願寺新報2022年10月1日掲載)