マルクス・ガブリエル(その一)
「マルクス・ガブリエル:倫理資本主義」
「コロナ前に戻れない世界」
マルクス・ガブリエルは、1980年生れで、現在、ボン大学の教授を務める人物であるが、哲学、思想の分野において、世界的に名を馳せており、彼の英知は非常な注目を浴びている。現代において最も注目されている人物の一人であると言えよう。
マルクス・ガブリエルが唱える「倫理資本主義」という言葉が、注目を浴びるようになったのは、つい最近のことであり、彼はコロナ後の世界について思いをめぐらし、最早、人類はコロナ前には戻れないとはっきり言う。
2021年に、資本主義に代わるものを展開することができる新しい理論を探し求めて、ヘーゲルとフレーゲの体系に着眼して、「フレーゲル(Fregel :フレーゲ+ヘーゲル)」を論理的な基礎としながら、新しい理論を構築することができると述べた。
「新型コロナ前の世界に戻りたい」は、絶対に不可能である。なぜなら、コロナ前の世界はよくないからだ。それは、私たちの開発速度があまりに早すぎたため、人間同士の競争で地球を破壊したからである。
2020年に起きたことは最後の呼びかけだった。自然が「今のようなことを続けるな」と訴えるかのようだった。こういうふうに、彼は考えたのである。
彼の考えによれば、非常に裕福な人たちは、コロナ危機で稼いでいる。得た利益をパンデミックで苦しんでいる人や国に分け与えるべきだ。コロナをきっかけに、世界の価値観の中心が倫理や道徳になるべきであり、マルクス・ガブリエルは、これを「倫理資本主義」と呼び、ポストパンデミックの経済思想になりうるものであると考えている。
環境問題や貧困など世界的な問題は、グローバル経済が過度に利益を追求し過ぎた結果だとガブリエルは考える。増えた富は、倫理観に基づいて再配分すること、これが完璧なインフラである。
倫理と経済は相反するものではない。富というのは、「富を共有する可能性」であり、「他者のためによいことをする可能性」だと主張するのである。
「倫理と経済は相反するものではない」
以上のように、マルクス・ガブリエルの思索の軌跡を辿ってみると、彼は、現代の世界が陥っている深刻な病状、すなわち、環境問題や貧困、経済格差などは、過度な利益追求の結果生じた負の産物であると見て、それが新型コロナ前の世界であった、と理解したわけだ。
従って、人類はコロナ前の世界に戻ろうと願望してはならないし、戻ってもいけないと言い切るのである。
結局、彼は、新しい世界が必要であると結論して、その新しい世界は「倫理資本主義」によって可能である、そのようにきっぱりと主張する。
世界が激変する今日の状況を見つめつつ、マルクス・ガブリエルは、世界の混乱の原因が、過度な利益追求という人間精神に巣食う病原菌にあることを理解し、それを克服しなければならないと考えたのであり、「倫理」に救いを求める姿勢の中にこそ真の答えがあるとした。
これは、経済という、ややもすると、利己的に流れる活動が、倫理とは相性が悪いのではないかと見る多くの人々の考えに真っ向から対決し、異議を唱える視座に立つものである。
言わんとすることは、「倫理と経済は相反するものではない」ということである。
「マルクス・ガブリエル:倫理、哲学の重要性」
「独裁主義では問題の解決はできない」
マルクス・ガブリエルは、人類は共に手を携え、連携すべきであるが、現実は分断していることを憂える。
アメリカと中国、この二国がせめぎ合っている現実を人類は見ているが、いずれの国も世界を支配するとは思わないと、ガブリエルは言う。その点では超大国は存在しないということである。米国と中国、これは、単に力のある国家が存在するということに過ぎないと言う。
米国が絶対的な覇権を握っているとか、いや、中国が米国を抜いて絶対的な覇権を握るであろうなどという幻想など気にせずに、今までとは異なる真に平和のための組織が必要であるということの方がもっと重要なのだと主張しする。
新しい人類平和のための啓蒙思想を作るためには、各国は同盟関係を結ぶべきことが大切だというのである。
不可能に見えるかもしれないが、国々が連携し、二極対立をしているアメリカと中国よりも強力な同盟を構築すべきことが急務だと主張する。
米中両国は善良なことはしていない。兵器、軍事力に対する潜在的な対立を形成しているだけである。そこには倫理観などなく、覇権争いがあるだけだ、だから第三の方法を探さねばならないと考えている。
彼は、自由民主主義に代わるものがあるとは考えていないが、中国のようなロックダウンは民主的な政策ではないと言う。
コロナ危機に対しては、民主主義よりも効率的な解決策を講じた制度があると思うのは幻想だと見ている。問題はウィルスが生物学的現象だということであり、法律ではウィルスを制御できない。どう行動するかが問題だというのである。
ヨーロッパの死者数は100万人をはるかに超えたが、それでも民主主義は健在だと語っている。共産党の独裁主義が民主主義国家よりもうまく対処したとは言えない。それは、中国のプロパガンダに過ぎないと、マルクス・ガブリエルは発言している。
「思いやりの心は日本に倣え」
覇権争いではなく、第三の道を探ること、そのためには、日本社会レベルの他者の心を読み、配慮すべきことが必要になるかもしれないとも言っている。
若い世代の間で環境意識が高まっているように、各国の指導者たちに、若者の善行、関心事、洞察力を抑圧することはできないし、また、させてはいけないと語っている。
マルクス・ガブリエルの日本に関する洞察で面白いのは、「日本はソフトな独裁国家」だとしていることである。
初めて訪日したのは2013年で、地下鉄に乗った際に女性専用車両だと知らずに乗り込もうとして、白手袋をした駅員に背中をつかまれました。そのとき、日本は非常に組織化されていると感じた。
日本では自由に対する多くの制約がある。それはハイレベルな制約が招いた結果で、ある意味これは「ソフトな独裁国家」だと感じて、彼は「私が日本を一言で表そうと思ったら『精神の可視性』と言います。日本人はお互いの気持ちが手に取るように見えるのです。非常に精神的な文化で、どこにおいても、精神が可視化しているのです」。
辛辣にも聞こえるが、彼は、いい意味で、日本を「ソフトな独裁国家」と言ったのである。