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私はいつから私ですか?
「私はいつから私ですか?
本当の私はどこですか?
そもそも本当ってなんなんですか?
そうですか。」
これはつるうちはなの代表曲的ポジションにある「あいゆうえにい」の冒頭の一説です。
私が「私」について、幼少期から考えていたことがよくわかるエピソードがあります。
当時私は小学生で、香港に住んでいて、夏休みには母の実家である奈良によく帰省していました。
その年の夏休みも、奈良で三人の従兄弟たちと山を駆け回り虫を捕まえて大富豪をして思う存分遊び、香港に戻った直後、母の親戚が亡くなって、急ぎまた奈良に戻らなくてはいけない、という状況でした。
あれはバスの中だった気がします。道中、私は自分の中の相反する気持ちに気づいて、なんとも居心地が悪くなり、罪悪感に耐えきれず、母に相談をしました。
「お母さん。◯◯さんが亡くなって悲しい、かわいそうって思う気持ちとおんなじに、すぐまた飛行機に乗って奈良に行かなきゃいけないのが面倒臭いっていう気持ちが、私の中にある。どっちが本当かわからない。私は悪い人間なんだろうか。」
と、尋ねました。
すると母は、
「どっちも本当で、どっちも悪くないし、その両方の気持ちがあんただから、それでいいの。」
と答えました。
私の中でずっと大切に育ててきた、「物事や人間の感情に善悪をなるべくつけない」という思想の根本に、この時の母との会話があるように思います。
今でも私は、「どれが本当の自分なんだろうか」「私はもしかしてすごく悪い人間なんじゃないだろうか」といった気持ちに苛まれることが、よくあります。
だけど、全部私なんです。
(この瞬間はすごい顔だけどこれも私)
人は、人のことはおろか、自分のことすら、騙します。自分にとって都合の良い自分だけを見ていたい、という気持ちが、私の中にも当然にあります。
私にとって、音楽を作ることは、自分の嫌なところ、弱いところ、醜いところを徹底的にえぐりとって、それを抽出して、同時に解放してあげる作業だったり、します。「魂のサルベージ」って勝手に名前をつけてる。
私の中には、限りなく99%の真実を知りたいというあくなき欲求があって、それは何よりも自分自身を掘り下げていくこと、それは同時に、世界を知っていくこと、と直結しています。
ずーーーーーーーっと、禅問答です。
答えは一生出ないんです。
だからこそ、考え続けるし、行動し続けるし、問い続けています。
私の歌は、私と同じように、「考えなくてもいいことをつい考えてしまう人たち」のためにあるような気がしています。自分の中に「確かにある」のに、「正体がわからない」から苦しい、もやもやして、イヤンな気持ちになってるあなたが、「ああっ、それだ!!」って気づいて、ちょっとスッキリして、明日も頑張ろうって思えること。こんなわけのわからないことで悩んでるのは自分だけじゃなかったんだって、ちょっとホッとして、その瞬間だけでもさみしくなくなること。
そんな作用を持つ、毒にも薬にもなる音楽を作り続けるために、私はこれからも考えること、掘り下げること、俯瞰すること、わかった気にならないこと、問い続けることを、一生やるのだと思います。
というか、その生き方が変えられないから、音楽を作っているのかもしれないですね。
にわとりとたまご、私と音楽、音楽と私。
とりあえず今後このコラムで「私」という文字をここまで書くことはないと信じたいですね。
まったねー!
(写真/マイクサカスミ)
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