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動物も人間の家族


 フレデリック・ジョージ・コットマン

「コットマンの「家族の一員」」

イギリスの画家のフレデリック・ジョージ・コットマン(1850-1920)の作品で、「家族の一員」と題するユニークな作品がある。

「家族の一員」とは、窓から顔を出している馬を指している。モデルとなった家族は、テムズ川沿いの村の宿屋の家族である。

この作品は、1880年、フレデリックが30歳のとき製作されたものであるが、現在、リバプールにあるウォーカーアートギャラリーの所蔵となっている。

1880年にフレデリック・ジョージ・コットマンがこの作品を制作したとき、室内の様子を描いた絵画はたくさんあったが、家族全員で食事を楽しんでいるところに、馬が首を出して、食事を共有したいと望んでいるところを描いたインテリアペインティングは、ほとんど例がなかった。

フレデリックは、この作品により、有名になったが、それは一般的に知られた唯一の彼の作品となったのである。

彼は、多くの優れた肖像画や風景画をたくさん生み出しているにもかかわらず、馬まで加わった「家族の一員」というフレデリックの作品の独創的なアイデアが強い印象を鑑賞者たちに与えたので、他の作品が霞んでしまったと言えるかもしれない。

画の光景を説明すると、宿屋の一家の母親が、馬に食事を与えようとしているが、可愛い娘も手に餌を乗せて、届かない距離から手を差し伸べている。二人の息子は、食事に夢中であり、祖母は大きなパンを抱えて、切り分けている。

絵から伝わってくる雰囲気は、平和そのものであり、家族の風景として、繁栄を極めた19世紀末の大英帝国の庶民の一家の姿として理解することができる。

それにしても、部屋の中に首を出しているこの宿屋の家族の白馬は堂々たる馬であり、「わたしを忘れないでください」と主張するだけの家族意識を持っているようだ。
 
「芸術一家のコットマン家」

フレデリック・ジョージ・コットマンは、ノリッチ派に属する画家で、風景画や肖像画を主とする画壇の一員として活躍した。

フレデリックは、芸術一家のコットマン家に生まれたが、父のヘンリー・エドマンド・コットマン(1802-1871)、母のマリア・テイラー(1813-1895)を両親として生まれ、父は画家として立つ前はノリッチのシルク商人であった。

二人の兄、ヘンリー・エドマンド(父と同名、1844-1914)とトーマス(1847-1925)は、ロンドンで生まれ、そののち、一家はイプスィッチへ引っ越した。フレデリックは、1850年、イプスウィッチで生まれ、末弟であった。

フレデリックの叔父(父の兄)、ジョン・セル・コットマン(1782-1842)は、ノリッチ派の中心人物であり、海洋画、風景画、銅版画家、イラストなど広く手掛けた人物である。

叔父のジョン・セルの息子、ジョン・ジョセフ(1814–1878)とマイルズ・エドマンド(1810-1858)もノリッチ派の画家であった。

こうしてフレデリックの一家と叔父の一家が繋がりを持って、芸術親族となっていた経緯から見ると、フレデリックの道も画家を目指す以外になく、彼は、イプスウィッチ芸術学校の校長であるウィリアム・トムソン・グリフィスの子弟として画業を磨くことになる。

フレデリックは、油彩画と水彩画の両方を学んだが、彼の最も知られた傑作の「家族の一員」は、リバプールのウォーカーアートギャラリーに収蔵された。

生涯にわたり、そのほとんどをロンドンで過ごしたが、フレデリックはイプスウィッチアートクラブの創設者の一人として大きな影響を与えた。
 
「人間と一緒に暮らす動物も家族」

フレデリックの作品は、リアリスティックで、表現力豊かな色調と光と影などに特徴がある。

ノリッチの風景は、フレデリックの風景画のインスピレーションとなることが多く、海岸線や河口の絵画、地域の歴史的建造物の描写に重点が置かれている。

彼は、当時の庶民の日常生活の風景を描くことで知られており、生涯を通じて素朴なものを好み、日常生活や郷土の風景描写に力を注いだ。

水彩画でも油彩画でも、フレデリック・ジョージ・コットマンの絵は、光と影の見事な演出によって、常に驚くべき深みを示している。

人類の歴史を振り返ると、そこには、つねに人間の家族に寄り添う動物が存在することを知る。

馬や牛、犬や猫などがそうであるが、彼らは、人間と同化して、一緒に暮らしているうちに、自分たちは人間の一員であると感じるようになり、人間の方でもまた、家族の一員のように感じるのである。

家族とは何か。人間と暮らす動物は人間と同じ家族と見做されるというのが、フレデリックの「家族の一員」で明らかにされたように思う。

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