あるレーベルからデビューし損ねた話
むかしむかしのお話。
僕がまだ商業出版デビューしていない頃、声をかけてくれた編集さんがいた。
僕は電撃大賞で4次選考まで残っており、その実績を買ってくれてのことだった。原稿を送るといたく気に入って頂け、すぐに大阪まで会いに来てくださった。
まだデビュー前の新人に対して破格の礼である。意気込みが感じられた。
確かHEP FIVEのカフェでお目にかかったと思う。とある新聞社の出資でサムライ文庫というレーベルを作ることになったという話を聞いた。海外進出を念頭に置いて頑張っていくという。
僕は興奮した。レーベルの創刊に立ち会えるのは光栄だ。しかもその青写真の通りにことが運んだなら、デビュー作が海外でも出版されるかもしれない。
胸は躍り血は騒ぐが、しかし彼は編集はいまのところ自分一人だと口にする。しかも出版は隔月で1冊ずつの予定で組んでいると。
僕が考えていた創刊の姿とそれは実体を異にしていたが、こちらも業界のことは右も左も分からない素人だ。そんなものかと思い、編集さんとは原稿の話をした。
やがてテーマは野球と決まった。確か小動物を使ってくれと言われた気がする。
色々とプロットを練りOKが出て、『信州ポメラニアンズのキ跡』とタイトルも決まった。キャッチャーと球界初の女性ピッチャーがバッテリーを組んで奮闘する物語だった。
やがてレーベルも創刊第一号を出版した。カーリングの小説だった。是非は分かれると思うが、本の下段(上段だったかもしれない)に余白を設け、戦況や解説を入れていくという意欲的な本だった。
僕の方も順調とは言えなかったが、原稿も進んだ。
しかし最後の最後で、演出にちょっと迷うシーンがあった。メールで相談すると質問に対する答えはなく、「ちょっと原稿を止めてくれ」とだけ返ってきた。
なんとなく想像はついたが、メールからしばらく経って編集さんが大阪にやってきた。そして開口一番に謝罪を受け、レーベルが撤退することを告げられた。
いろいろ社内的な愚痴を言っていた気がするが、覚えていない。原稿に費やした時間や資料などが走馬灯のように目の前を通り抜けていった。憤りもあったが、この人も被害者だと思うとあまり強くも言えなかった。大阪までわざわざ謝罪に訪れてくれたことで、最初と同じく礼と誠意は尽くしていると考えた。
そうして自分の元には出す当てのない原稿だけが残った。デビューも儚く夢と消えた。
しかし実はサムライ文庫の編集から電話があった1週間後くらいに、僕は電撃文庫からも声がかかっていた。
こちらの話が順調に進んでいたので、僕はまだ冷静でいられたのかもしれない。その後、僕は無事にメディアワークス文庫でデビューを果たした。
いまから振り返ると、デビュー前にしてけっこう面白い体験ができたなあと思う。もう一度となると絶対にイヤだけど。
ところでもうすぐバレンタインデーですよ。