私のぬいぐるみ
子どものぬいぐるみが無くなるとなんでこんなに寂しいんだろう。
それは、いつもうちの娘がぬいぐるみを抱きしめているからだ。これは決して大げさに言ってはいない。証人はいくらでもいる。
娘はとりわけぬいぐるみが好きである。
プライオリティの高い順だと、一番はしまじろう。どこへ行くにもだいたい持っていく。
次が「いないいないばあ!」のワンワン。
それから、お下がりでもらったドキンちゃんとメロンパンナちゃん。
しまじろうとワンワンはどちらも既に2代目である。
初代しまじろうは、ベビーカーに乗りながら抱いているうちに、いつのまにか落として無くなってしまった。私も気がつかなかった。
初代ワンワンは多分、妻がカバンから落とした。本人は怒り気味に否定するかもしれない。しかしおそらく間違いないので仕方がない。
まだ、いつのまにか新しいものに代わっていることが分かる年齢ではない。
無くなっている間も、だいたいあまり気にしていない。
どちらかというと、親である私の方が気にしているかもしれない。
今日も、昼下がりにベビーカーで散歩をしていると、持っていたドキンちゃんを道に落としてしまった。
「あれ?あれ?ない!」
娘がそう言ったことで私も気が付いた。
慌ててもと来た道を戻るが、なかなか見当たらない。
その間、娘も「ドキちゃん!ないねー、ないねー」と言いながら探している風だが、なにぶんまだ赤ちゃんなので楽しそうである。
逆に私は、娘がいつも大事に抱いていたドキンちゃんをなくしたことに、ずっと胸が締め付けられるような気持ちだった。
「ドキンちゃんどこかな?あるかなあ?」と話しかけながら家の方まで戻ってきてしまったので、もう一度同じ道を辿る。
道の途中に、ドキンちゃんは落ちていた。一度通った時は気がつかなかった。
「あったよ!」
娘に渡すと、ギューっと抱きしめた。
「もう落とさないようにしっかり持っていてね」
そう言うと、小さく「うん」と言って、さらにギュッと抱いた。
かつてしまじろうやワンワンが無くなった時よりも、自分の大切なものを理解できるようになっていると思った。
母親の化粧の真似をしたかったのか、クレヨンで顔を塗られたために薄黒いドキンちゃん。
怒るとたまに道に投げつけられたりして、毛玉だらけのドキンちゃん。
それでも大切な娘のドキンちゃん。
もしなくなったら、同じものを買うのは簡単なことだ。
でも、同じものを買っても、それじゃ嫌なんだと。
このドキンちゃんこそが代わりのいない、私のドキンちゃんなんだよと。
そういう気持ちの子に育って欲しいと思っている。
ちなみにしまじろうは、仙台の実家に忘れてきて、数日不在状態が続いている。