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原作者から解説する、映画『あの頃。』の背景と実際に起きていたこと。その1

自分が原作のとってもとってもおもしろい映画「あの頃。」が公開してしばらくの時間が経った。

つくづく思うが、自分の作品が映画になることなんて、この人生でもう無いのである。

少なくてもスタッフも豪華、キャストも豪華で全国TOHOシネマズ170館規模の映画となると、何度生まれ変わっても体験できないだろう。
公開されたということは、終わりが始まったということなのだ。一生に一度きりの体験は、もうピークを越え、過ぎ去って行く。

もう監督も、松坂さんはじめとする俳優さんも、次の作品に向かって進んでいるのに、私だけがずっと「あの頃。」に留まっている。特に次が無いからだ。これも寂しさに拍車をかける。


映画の評判自体は、当然賛もあれば否もあるわけで。
特に私たちハロプロあべの支部・恋愛研究会。の存在自体や行ってきたことに関しては、ホモソーシャルだ、露悪的だと批判する方もいらっしゃるし、時には原作者で主人公のモデルとなっている私への人格否定のようなものもあるので、ちょっと悲しくなってしまったりもするのだが、この人生そんなに注目されたこともなかったので、それもまあ仕方のないことであろう。

ここでは、そんな映画に対する意見を参考にしながら、劇中では描かれなかったことや、実際に起こったことを私の記憶で書き綴ってみたいと思う。

映画「あの頃。」をみて、「あれはどういうことなんだろう?」と疑問が残った人や、もっと私たちのことを知りたいと思って下さった珍しい方々に、サブテキストとして届いたら嬉しい。

逆にまだ観ていない人は、ぜひ観た後に読んでください。



「あの頃。」は、2000年台初頭のハロプロファンの男性たちの姿を描いた作品として宣伝され、私のことや原作を知らない多くの人は、きっと当時のハロプロファンにとってのあるあるが観られるものと期待していたようだが、全くそんなことはない。

並べて語られることの多い「花束みたいな恋をした」もそうだが、この手の映画の感想は「共感した」人は高評価、「共感しなかった」人は低評価、というものばかりだ。
SNSでバズるものと一緒で、人の反応って随分単純なんだな、と思う。

私は、多くの人が感じるような平均的な共感には全く興味がない。共感を意識して作品を描いたことがない。
むしろ平凡と言われる人でも、その人の生活の中にある極個人的なものこそ面白いと思っている方だし、逆に「あの頃。」に出てくる人たちは、よくぞこんなのが揃ったなという奇人ばかり。そういう特殊な人たちのことを描きたかったものである。
なので、もし映画に共感できる何かを感じたのに、実際の話を知ると全然違うもんだからなんかガッカリだよ!…となりそうな方も、この先はご注意くださいな。



さて、映画の冒頭に出てくる、ハロプロに出会う前の私(演:松坂桃李)は、学力が足りなくて大学院に進学できず、覚悟を決めて打ち込んでいたバンド活動にも未来を感じられず、行き詰まった貧困ワープアフリーターだった。

バンドは、映画内でこそギター、ベース、ドラムのよくありそうなスリーピースバンドで、私を演じる松坂さんを叱りつけているギターボーカルが中心のグループなんだろうな〜という雰囲気に撮られていた。しかし実際の当時私がやっていたバンドは、キーボードボーカル、ベース、ギター、ドラム、大太鼓という編成で、元々は山塚アイさんが90年代にやっていたUFO or DIEみたいなことをやろうと始まったノイズバンドであった。


甲子園球場であれだけの存在感を誇る大太鼓がメンバーにいて、それに負けない音で他のみんなも頑張るので、とにかく音が物理的に馬鹿デカいのが特徴だった。

時代考証と再現度がイチイチ高いことを評価されている映画「あの頃。」であるが、もしあのバンドが映画の冒頭、本気で再現されていても、観た全ての人が「え…プロのミュージシャンを目指している設定なのに、こんなわけわからんバンドで売れるわけないじゃん…」と思うだろう。

しかし、当時の大阪のアンダーグラウンドシーンは「関西ゼロ世代」というムーブメントの起きる前夜。当時お互いイベントに呼び合って一緒にライブを繰り広げていたオシリペンペンズ、あふりらんぽ、ZUINOSIN、ワッツーシゾンビなど、とにかく誰もやったことのないことの追求に命を賭けたバンドたちとともに、何か起こりそうな空気が流れていた。実際に私のバンドもその渦中で、ダイナミックすぎるヤバい奴らがいると局所的に注目され出しており、当時の私は、このバンドでのし上がってやろうという気概に満ちていたのであった(少なくとも結成当初は)。まず、主人公の出自が実はそんな有様で、「夢見るバンドマン」という言葉から想像する人物像からは程遠いのがちょっと切ない。2021年の今となっては共感度ゼロである。

また、その頃の私は、家では古い日本のフォーク・ロックを好んで聴いていた。これは、10代の終わりから傾倒していたガレージパンク好きが、GSを経由して辿り着いたもので、中でもフェイバリットはジャックスだった。映画の冒頭、松坂さんが「サルビアの花」を歌っているのはそんな事情がある。

普段、暗い部屋で一人ジャックスとか休みの国とか、浅川マキなんかをどんより聴いていた人間が、突然松浦亜弥と出会い、ハロプロばかりを聴くようになる。それがこの物語の始まりで、実際の私に起こった変化なのであった。


そんな私が出会う友人が、「ハロプロあべの支部」の人たちだ。

映画の中では、松浦亜弥に衝撃を受けた劔が、すぐに仲間たちと出会ったような時間軸で描かれるが、実際の私は数ヶ月、仲間もいない一人の在宅ヲタ活動を経験している。SNSもYouTubeもなかったその期間、私はBUBKAなどのメディアやネットでハロプロについての情報を溜め込んでいき、勇気を出して一人で行ってみたトークライブの現場で彼らと出会うことになる。

映画の感想には、「なんでトークイベントとかやってるの?半ヲタ?」「普通のハロヲタはあんな感じじゃない」みたいな意見も見られた。当然だと思う。

そのトークイベントは、当時東京で絶大な人気を誇っていたハロプロオンリーDJイベント「爆音娘。」の大阪編に併せて日本橋で開催されたもので、確か爆音娘。主催のビバ彦さんや、DJの掟ポルシェさんもゲスト出演していた記憶がある。

当時東京で人気コンテンツと成長した爆音娘。は、それぞれ地元のオーガナイザーによって地方にも招致され、規模を拡大し始めていた。例えば新潟に爆音娘。を呼んだのは、のちにNegiccoのコンポーザーとなるconnieさんで、私の高校の一個上の先輩である。高校の時はコーラばっかり飲んでる上手なドラマーだったが、知らないうちにモーヲタになっていたのであった。

そしてその時2回目の開催となる大阪爆音娘。を仕切っていたのが、ハロプロあべの支部の西野さん(演:若葉竜也)だ。西野さんは自身でもテキストサイトを運営していて、モーヲタ言論人として関西のヲタの中で頭角を表している人物だった。

そして、トークライブに訪れた私は、記憶にある顔を壇上に見つける。それがイトウさん(演:コカドケンタロウ)である。当時彼は、大阪ミナミのディープスポットである三ッ寺会館にあった「ガンジャ」というバーでバイトをしているバンドマンで、そこはアンダーグラウンドなバンドマンたちの溜まり場でもあった。私がガンジャを知ったのは、友人であるオシリペンペンズの石井モタコさんがバイトしていたからだったが、実際に訪れたその店で過去私はイトウさんと話したことがあったのだ。

関西アンダーグラウンド界隈とモーヲタという、当時はあり得ない点と点がイトウさんで繋がり、テンションが急上昇した私は、意を決して終演後イトウさんに声をかけた。普段は遠慮がちの自分には珍しい行動だったと思う。そして、イトウさんから、「実はあの人たちは「赤犬」やで」と教えられる。トークライブの出演者だったロビン(演:山中崇)、リシュウ(原作にはメインキャラとして登場するが、映画にはいない)という二人が、関西で人気のある「赤犬」というバンドのメンバーであることを知ることになったのだ。

赤犬は、大阪芸術大学出身のメンバーによって結成された13人組のバンドで、当時すでに大型のフェスにも多く出演し、東京でワンマンも成功させているような、いわば関西アンダーグラウンドで最も人気のあるバンドだった。赤犬はメンバーの半分くらいがモーヲタで、イトウさんはその大学時代からの後輩だという。

聞けば、大阪芸大時代からのバンド仲間で、あべのを中心に遊んでいた彼らが2000年くらいから徐々にモーニング娘。にハマり出し、私と同じように、大阪で初開催の「爆音娘。」というイベントにみんなでいってみようということになった。そこで、「この人は面白そうだから、話しかけてみよう」と、仲間になったのが西野さんだった。それから、詳しい経緯はわからないが、赤犬のリーダー(この人はモーヲタではない)と高校の同級生だったコズミン(演:仲野太賀)が合流し、「ハロプロあべの支部」が形成されたのだという。

ナカウチさん(演:芹澤興人)は、映画のようなレコード屋の店員ではなく、そのトークライブが行われた日本橋のフィギュア屋が併設するイベント会場の、ブッキングマネージャーだった。その店では、アンダーグラウンドな劇団の芝居から、アンダーグラウンドな関西のお笑い、そして局地的に人気のあったネットラジオ界隈などの怪しげなイベントを夜な夜な行っていて、バンドマンではないコズミンも一人でAVやアニメの話をする「もっこりアワー」というソロイベントを何度か開催していた。とにかく、アンダーグラウンドなバンドからお笑い、その他ジャンル不問のサブカルな現場で何かを発信していた人たちが「ハロプロあべの支部」、そして私が合流して「恋愛研究会。」という遊び場になって行くのである。

モーニング娘。は社会現象を巻き起こすようなメインカルチャーだった故に、私がいたようなアンダーグラウンドな世界では、そんなメジャーなものは否定され、バカにされることが多かった。マイノリティな世界の中でも、さらに希少なマイノリティだったので、私たちは集まることになったように思う。

とびきり面白く、特殊な人たちがたまたまモーヲタをやっていた。私にとってそれはとても自然なことだった。だって、モーニング娘。はとびきり面白かったから。

(その2へ続きます。)

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