【架空の話】・其の15

【架空の話】

先日受けた説明によると13:00からHPにて掲示とのことであり、時刻を過ぎ、更進ボタンを押してみると、学科毎の合格者の受験番号が掲示されており、口腔保健工学科の欄を見てみると、果たして、そこには一つだけ番号が掲示されており、それは私の受験番号であった・・。

とはいうものの、いざ合格してみると、その実感らしきものはなく「そうすると、生まれて初めての引越しを経験することになるが、どうしたものか・・。」といったことの方が気がかりになり、そこで、すぐさまBにメールを送り、合格したことを伝えた。すると「良かったな。今後忙しくなると思うけれど、Kでの家探しでは協力できるかもしれない。」といった返事が来て、くわえて「最終面接まで行った。こちらは結果が出るまでもう少し時間がかかりそうだ。」とも記されていた。

次いでD先生の医院に電話を掛けると、ごく短時間ではあるるが、電話口に出てきてくれて「ああ、それは良かった。また今度夕食にでも行って、そこで話そう。」とのことであった。しかし、丁度あの時、歯が痛くなり、D先生の医院に行かなければ、このような事態には至らなかったと思われることから「偶然とはスゴイものである。」と同時に「あるいは、これは必然であるのかもしれない。」とも思い、そこから、偶然と必然の違いというものが、イマイチよく分からなくなった・・。

また、自宅に電話をかけて編入試験合格を伝えると、電話口に出た母親は「そお、受かったの・・それじゃあ、まあ頑張りなさい。」と、あまり気のない返事であった。おそらく、母親としては、二つ年上の兄も就職で既に家を出て、そのうえ私も遠いk県まで行くというのは、少なくとも手放しで歓迎出来る事態ではなかったのかもしれない・・。

そういえば、ここで兄がハナシに出てきたが、私には兄がいる。父親と同様、理工学部に進み、その分野での通例通り修士課程を修了し、某家電メーカーに就職し、現在は、近畿地方W県の事業所にて勤務している。仕事が忙しいのか、ここ最近は、あまり連絡がないが、以前に愚痴っていたのは「理系出身だから研究所に配属されると思っていたら、どうしたわけか、営業部署の配属になって大変だ。」といったことであった。しかし一方、W県での生活は、それなりに楽しんでいるらしく、向こうでバス釣りをはじめたことや、中古の自動車を購入したことを幾分誇らしげに伝えてきたこともあった。

また、私もそうした兄の様子を見て「何処か他の場所に行くのも悪くないのでは・・。」と思うようになっていたのかもしれない・・。

くわえて、兄からの他の影響と思われることは、古着も含めて洋服好きであるということである。傾向として兄は、所謂アメカジが好きであり、とりわけ第二次世界大戦頃の米陸軍航空隊のフライトジャケットを好み、各メーカーが製造しているレプリカのフライトジャケットは、片手では数えきれない程持っていた。おそらく、アルバイトで得た収入の多くを、そちらの方に費やしていたのではないかと思われる・・。

さらに、この趣味に拍車が掛かり、レプリカのあまり高価ではない布製フライトジャケット(たしかB‐10という型であった。)を購入し、サンドペーパーや洗濯機などを用いて布地にアタリや退色感が出るように加工し、背中に何やら絵を描いたりし、さらにジッパーを部品取りするために比較的安価な、状態の良くない1940年代のジャケットを購入し、ジッパーを外して加工したフライトジャケットの方に取り付け、いかにも本物のヴィンテージらしく見えるような加工をしていた。兄から聞いたハナシによると、このジャケットを都内のヴィンテージ古着を多く扱っていることで有名な店に、買取希望として持込み、店員によるチェックで本物のヴィンテージであると認められ、かなり高額での買取を申し出て来たという・・。

しかし、ここまでやると多少やり過ぎの感もあると云えるが、単純に兄は、自分の加工したジャケットをプロに評価してもらいたかったのだと思う。その証左として、兄はそのジャケットを店に売却せず、そのまま大学での作業着として愛用していた。

ほかにも、これに類したハナシはいくつもあるが、現在の兄は、洋服よりもバス釣りや自動車の方に興味が向いているようであり、私がK県に行く前に一度、訪問してみようと思った。この訪問については、また別の機会に書きたいと思う。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



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