私たちの始まり
5月の晴れ渡った週末、次男が「まだ軽井沢に行ったことがないから一度行ってみたいんだけど。」と言ってきた。軽井沢と聞いて、こりゃ1日かかるから行けるかどうかわからないよと答えたらそんなに遠くないとパソコンのルート検索を開いて見せてきた。他の兄弟も行きたいと言い出し急遽行くことになった。いつもの我が家流だ。
何処に行きたいという目的ではなくただ街並みを見たいという。実際、運転したら1時間半くらいでお昼には軽井沢に着いた。食事を何処でしようかと迷っていたが事前に調べてもいなかったので、知らないところに入るのは不安なのでコンビニのお弁当を買って公園を探した。偶然見つけたところでゆっくりと気持ち良くピクニック気分で頂いた。その後をどうしようかと子どもたちと話し合ったが、「それといった案がなくて、もしここから近いのならお母さんが結婚式を挙げた教会が軽井沢にあるんだけど行ってみる?」と 何も考えていなかったが口からその言葉が出てきた。娘がナビで見た。「ここから車で6分で着くらしい。」と言ったので急に約37年ぶりに初めて訪れることになった。婚姻届を出した役場を通り過ぎ道なりに進んで行ったら、大観光地化された結婚式場があった。入り口でどのようなご用件でしょうかと聞かれたので、「実はここで結婚式を挙げたんですよ」と伝えたらお帰りなさいませと言われてしまいびっくり。
軽井沢高原教会
教会は37年前と全く変わらず今でも結婚式が日々行われており、まさに結婚式の最中であった。教会の隣に牧師館があり その中を見ていたら私たちと同じ頃に結婚式を挙げた人達の写真もたくさん飾られていた。
「そうか、ここから我が家は始まったんだな。」という気持ちになった。
家に帰ってから、結婚式の時の写真を改めて見た。そしたらその時、主人が結婚式の後教会宛に出した手紙が教会の新聞になっていてそのコピーが挟まれていた。私は全く知らなかった。まだまだ未熟なカップルでわがままを通した結婚式だということがその文章からもよく読み取れる。いまだと親の気持ちも分かるようになってきたが、その時は全く自分たちのことしか考えていないという二人だった。しかしこういう考えのふたりだったので世間とは違っていても気にしなかったんだなと思った。
Newsletterー教会に紹介された主人の手紙
(略)軽井沢この言葉の響きはなんとロマンチックなことでしょう。日本色の義理で固められた虚偽極まりない結婚の儀式に辟易していた私達は軽井沢の教会、二人だけで式ができると聞きすぐさま飛びつき周囲の批判もなんのその。さっと済ませてしまいました。普通結婚式といえば半年も1年も前から式場を探し、やれ仲人を誰にするかとかお客は何人で招待状は何枚など煩わしい準備が必要なものです。我々はその全部を省略し3ヶ月ほど前に電話予約。両親の許可を取り二人だけであげることを決めましたが、 諸般の事情からどうしても兄弟、両親の参列を加えざるを得なくなりその様になりました。それでも当日は友人らが押しかけ感激しました。(略)
その頃名古屋に住んでいた私たちにとってまさか37年後はこんな近くに住むことになろうとは思ってもいなかった。そして我が家の歴史がスタートする。