原作者から解説する、映画『あの頃。』の背景と実際に起きていたこと。その3 「恋愛研究会。がデビューした日。」
勢いと思いつきだけでバンド・恋愛研究会。を結成した私は、得体の知れないやる気に満ちていた。
しかし、通常バンドというものは、とりあえずライブハウスにデモテープを送ってブッキングライブに出させてもらうことでその活動を始めるものだが、正直このメンバーでは、オリジナル楽曲やデモテープのような真っ当なものを作れる気がしない。
しかし私にも大学の頃からバンド活動を真面目にやってきたノウハウと人脈はある。どこにもないものならば作りましょう、のミニモニ。スピリッツで、デビューライブは自主イベントから始めることにした。自主興行であれば、ブッキングマネージャーに説教される必要もない。やりたいことをやればいい。
会場として私が選んだのは、大阪市浪速区のフェスティバルゲートの中にあった、cocoroomというイベントスペースだ。
フェスティバルゲートは、1997年に都市型遊園地として華々しく誕生したが、数年でみるみる客足はなくなり、テナントも次々撤退してゴースト遊園地と化していた。
大阪市は、そのテナント跡をアートNPOに貸し、大阪市アーツパーク事業という芸術振興支援策の拠点としてフェスティバルゲートを活用することにした。
その一つが、詩人の上田假奈代さんが運営するcocoroomで、そこではスタッフとして、私の大学の同期であり、ドラマーで現代アーティストの阿佐田亘という友人が働いていたのだ。
私は亘くんに相談し、恋愛研究会。の初ライブを2005年3月20日に決めた。
ちなみに、劇中で恋愛研究会。のイベントは「白鯨」で行われていることになっているが、実在する千日前味園ビルの白鯨でイベントをやるようになるのはフェスティバルゲートもcocoroomも無くなった後からのこと。デビューライブの数ヶ月後には私が会社を辞め、この場所で働き始めたこともあり(この辺はまた次に説明するとする)、恋愛研究会。黄金期の自主企画はほぼノーリスク、ノーリターンのもと、cocoroomで開催されている。
さて、恋愛研究会。のメンバーはというと、まずは私がベース。ギターは「22歳の私」を一緒に組んでいたアールくんだった。
また、赤犬ではベースだが、実は他にも色々楽器のできる器用なリシュウさんがピアノ。この辺は現役ミュージシャンということで、全く演奏に問題はない。
そして、今はハロプロにしか興味がないが、昔は意外にもバンドをやっていたという西野さんがドラムである。西野さんは私と出会ってからも、ハロプロ系DJイベントにカバーバンドで出演していたのを見たことがあり、意外にもドラムの技術は確かだった。
ちなみに、昔やっていたバンドの名前は「スーサイド・グリズリー」だったらしいことを聞かされた私たちは、その狙って出せないダサさがあまりにも素晴らしいので、西野さんに積極的に再結成を呼びかけ続けたが実現しなかった。
西野さんを演じた若葉さんは、ギターは弾けるがドラムは未経験だった。しかし楽器というのは、ひとつできると他の楽器の覚えも早いのだ。指導したのは私にとって神聖かまってちゃん以前からの盟友であるマルチなエンジニア・萩谷まきおくんである。
また、誘ってもいないのに、「オレもやりますよ!ヒーッ!」と参加してきて、明らかにみんなちょっと面倒くさいなあと思っていたものの、私が断ることの出来なかった人がいて、それは私より古くハロプロあべの支部界隈にいた吉野さんというモーヲタだった。吉野さんは北大理学部卒の高学歴で大手企業の研究職、唯一の既婚者、テクノポップのレーベルをやっていて音楽も政治経済も詳しいという、それだけ聞くととても立派な人なのだが、とにかく空気が読めず、いるだけで邪魔になるという迷惑なおじさんだった。ただ私はこういう制御不能分子がバンドメンバーにいることは、予期せぬグルーヴ(笑い)を生み出す大切な要素だという考えもあったので、吉野さんにもシンセサイザーで参加してもらうことにした。
吉野さんの演奏は、機材はやたらいいものをたくさん持っているのに信じられないくらいヨレヨレで、「これこそスカム・ミュージック(ゴミの様な音楽)だ!」とグッときた記憶がある。
あとの楽器ができなかったりするみんなは適当にボーカルである。ロビさん、コズミン、ナカウチさん、イトウさん。イトウさんは実はギターもベースも弾けるが、大事なフロントマンとしての役割を担っていた。
映画の中でのコカドさん演じるイトウさんは、常にいじられているキャラだが、実際は天然・マイペース・物知り・お人好し・鼻毛が出ているなど、この世のあらゆる愛され要素を兼ね備えた映画以上のいじられキャラ(ロッチで言うならむしろコカドさんより中岡さんに近い)で、本人のいない時も常に話題の的だし、誰がどんな球を投げても必ず予想もできない面白さで打ち返してくれる、恋愛研究会。の絶対的エース、言うならば鞘師里保だったのである。
コズミンは実は学生時代にバンドの経験があったらしく(バンド名は「大仏魂(だいぶっこん)」でこれまた素晴らしい)、実は楽器ができる風のことを言っていたが、赤犬のメンバーをはじめ、それなりに活動している現役バンドマンたちを前にして、演奏をしたいとは決して言わなかった。こんなお遊びのようなものでも、負け戦は初めからしない。プライドの高い彼らしいエピソードだと思う。
余談だが、劇中松坂桃李さん扮する劔がバンドの結成を持ち出した時、イトウ家のベッドでくつろいでいたコズミンが「歌ったるわ…」と意気込む場面があるが、最初に見せてもらった編集では、松坂さんがそれを見て「かーわいい」とつぶやく、台本にないセリフがあった。
残念ながら本編はカットされていたが、あれも実際に偉そうなコズミンに対し、本当に私が言いそうな言葉で驚いた。これは現場で監督が付け加えたらしい。
というわけでバンド・恋愛研究会。はメンバーも揃い、ライブの内容はギリギリでmixiの中だけで話し合って決めた。
まず適当な即興演奏でみんな登場
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イトウメモ「こんな〇〇はいやだ」
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適当にしゃべる
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イトウさんによるライブペインティング
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適当にしゃべる
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モーニング娘。「恋ING」の演奏で大団円
実質一曲のカバー曲さえできれば、あとはほぼ喋るだけ、という画期的なカロリーの低さは、仕事が忙しい自分にとっては発明的なバンド活動だった(一応スタジオには、一度だけ入った)。
イトウさんのライブペインティングは早々に構想にあった。イトウさんはバーでバイトをしながら、常にちゃんとした就職先を探すべく頻繁にハローワークに通っていたのだが、ある日、イトウさんの部屋で、求人票の裏に落書きを発見したことがあった。
29歳のいい歳の大人が描いた落書きが、「不良と族車」であるという衝撃!!
これこそ阿倍野が世界に誇るアール・ブリュット。アウトサイダー・アートである(と言いつつ、イトウさんは芸術大学卒なのだが)。アートスペースで行うライブにぴったりだし、イトウさんは確実に面白いものを描いてくれるので、このパフォーマンスもその後の恋愛研究会。の定番となってゆく。
実際、このライブで描いたのも…
やっぱり不良だった。構図も抜群である。
そして「恋ING」であるが、この曲は我々の間で、「こんな名曲なのにカップリング曲だからどうせ干され曲になるはず。モーニング娘。が歌わないなら、自分たちで歌う!」と満場一致で決まった一曲で、実際の演奏は映画よりだいぶ適当だったと思う。
この映画でのバンド版「恋ING」は、本人である私がベースの演奏をして録音している。
一応、はじめてのライブシーンということなので、ある程度ラフで、ちょっとヨレたところもある演奏をわざとOKテイクにしてもらっているのだが、それでも、フレーズ自体はそれなりに原曲の雰囲気をコピーした。
しかし、当時あんなにしっかりコピーした記憶はない。
今回は事前につんく♂さんにもバンドシーンの音源が聴かされていたらしく、史実くらい適当にやらなくてよかったとつくづく思うのだった。