橋姫(はしひめ)
『古今和歌集』に次のような歌がある。
さむしろに 衣かたしき 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫
(巻第十四恋歌四 689)
現代語訳は
筵むしろに、自分一人の衣だけを敷き、今宵も私を待つのだろうか。あの、宇治の橋姫は。
とあり、京の都から離れた宇治という事で、遠距離恋愛を詠んだ歌のようだ。
ここで詠まれる「橋姫」は橋の袂の境界の神様だが、とても嫉妬深いとされている。特にこの「宇治の橋姫」(京都府宇治川の宇治橋で祀られる)は『艶道通鑑』『平家物語』などに登場し、多少の差異はあるものの“逆恨み”で嫉妬に狂った女性が鬼と化したもの。
また鳥山石燕は同じく『今昔画図続百鬼』にある「丑の刻参り」とこの「橋姫」を対比させる事で橋姫がこの有名な丑の刻参りの原型である事を示唆している。
ここで『新古今集』より
きりぎりす 鳴くや霜夜(しもよ)の さむしろに
衣(ころも)かたしき ひとりかも寝む
(後京極摂政前太政大臣(91番) 『新古今集』秋・518)
この歌はもちろん冒頭の『古今集』の本歌取りだが、さむしろ(狭い筵)に衣の袖を枕にして寝るのは独り寝の所作のようだ。
ならば「宇治の橋姫」は「我」が来ない事は分かっているのに待ち続けているのではないかと思う。
さむしろに 衣かたしき 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫
これらの事を踏まえてこの歌を詠むと、一方的な片思いを募らせ、恋が実らないと知りつつもその情念を抑えられない橋姫の姿が浮かんでくるようで、冒頭の現代語訳とは全く違う景色が見えてくる。
因みに古語で愛おしいことを「愛し(はし)」とも言うようだ。橋姫とはただ「愛し・姫」という意味の語呂合わせなのかもしれない。