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ただの廃墟ではない蔦まみれ建築

 旧下谷小学校(見出しの写真)が取り壊されちゃうの残念ですね…。ここも素敵な蔦まみれ建築でした。まだらに蔦が這ってる感じが好きでした。

 さて、蔦まみれ建築と廃墟はとても関わりが深いです。廃墟=蔦が這っているイメージがありますよね。実際、よく廃墟として捉えられることが多いです。しかし、ただ蔦まみれ建築を廃墟の一種にするだけではもったいないと思うのです。

 もちろん蔦まみれ建築には、廃墟のような退廃的な魅力もあります。しかし、色々見ていくとユニークさや可愛さ、狂気なども持ち合わせていることがわかります。さらに、きちんと管理されたものは時にクリーンな印象も与えます。境界線を超えると印象が真逆になる二面性も蔦まみれ建築の面白さです。ここが廃墟との大きな違いだと思います。
 そして蔦まみれ建築は廃墟だけではなく、今も使われている建築物がそうなっているものも多く見られます。蔦まみれであることに社会的な価値はないので、その這ってる建物に役割や価値がないと基本的には壊されてしまいます。環境美化目的で意図的に壁面緑化にしている建物もありますが、おそらくそれも建物がメインで、壁面緑化はおまけだと思います。廃墟が放置されてそれが蔦まみれになってるものもありますが、残してくれる人がいないと残れないのが蔦まみれ建築だと思います。蔦まみれになるためには、長い期間這っていられる建物が必要ですから。

以上、蔦まみれ建築は廃墟として楽しむのも良し!でもそれだけじゃないよ!という記事でした。私自身も蔦まみれ建築と出会ったのは、廃墟的な美しさに惹かれたのがきっかけでした。そこから、「蔦まみれ建築が持っているのは退廃的な美しさだけじゃない」と気付き、のめり込んでいった感じです。

 いっぱい書きましたけど、廃墟と共通する部分はもちろんあって、「廃墟とは違うのか」ということに納得できる結論がまだ出せていないです。だから研究しつつ、今後も考えていきたいなぁと思います。