しずく、モノクロームは、桜坂しずくが「嫌いな自分」を受け入れる物語である
こんにちは、つついったー。です
今週はしずくちゃんの誕生日でしたね。めでたい!おめでとうございます。
ということで(?)本記事では1期8話「しずく、モノクローム」について語りたいと思います。
…この話、本当に好きなんですよね。
というのも、私がニジガクにハマったきっかけがしずく、モノクロームなんです。
自分の嫌な部分に向き合えず座りこんでしまうしずくちゃんの姿に、めちゃめちゃ惹かれたことを覚えています。
私も自分のことが嫌になってしまう経験があるので、自然と魅入りました。
そしてラストステージの、白と黒が真っ二つに分かれたデザインのドレス…好きです。
本記事のトピックは①しずくの抱く悩み②しずくの出した答えの2つです。
それでは、どうぞ!
①しずくの抱く悩み
彼女の悩む様子は劇中にて、黒い衣装を着たしずくと、白い衣装を着たしずくの対話として、舞台女優らしく表現されています。
本トピックでは前者を黒しずく、後者を白しずくとして、それぞれがどういった存在であるかを述べながら、
彼女の悩みの中身について語れたらなと思います。
・私と私~黒しずく~
黒しずくは、自分の嫌な部分の象徴として描かれていますね。
劇中でしずくは璃奈に「演じているときは、自分が桜坂しずくであることを忘れられる」と言います。
自分が自分であることを忘れたくなるくらい、彼女の中の自分の嫌な部分
(=黒しずく)とは何でしょうか。
私はこれについて一言で言うと「他人と自分の違いに敏感であるが故に、自分の素直な気持ちをどう出せばいいかわからないところ」だと思っています。
またそれに伴い彼女は、素直な自分、つまり演じていないときの自分を触れられることに対して、人一倍臆病であると考えています。
前置きとしてしずくの過去を見てみましょう。彼女は昔の映画や小説が好きという、周りに同じような価値観を持つ人がいない子でした。
そのため幼いころ、周りに自分が好きなものの話をしても「変なの。」と一蹴される日々を送っています。
私が思うに、幼少期の経験はたとえ些細なことであっても、強烈に個人の価値観に影響を及ぼします。
(実体験として、中学の頃に褒められた言葉が今でもどこか心の支えになっていたり、逆に小学生のとき友達のいなかった経験が、大学二年時の私を人間不信にさせていたり…)
そして私は、好きなものを否定されると、された側は自分自身を否定された感覚になると思うんです。
しずくは幼いころ自分の「大好き」を直接的ではないにせよ、否定されています。この経験で、彼女は大きく傷ついたんだと思います。
「自分は人とは違うし、それは良くないことだ」という強い価値観が生まれてしまうのも仕方ないと思います。
そして彼女は人と違うことに敏感になった故に、自分の素直な気持ちを隠すようになりました。
私はこの自分の気持ちを隠す癖は、彼女にとって劣等感となっていると考えます。
理由は、1期4話のかすみんによる「スクールアイドル害概論」にあります。
彼女はここで「スクールアイドルに必要なものは?」という問いをしずくにし、彼女はそれに対し「自分の気持ちを表現すること」と返します。
私は、ここでの回答=自分が負い目に感じていることと考えています。(補足として、ここで璃奈は「ファンと気持ちをつなげること」、愛さんは「わからない」と回答しています)
しずくにとって、自分の気持ちの表現が難しいことは負い目であり、嫌な部分なのです。
そして先ほど述べた通り、彼女は素の自分を触れられることに対して臆病です。
私がそう思うようになったシーンは、しずくが、自身が主役を降ろされたことをかすみんが知っていたことに気づくところです。
「主役取り返そー!」と元気に励ますかすみんに対して「知ってたんだ…」と呟くしずく。このセリフの言い方、ちょっと煩わしそうに聞こえるんですよね。
素の自分を触れられることが怖いから、たとえそれが厚意とわかっていてもそういう反応をしてしまったのだと思います。
個人的にここの反応は人間味があるなと思いました。誰しも触れられたくない部分やタイミングはありますし。
ただしずくは、このかすみんと璃奈への拒絶により、一層自分のことが嫌になってしまいます。
言い換えると、白しずくも自分の嫌な部分の一部となってしまうのです。(詳しくは次の項目でお話します。)
・私と私~白しずく~
しずくは自分の嫌な部分を忘れるために理想の自分を演じ、それによりさらに素の自分の出し方がわからなくなるという無限ループに陥っているわけですね。本当に辛い…
ただ、ここから更に辛いです。理想の自分を演じた時は楽になれたしずくでしたが、8話のストーリーが進むにつれて、
先ほど述べた通り、私からは理想の自分(=白しずく)も彼女の中で嫌な自分の一部となっていくように見えました。
それが表れているシーンは、しずくがかすみんと璃奈と別れたあとの、黒しずくと白しずくの対話シーンです。(ここは正直憶測の部分が大きいです。)
ここで白しずくは黒しずくに非難される際、自分の首元のペンダントを触ります。私、このカットが凄く印象的なんですよね。
このカットはしずくの、演じている私ではもう舞台に立てないという不安が明確に表れている気がします。
理由は、私はこのペンダントを「しずくが舞台に立つ資格」のメタファーと捉えているからです。(ここでいう舞台は、演劇のみならす、人生という舞台にも当てはまります。)
このペンダントは白しずくにのみついていて、黒しずくにはついていません。(白しずくは、理想の自分でしたね。)
また、このペンダントの色はライトブルー、しずくのイメージカラーです。
私はこれらの理由から、このペンダントはしずくの「演じている自分だけは表舞台に立って良い」という彼女の価値観の表れであると考えています。
黒しずくに「嫌われたくない、そうでしょう?」と問い詰められたときに、白しずくは不安そうにそのペンダントを触ります。
このときしずくは「嫌われたくないがためにとった自分の行動で、かすみさんと璃奈さんの気持ちを蔑ろにしてしまった」と感じたのではないでしょうか。
そしてこのシーンのあと彼女は座り込みこう言います。「嫌い…こんな私。」と。
しずくは、黒しずくも白しずくも、嫌いな自分になってしまったのです。
さて、私はこのエピソードを見ていて素朴な疑問を抱きました。
では7話以前のしずくは、ずっと演じているしずくなのでしょうか。
・私と私~中間~
私は違うと思います。そう思う印象的なシーンは2つあります。
1つ目は、6話で璃奈がふさぎ込んでしまい、練習に来ないときのしずくの行動です。
このとき彼女は、困惑するかすみんの手を引っ張り、璃奈の家に向かいます。しかも結構早いタイミングでです。
このときのしずくは、演じていない素のしずくだと思います。
誰かの手を引っ張るという行動は、相当強い気持ちがないとできないことのはずです。
2つ目は、先ほど出てきた1期4話の「スクールアイドル害概論」にて、かすみんに煽られた時の反応です。
むーっ!ってやつですね。(可愛すぎる)
この反応は、演じているしずくには出せないものだと思います。
信頼のあるかすみん相手だからこそ、とっさに出た素の反応な気がしますね。
これらから、しずくは常に演じている自分(=白しずく)だけが表に出ているわけではないと思います。
また、8話にて黒しずくでも白しずくでもない、いわばその中間で揺れ動いているしずくが描かれていると私は考えています。
それが見えるシーンを2つ述べます。
一つ目は、璃奈に「演じているときは、自分が桜坂しずくであることを忘れられる」と伝えるシーンです。
しずくが、璃奈に素の自分を出そうとしたシーンですね。
嫌な自分を乗り越える努力をした璃奈を見て、しずくは「自分も変わらないと」と感じたはずです。
その当人に「自分が嫌なの?」とまさに自分が悩んでいることを聞かれ、思い切って自分を出そうとしたのだと思います。
ただ、ここで自分を出し切ることは出来ませんでした。(自分をさらけ出せない、という悩みの核の部分までは言えませんでした)
ここのしずくは、黒と白の間で揺れていると思います。
2つ目はかすみんに「自分をさらけ出せない」と悩みを打ち明けるシーンです。
ここでは自分を出せたしずくでしたが、このシーンでも、まだしずくの中に自分を出す恐怖があることが窺えます。
悩みを打ち明けた時、しずくはかすみんから背を向けています。
打ち明けることはできましたが、素の自分のまま相手と向き合うことはできていないんですね。
そしてこのシーンのしずくの話し方は、彼女の、葛藤の中であふれ出す気持ちが感じ取れてとても辛いです。
(また、話が逸れてしまいますが、このシーンは窓の描写が凄く印象的でした。
窓の影がしずくに被さるようにかかっており、まるで窓がしずくを閉じ込める鉄格子のように映っています。今の自分から抜け出したいけど、抜け出せない。そんな彼女の苦しみが見えるようで、より一層このシーンが辛いものになっています…)
このように、8話までには黒しずく、白しずく、そして中間のいわば灰色のしずくの三人が登場しています。
黒、白、灰色…この3色、何か見覚えがないでしょうか。
そう、8話ステージ「Solitude Rain」の衣装デザインです。
これまで述べてきたしずくの悩みに対する答えが、この衣装、そしてステージに込められていると私は考えています。
次のトピックでは、その「しずくの出した答え」に関して語っていきます。
②しずくの出した答え
先ほど述べた通り、「Solitude Rain」はしずくが自身の悩みに向き合って出した答えの曲だと考えています。
では、その答えを出すにあたって背中を押した存在は何でしょうか。言わずもがな、かすみんですね。
なぜかすみんは、悩めるしずくの背中を押せたのでしょうか。
また、悩みについての答えの曲があるとするならば、しずくが悩んでいる様を描いた曲もあるはずです。
私は「オードリー」がそれにあたると思っています。
以上より、本トピックでは大きく分けて、
・中須かすみの存在
・「オードリー」「Solitude Rain」の比較に見る、しずくの出した答え
の二点について話します。
・中須かすみの存在
なぜかすみんがしずくの背中を押せたかに関しては、単純にしずくと一番仲がいい、近しい存在だったからという部分が大きいでしょう。
ただ私は、かすみんがしずくとそのような仲になれたことは偶然とは思えません。
私が思うに、かすみんとしずくには人間性の上で大きな共通点があります。
彼女たちは共通して「見せたい私」と「見せたくない私」の二面性があるんですね。
しずくの「見せたい/見せたくない私」は先ほど黒しずく、白しずくの部分で出てきた「人と違う私/演じる私」です。
では、かすみんの二面性はどこから窺えるのでしょうか。
彼女の二面性を見るには、彼女のソロ曲を見る必要があります。
(この部分はすべて話そうとすると長くなるので、そのうちの一部を紹介します。詳しくはまたどこかで。)
こちらはダイアモンドの歌詞です。これは「見せたい私」、かわいいかすみんについての歌ですね。
こちらは無敵級*ビリーバーの歌詞です。
可愛いを追求する中で周りに劣等感を抱く「見せたくない私」が描かれています。
これらはあくまでも一例にすぎません。かすみんのソロ曲たちを聴くと、彼女の中にある「見せたい/見せたくない私」
言い換えると、自己肯定感の高さ/低さの間で揺れ動く彼女の様子が浮かび上がってきます。(聴けば聴くほど、彼女のことが好きになります。)
だからこそかすみんは、しずくの二面性について理解できるんですね。
そして、しずくの背中を押せたわけです。
かすみんはしずくにこう言います。
「しず子のこと好きじゃないっていう人はいるかもしれないけど」
弱っている彼女にこれを言うのは、とても勇気のいることだと思います。
ただ、かすみんはこれが言えるんです。
この言葉は、自分のことを認めてくれない人がいるという現実の中でも、可愛いを追求する覚悟のあるかすみんだからこそ言える、
しずくを前に向かせるエールなんですね。
そして加えてこう言います。「私は、桜坂しずくのこと大好きだから」と。
ここでしず子と言わないところに、かすみん、中須かすみが溢れています。
これは「私の知っている'しず子'も、私がまだ知らない'桜坂しずく'もひっくるめて好きだ」というメッセージだと思います。
こちらも、しずくの二面性を理解できるかすみんだからこそ言える言葉です。
しずくは、自分の弱さにもちゃんと向き合ってくれたうえで、真っすぐな言葉を言ってくれたかすみんに救われたはずです。
次は、そうして救われたしずくの出した答えについて、探っていきます。
まだその際、先ほど述べた通り、「オードリー」と「Solitude Rain」の比較を用います。
・「lonely」から「solitude」へ
先ほど、オードリーはしずくが悩む様を描いた曲であると言いました。ここで、この曲の歌いだしの一節を見てみましょう。
この曲はしずくの憧れのトップ女優であるオードリーに、自分の孤独を重ねた歌であると思っています。
トップ女優ならではの孤独に自分を重ね、自分を奮い立たせているのです。
つまり、この歌詞の「lonely=孤独」は、悩んでいるしずく自身の状態を表していると言えます。
悩む彼女は孤独なんです。「本当の自分は私しか知ってはいけない、自分を出すのが怖い」という孤独と常に向き合っているのです。
かたや「Solitude Rain」、この曲のタイトルを直訳すると「孤独な雨」となります。
…孤独から何も変わっていない、と思いますよね。違うんです。
「lonely」と「solitude」は同じ孤独でも、正反対の意味合いを持つ言葉なんです。
前者は後ろ向きな孤独、後者は前向きな孤独なんですね。
沢山の人物を演じることができでも、「桜坂しずく」はこの世で一人だけの大切な私なんだと、常に自分が持っていた孤独を前向きに捉えるようになったのです。
・弱さを「乗り越える」ではなく「抱きしめる」
またしずくは前を向くにあたって、自分をさらけだせないという自分の弱さに対し、それらを自分の一部として受け入れる選択をしました。
先ほど同様、歌詞の比較をしてみましょう。
悩んでいるときのしずくは自分の弱さを、乗り越えなければいけないもの、そして誰かに見せていいものではないものとみなしています。
かたやSolitude Rainでは、弱さをありのまま受け入れるという選択をしています。
弱い自分も、私なんだと前を向くしずくの想いが、この歌詞から感じ取れますね。
そして、この「弱さを受け入れる」というしずくの選択は、歌詞だけではなく8話のステージにも強く表れています。
このステージで踊る、しずくの影に注目してみます
影が三つあるんですね。これらは黒しずく、白しずく、中間のしずくだと思います。
このステージは、これら三人のしずくが同時に披露しているステージなんです。
全部自分なんです。自分を表現することに怖がりな自分も、他の誰かを演じる自分も、その間で葛藤する自分も全部、桜坂しずくなんですね。
「もう見失ったりしない 私だけの思いを」というステージ序盤の語りのとき、3本の影が伸びていることに気づいたときはもう頭がおかしくなりそうでした。
そして衣装。黒と白と灰色のしずくが合わさった衣装に、同好会の作ったペンダント、「舞台に立つ資格」としてのペンダントをつけてステージに臨むわけですね。
このペンダントが同好会の皆によってつくられたものなのが最高です。
これは、同好会の皆がありのままのしずくを受け入れることができる表れと言えますからね。
しずくは8話を通して、「自分をさらけ出す」とは「自分の弱い、嫌な部分も全部受け入れたうえで前に進むこと」であるという答えを出したのだと、私は思います。
しずく、モノクロームは、桜坂しずくが嫌いな自分を受け入れる物語なのです。
…長くなりました。前後半にわけようとも思いましたが、まず何より大好きなエピソードに対する自分の気持ちを一つの形にしたい!という
想いが勝ち、ひとまとめにしてしまいました。
量が多い、自分勝手な文章をここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。嬉しいです。
また、どこかでお会いできたらなと思います。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?