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緑を欲する私達

食欲、睡眠欲、性欲…人の欲求は色々あれど、植物を求める欲もあるんじゃないかと思う。
キャンプや山登りなどを好きな人が多くいたり、植物にはヒーリング効果があると言われるように、どんなに文明が発達しようがサイバーな世界になろうが、人間も所詮は動物なので、自然などの原始的なものに触れたいと思うのだろう。
また、環境問題や景観保全のためにも、緑を取り入れるというアクションは推進されてきた。

壁面緑化とは「緑を飼うこと」

壁面緑化は私たちの生活において多くのメリット持つ。
日差しから建物を守る、住宅環境を良くする、ヒートアイランド現象の軽減や環境問題の解決など、人間の生活に多くの利益をもたらしてくれる。
それにより近年壁面緑化は積極的に進められてきた。
地域によっては緑化することで助成金が支給されるケースもある。
しかし、壁面緑化によく用いられる蔦はどんな環境でも生きることができて、繁殖力も強いので、ちゃんと管理しないと人間の生活に支障をきたす。
例えば、伸びすぎて隣の家まで侵攻する、壁にツルが張り付いて跡が残る、虫がたかるなどだ。

ただ生やしておけば綺麗に壁面緑化ができるわけではない。
自らどんどん伸びていく蔦は、野放しにすれば手に負えなくなる。
つまり、壁面緑化で蔦を育てることは「緑を飼い慣らすこと」と言っていいだろう。

倉敷アイビースクエアは蔦と人間の力関係が対等で、蔦が装飾としてちゃんと活化されている

モドキがちょうどいい?

そんな世話の焼ける蔦だが、お手入れ要らずで簡単に生やすことができる。
偽物の蔦を使うことだ。
最近はホームセンターなどに行くと、再現度の高い本物ようなフェイクの蔦が売っている。
蔦まみれ建築を探していると、フェイクの蔦を部分的に装飾として使っているものをよく見つける。
私はそれらを「モドキ型」として収集している。
そして、私はこのモドキ型が結構好きだ。
「緑は生やしたいけど世話するのは面倒」という人間の合理的な欲望みたいなものを感じられて好きなのだ。
また、劣化によってイエローのインクが褪せて青っぽくなる葉を見ると、「自然に人工物は勝てないんだなぁ」と本物になりきれない偽物の蔦が愛おしく感じる。

青緑の蔦はニセモノ。やはり天然の蔦にはなりきれない

本物か偽物かに関わらず、緑を置く手段がいくつかあるのを見ると、そこには需要があり、植物に対する欲というのが人間には備わっているのだと思う。
蔦まみれ建築も見つけた時にその欲を満たしてくれているのかもしれない。

P.S.この間電車に乗っていたら、大学生くらいの青年が「こんな都会じゃなくて、山とか自然いっぱいなとこで暮らしたい」と言っていて、なんでも揃ってる都会の方が便利だとしても、やはり人はどこかで自然を求めているのだろうなと思いました。