神聖かまってちゃんのちばぎん脱退と、音楽で食べて行くということ。
神聖かまってちゃんのちばぎんが今年いっぱい、というか、年明けのツアーファイナルで脱退する。
ちばぎんが、子どもが生まれることになり、バンドを辞めるということは、発表の直前に天野くんから電話で聞いた。
それ以前に、恥ずかしながら、私はちばぎんが一年前に結婚していたこともその時知ったのである。
ほんと、恥ずかしいじゃないか!?
なんで本人含め誰も教えてくれないんだよ!
Twitterでも全然見なかったってどういうことだろう。ハロプロのことばっかり見てたせいか。その時たまたまなのだろうけど。
奇しくもmonoくんの離婚のほうはしっかりネットで見たのに。
神聖かまってちゃんのスタッフをしていた頃にファンの人を大勢フォローしていたはずなのに、みんなどこへ行ってしまったのかという問題もある。
私がスタッフを辞めたから、もう関係ないとブロックされてフォロー解除でもさせられたのかしら。
ふと見ると、全く動きのない捨てられたアカウントたちもたくさんあるではないか。
生活が変わり、他に興味関心が移ってしまった人たちなのかもしれない。
寂しいが、それが人生のうつろいだ。
それでも、誰かが夢中になった一時の輝きは、そうやってネットに残り続けている。
話が逸れたが、恥を忍んでちばぎんには一年遅れの結婚祝いと、早めの出産祝いを送り、発表後のネットの反応も、今度こそちゃんと見た。
するととにかく「神聖かまってちゃんレベルのメジャーバンドでも、金がないからと辞めなければいけないのか」という意見がたくさんあった。
まあ、普通に考えたらそうなるだろうな、と、なんだか感慨深くなってしまった。
一応、音楽産業の末端構成員として働いてきた経験からすれば、音楽で食えないのは、余程のレベルにならない限り当たり前のような感覚だった。
「売れている」「有名」なメジャーのバンドでも、作詞作曲のボーカルは食えているけど、他のメンバーはバイトをしているとかごく普通にあることだし、知られてないだけで副業をしているミュージシャンはいくらでもいる。
そこはもう、全くそんなことを思ってもいない音楽ファンが知ったら、音楽業界にはこんなに夢がないんだ!と絶望してしまうかもしれないレベルで存在している。
もちろん、ミュージシャンとしてスタートして、楽曲提供や、ラジオやコラムなどタレント的な活動をしてしっかり稼いでいる人もいる。メインのバンド以外に色々なバンドやサポート業をかけもちすることでやっている人もいる。
まあそれは、アーティストとして食えているには違いないが、バンドマンとしては副業の部類なのかもしれないが。
さらに、どんなに一度ブレイクして、数年間はいい調子でも、20年後、30年後、老後を考えたら、同じようにやっていける人がどれだけいるのかという問題もある。特に今の時代は、8センチシングル1枚で億が手に入った90年代とはスタートダッシュが違う。
そういう意味で、ちばぎんが辞めることを決めたのは当然のことなのかもしれない。
家族を持つというのは、誰かと暮らすというのは、それなりの覚悟がいることだ。
自分の都合で独身時代と変わらずにいられるなんて甘い考えでいられるわけがない。
逆に、本気で売れるためにやっているバンドだって家族のようなものだ。足並みを揃えるためには、覚悟が必要だ。
バンドでうまくいってバンバン稼いで、家族を養って、という全てを得るには、この日本社会も、音楽業界も、非常に厳しい状況なのかもしれない。
ちばぎん脱退のニュースでそんなことを思いつつ…一方で、そんな今の時代、もう音楽を仕事にすると思うこと自体に興味が無くなっている自分がいる。
私は、音楽に携わる仕事をしたいと思って上京してきた過去がある。
自分の所属するバンドでメジャーを経験したことはないが、神聖かまってちゃんのスタッフでメジャーレーベルを経験した。
2009年、パーフェクトミュージックで仕事をやり始めた頃は、自分も有り余る大志にあふれていて、神聖かまってちゃんが多くの弱い人たちを救ってくれる、今の時代に絶対必要な音楽になると思ったし、彼らが音楽で大金を手にするような売れ方をすることを夢見ていた。
大物ミュージシャンたちとの交流で、売れる人とはどういう器の人なのか、いつまでも売れない人は何が悪いのか、みたいなことを学べた気がして、日々売れるため、売るために自分がやるべきことについて考えていた。
ただ、何年かするとそこには、いつもどうやって話題作りをするか、みたいなことばかり考えている自分がいた。
必死でアイデアを考えたことが功を奏して、yahoo!のトップニュースを取れたこともある。
その時は大喜びしたし、そういう自分と関わった方々の仕事は今でも誇りに思うが、それ一つで簡単に誰かの人生が変わるわけではなかった。
もちろん、変わることもあるかもしれないし、長い目で見た時にそれが大切だったということもあるかもしれない。
でも、だいたい何か大きく変わることは少ないんじゃないか。
そのうち、バズったからって何だっていうんだよ…と、どこかで思っている、冷めた自分に気が付いた。
いつも、多くのファンたちが、神聖かまってちゃんにもっと売れてほしい、売れてほしいと言っているのを見てきた。もちろん私も、もっと売らないと!と、そう思ってやってきた。
でもいつからか、そんなことより、神聖かまってちゃんの音楽に救われたとか、神聖かまってちゃんの音楽があるから生きていけるとか、そう思っている人たちが今これだけいること、その素晴らしさを大事にすることのほうが大切な気がして、それなのに一生懸命話題作りのことばかりを考えている自分に違和感を感じるようになった。
売れてるものは良いものかもしれないけど、良いものが全て売れるわけじゃないのは当たり前のことだ。
売れてない、有名でないものが、売れて有名なものより劣っていることなんて絶対にない。
初めてバンドを組んだ時、フジロックは出るまで行かないと決めた。
でも一度バンドを辞めて、その時は、もうフジロックには一生行かないんだなと思った。
それが2011年、巡り巡って、あら恋でフジロックに出ることになった。入場規制のフィールドオブヘブンで、雨の中踊る人たち。
夢が叶った瞬間だった。
でも、実際にフジのステージで演奏してみたら、それは決して自分のゴールではないと感じた。別に思い出作りのために音楽やってきたわけでもないし。
これからも続いてゆく活動の、一つの出来事にしか過ぎなかった。
それ以降フジロックに呼ばれたことは10年近くない。
また出たいという気持ちはあるが、別に出られないことを悲観する気持ちはない。
フェスで1万人の前で演奏したことも、数十人のライブハウスで演奏することも、自分にとって特に何も変わらなくなった。
だから、言ってしまえば別に今のままでいい。
ま、1人2人しかいなかったらさすがに寂しいかもしれないが、ゼロよりはマシだ。ゼロだった時は…その時は、またゼロからスタートだ。
お金や人数だけの価値観にとらわれたくなくなったので、私は、音楽の仕事は自分には向いてないと確信した。
だから仕事は辞めた。
そうして私は音楽ビジネスからの脱落者になったが、別にお金にならなくても、自分が素晴らしいと思う音楽だけは一生やっていきたいと思い、今がある。
別に金にならないどころか、損したって辞めることはない。生きてくための仕事じゃないから。ライフワークだから。むしろ、それがあるから人生が輝いて、生きて行ける。
もちろん、神聖かまってちゃんをはじめ、音楽のビジネスで頑張っている人たちは、これからも頑張ってほしい。以前より難しいかもしれないけど、夢は間違いなくあるし、きっとやり方はいくらでもある。
ちゃんとミュージシャンを食べさせるビジネスモデルだって、考えてくれる人が出てくるかもしれない。
ちばぎんはかまってちゃんを辞めて、これから先、音楽はどうするのだろうね。
私は、落ち着いたらまた何かやればいいと思うよ。
ただ、まだまだ売り上げや人数が価値観の主流だから、かまってちゃんの時はこんな大きいところでライブしてたのに、今はこんな小さなところで、こんな少ないファンの前で、とか言う人もいるかもしれない。
でもそんなの、全く気にする必要はないと思うんだよ。