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ライラックの季節に
まだ底冷えする春の午後だった。
街外れの共同墓地。
白い百合の花束を携え、墓地を通り抜けて歩き、ありふれた墓碑の前で立ち止まる。
辺りには誰もおらず、ただ遠く都会の喧騒が風に乗って聴こえるだけだ。
今日此処へ来たのは風の噂であんたがくたばったと聞いたからだ。
取るに足らない仕事でみっともないヘマをしでかし、処分されただなんてとんだお笑い種だ。
処刑人。翳の魔女。藍色の匕首。
数多の通り名で呼ばれたあんたの末路がありふれた有象無象が辿る道と同じだなんて俄かに信じ難かった。
あの頃。一時だけあんたに預けられて過ごした日々。
あんたがおれをどう見ていたかなんて、分かり切ったことだった。
厄介なお荷物。
か弱いだけの無価値な商品。
……あるいはただの人質か。
今ならわかるが、無理からぬことだ。同じ立場に置かれたとしたら、おれならすぐに殺している。
幼少期。おれが六歳になろうかという誕生日の前日に両親が死んだ。違う。殺された。
親父は裏稼業に手を染めていたも同然の立ち場にあったが、出来心で取り返しのつかない過ちを犯したのだった。
今際の際に親父がない知恵を絞り、おれはあんたに託された。殺し屋であるあんたに。たったひとつだが、親父があんたを相手にそう小さくはない貸しをつくっていたおかげで、おれは命拾いしたのだ。
そして、ひたすら逃げて生き延びるためにあんたの傍にいた。
だが、結局はその日々もあっけなく幕を閉じた。
追手から逃れるために、あんたはおれの手を離したんだ。
知っている。ああするしか無かったことは明白だった。
振り返るんじゃない。
わたしのことなど、早く忘れな。
それでもだめならーーその時は。
本当は日常に戻ってからも、おれはあんたのことを忘れたことなんてなかったんだ。
だから当たり前に道を踏み外し、あとは真っ逆さま。この通り晴れてご同業ってわけだ。
この顛末についてはあんたを恨むつもりなど毛頭ない。
むしろ、殺しのノウハウを傍で学び、叩き込まれたことには感謝していると言ってもいい。
おれが生きていく手段がたまたま殺しだっただけで、だいたいは不幸な巡り合わせ、番狂せのようなものだ。
だって人生にはそういう不運がつきものだろ?
あんたはおれを拾った偶然を憎んだかもしれないが、おれはその好機を逃さなかった。
ただーー。
ただの一度、最後に触れたぬくもり。
母のような、姉のような、そして恋人のような、長くそしてあまりにも短い抱擁。
せめて、ほんの一瞬でいい。
あともう一度だけ、あの日のようにおれを抱きとめて欲しかった。
おれがあの時何を求めていたかなんて、わからなくてよかった。
肌に刻まれた引き攣れのような違和感。
得体の知れないものをあんたは残して逝ったんだ。
ひた、と。足音はなかったが、背後に気配が生じた。
別れの間際に、あんたは言ったよな。
振り返るな、と。
今にしてわかる。
あれは懇願ではなく忠告だったのだ。
「まったく、見るなといったのに」
背後から声が掛かる。
女にしては低い、嗄れた声。
まだ煙草をやめられていないのかもしれない。まったく相変わらずだと思うと、一人でに笑えてきた。
「まだ悪い癖を引きずっているのかい」
「あんたは死んだ筈だろ。墓場から蘇ったゾンビじゃあるまいし」
あのとき。
「会いたいよ」と、墓地でひとりごちたとき。
もしもあんたが間に合っていれば違っていたのかもしれないな。
「あんたも知ってるだろうけど、清掃業者は保険を掛けるもんだろ。もし、おれの前にあんたが現れたら殺せと言われている」
だからおれは忠告を無視し、銃口を向ける。
藍色。藍色の瞳がおれをまっすぐに捉えていた。年をとってもなお美しいままの女がそこにいた。
どんなにこの日を焦がれたことか、あんたは知らないだろうな。
「会えてうれしいよ」
おれは笑った。
老女も受けて立つ。
懐中から取り出した銃を静かに構える。淀みのない流麗な仕草だ。ブランクなど感じさせない、プロのする動きだ。
懐かしい声が告げる。胸が高まるが、慎重に狙いを定める。
「三つ数えな」
「言われずとも」
三。
冷たい鉄の感覚。
二。
蓮っ葉な物言いも、裏腹に優しい態度も、全てを。
一。
おれは何一つ忘れることなく覚えていた。
零。
瞬間。永遠の一瞬。
目が合った。
乾いた銃声がふたつ、重なる。
果たしてそれで仕舞いだった。
銃弾はおれの胸を無慈悲なまでに正確に撃ち抜いていた。
対して、老女は腕に裂傷を負ったのみ。
おれは二度目を撃ち込まれなかったがために、かろうじて即死を免れていた。
「あーー」
おれはずっとあんたに会いたかったよ。
ただそれだけでよかったんだけどなぁ。
「ああ、そっか」
翻った空の蒼さが眼を灼いた。
白々しいほどに晴れ渡った空だった。
破裂して散った花束を血が汚していく。こんなんじゃ、もう渡しても無意味だな。
「相変わらず、くそつえー、し。ほんと、馬鹿げて、る」
「……本当に馬鹿な真似を。なんだってこんな」
「だって、会い、たかったから、だから殺し、にきた」
地面に伏したおれを、藍色の双眸が見下ろしている。
哀れみか、慈悲か。
そうでなければ、おれには正体のわからない感情が瞳の奥に揺れていた。
「かわいらしいお馬鹿さん。……もう眠りな」
「子守唄、歌って。昔みたいに、肩、たたいて。名前、呼んでよ」
「あんたの名前を呼んだこと、なかっただろう」
「……だから。さいご、くらい、いいだろ?」
「仕方のない子だね」
言葉とは裏腹、おれをあやす様に背を叩くリズムも、頬に触れた手のぬくもりも、何もかもが懐かしかった。
ーー目を閉じて。
全てが黒に沈みゆく中で、おれはおれの名前を呼ぶ声を聞いた。
その筈だ。
【了】
高柳先生主催の「おれのグロリア選手権」に出したかったんですが、いやぁもう全然間に合いませんでした。ごめんなさい。でも、勿体ないのでここで供養というか載せておきます。
余談ですがタイトルを知ってても観たことなかったんですよね、グロリア。カサヴェテスだったか〜!
なので想像でおれのグロリアったわけなんですが、なんか奇妙な一致(少年の年齢、場所が墓地、一部設定)を見せており、後で調べてびっくりしました。
おねショタ殺し愛で、かつての少年視点、そしてもしかしたらのグロリアってことでひとつよろしくです。
ともかく、短いやつですがお読みいただければ幸いにて。