和田彩花さんの活動再開に寄せて。
(画像は公式Twitterより)
和田彩花さんが本格的な活動の再開を宣言した。
卒業してから1ヶ月半。
早いといえば早い。
道重さゆみさんの時は2年あった。
あれは長かった。
でも、和田さんが今後やりたいたくさんのことを思えば、これくらいのスピード感が大切なのかもしれない。
そして驚いたのは、デビュー当時のスマイレージのマネージャー、山田さんの会社であるYU-Mエンターテインメントの所属になったことだ。
これに関して私は、「その手があったか!」と大いに納得させられた。
UF周辺でいえば、ベストな選択ではないかとすら思う。
誰が言い出したのだろう。
もしかすると、和田さん自身かもしれない。
やりたいことをやるならここだと思ったのか。
UFの上層部の方々で決めたのなら、それはそれで素晴らしいことだ。
さすが最近ニュースにもなっていた芸能ホワイト企業である。
そういえば確かに以前、何かの時に西口さんから、
「和田の表現したいことは、ハロプロでは収まりきらないから」
みたいなことを聴いたような覚えがある。
ソースはない。私の見た夢の可能性も否めない。
「和田は山田のところで、自由にやらせよう!」
そういう会議でもあったのだろうか。
そんな妄想が捗るくらい、このリユニオンには、胸が熱くなった。
個人的には、DRY&HEAVYの七尾・秋本コンビの復活の時か、最近ではナンバーガールの再結成の時かという感じである。
和田彩花という人の本質は、ハロプロ時代からずっと現状の打破であった。
これはつまり、リベラルな精神だ。
誤解のないように先に言わせて頂くと、これは決して政治的信条のことを言っているわけではない。
既存の価値観についてまず考え、それが正しいのかを検証し、必要とあれば革新しようとする精神が彼女にはあった。
「なぜ、成人式より仕事の方が大事なのか?」
「なぜ、アイドルは水着にならないといけないのか?」
「なぜ、ファンからリップの色にまでガタガタ言われる筋合いがあるのか?」
さすがに3番目、そんな言い方はしていないですがー。
これらはファンならよく知る彼女の主張だ。
和田さんは西洋美術史を学ぶことで、その時代背景と、当時の思想に触れたという。
音楽も、美術も、芸術というものは知れば知るほど必然的にそれが付いてくる。
私たちバンドマンが思春期にパンク・ハードコアに衝撃を受け、ストレート・エッジなどの思想を知ったことと同じことなのかもしれない。
…違うかもしれない。
和田さんは、印象派の先駆者であるマネに衝撃を受け、既存の美術の価値観を塗り替えた彼の作品から多くの影響を受けた。
そして、マネの作品でフェイバリットにあげる、女流画家を描いた「ベルト・モリゾの肖像」から、当時のフェミニズムについても学ぶことになる。
そしてこう思ったのかもしれない。
「私はこの21世紀に女でアイドルやってるけど…今も問題ばっかりじゃないか!」
今回、和田さんがHPに載せているメッセージには。
ここからはハロプロ時代に、「女であること」「アイドルであること」によって、何がしかの不利益を感じていたことが伺える。
それでも、女であることに誇りを持ち、愛するアイドルであることにこだわる故の、
「私は女であり、アイドルだ」
なのである。
当事者でないと知り得ない感情は、確かにある。
当事者が発信し、当事者によって変えてゆくことの重要性は計り知れない。
それでも和田彩花という人は、ハロプロ時代は、他のメンバーのことを思い、自分の主張を最小限に抑えるバランス感覚があった。
最後のCDジャーナルのインタビューでは、
「(下の子たちに)無意識のうちに私の思想を植え付けてしまうのも怖いから(目の前でそういう話はしない)」
と語っている。
「バンクシーの話題を目の前でメンバーがしている時、バンクシーの表現が意味することを話すのは我慢した」
という出来事も記憶に新しい。
和田さんがアンジュルムを卒業し、個人で活動することを決めたのは、「アイドルの解釈の幅を広げたい」というその言葉通りなのだろう。
むしろ、本当はアンジュルムでそれができると思っていたのかも知れないが、無理だと悟った瞬間があったのだ。
どんな同志でも、メンバーとは、同じ人生を歩めないことを。
それを和田さんは、同じインタビューの中で、「夢から醒めた」と表現している。
つまり、ここからの和田彩花の表現は、ものすごく加速したものになるだろうということだ。
これは、我々ファンも覚悟しなければならない。
「アイドルは思想を語っちゃいけないだろ!」などと、ぬるいことを言ってるようではどうにもならない。
「フェミニズム」「ジェンダー論」と聞くだけで、過剰なものを想像してめんどくせえなあと拒否反応を起こしているようでは、彼女の想いは何も伝わらない。
彼女は、語るため、表現するために一人を選んだのだ。
なんとなく和田さんが、25歳定年でハロプロ辞めてソロ活動を始めたと思っている人たちには、あんたは一体いままで和田彩花の何を見てきたんだと問いたい。
そしてそれには、山田さんの会社に所属するのはうってつけだと思う。
山田さんも、同じく現状打破の人だ。どこにもないものならば作りましょうの人だ。リベラルな精神を持っている。
アプガの活動にはそれが表れている。
対してハロプロは、まあ保守だろう。
繰り返すが、政治的思想の話をしているわけではないし、どちらがいい悪いという話でもない。
世の中は、保守とリベラルが共存するからこそ良いと私は思っている。
それにハロプロは保守でいいのだ。多くの人たちにとって、変わらず平等に輝くことも大きな価値だと思う。
そして、山田さんはスマイレージ時代の鬼軍曹イメージで、「唐揚げ事件」や「エレベーター恫喝事件」などがいまだ強烈な印象をもって引き合いに出されるが、正直、山田さんの元で吉川友さんの仕事をここ数年手伝ってきた私が見る限り、4スマと山田さんの絆は今も強いような気が漠然としている。
それを強く感じたのは、福田花音さんと山田さんのやりとりを傍で聞いた時だった。
そして、山田さんが独立してからも、山田さんは節目節目で和田さんにとって良き相談相手だったのではないかという印象もある。
実際、卒業前の和田さんの発言には、「当時怒られたことがいかに大切だったか、今は感謝している」というようなものが多かった。
これはパワハラの肯定とかそういうものではないのであしからず。
とにかく、今もその関係性が存在し、再び二人がタッグを組んだという事実がある。
私たちには知り得ない何かだ。
和田さんが進もうとする先は、苦難の道かも知れない。
日本はいまだに、芸能人やアーティストが政治的発言をするとバッシングを受けるような状況だ。
先に挙げた水着問題のことにも、Twitterで支持を表明した私にもそれなりの批判があった。
本人に対しては相当だったことだろう。
それはもう、水着の楽しみを奪われる側からしたら、何言ってくれるんだって感じだろう。
私も、学生の頃は比類なきグラドル好きであり、BOMBやらUTBやら買っていた。夏の深夜、水着番組は見逃さなかった。
だから気持ちはわかる。
あの時水着を奪われたら、泣いちゃったかも。
しかし、時代は着々と変わっているのだ。
そういう過去の価値観の裏で、人知らず涙を流してきた人たちの存在も明らかになってきている。
アイドルはやりたいけど、水着にはなりたくないという人がいて当然だ。
逆に、ぱいぱいでか美のように、「私は脱ぎたいんで!」という人もいる。
そんなでか美にも、もちろんNGのラインがある。
よりNGのない人には、もっとクローズドな場での活動がある。
黒か白に分けるではなく、グラデーションを認めてゆく時代だ。
性別にだって、健常者と障がい者にだって、グラデーションがあるのだ。
私も健常者と思い込んで40年近く生きてきたが、アスペルガーだったり、ADHDだったり、発達障害だったりというようなものがグレーゾーンとして自分にあることに、近年ようやく気がついた。
もしも保守派が、「アイドルを名乗るなら未成年でもいままで通り水着になるべき!」みたいな勢いで変わらず主張していたら、日本のアイドルは時代遅れになって、存在すら危ぶまれるのではないかという気がしてならない。
世界は、男尊女卑の思想にはもう戻らないのだ。絶対に戻らない。
だからこそ、和田さんがアイドルとして、当事者としてそれを問うことに、私は大きな意味を感じる。
私のようなおっさんが代弁することにはさほどの価値はない。
先日、フジロックの中継を見ていた。
黒人女性アーティストのジャネール・モネイは、黒人、LGBTQ、障がい者、移民、女性など、権力に抑圧された人たちのために戦うと言った。
その姿は、どこか和田さんに重なった。
世界では、こういう人が当たり前に多くの人たちの勇気になっている。
日本がまだまだ難しいのなら、海外に出てゆけばいいんじゃないか。
「和田さんは本気で世界平和を考えている」と、だれかアンジュのメンバーが言ってたような。
いいね!夢見たいじゃないか。私は乗りたい、この波に。
5年後、和田彩花さんが30歳のアイドルになった時、
「和田彩花って、ハロプロだったんだってね~」
なんて会話がその辺でされるような、そんな未来が楽しみでならない。