『誰がために花は咲く』第十六話(第三章 地を這う星よ~グルーの物語~)
「なんだと!」
グルーは立場も忘れて激怒した。思わず体が動かない事を忘れ、隻眼を燃やし、カロに躍りかかる。だが拳は力無くカロの前で止り、その身に届きすらしない。
グルーは自分のふがいなさに歯ぎしりし、カロとセヲォンを膿んだ右目で睨み付けるのみであった。
「気持ちは分かるが、そう怒るでない。やむにやまれぬ事情があったのだ。それにカロの亡くなった妻、メリアはお前と同じ病の者であった」
「なぜ、病の者が、自ら必要な薬草を絶やした!?」
「それは、おいおいカロから聞くが良い。だがその前に、グルーよ、我々もお前に聞きたいことがある」
セヲォンがゆっくりと、大きな窓の側にある机に近づく。そして、そこに置いてあった、なにかを手に取り向き直った。
「グルーよ、この短剣と帳面はどこで手に入れた?」
果たしてセヲォンの手には、グルー愛用の短剣があった。そしてそれが刺さった朽ちかけた帳面も。あの廃墟で見つけた古びた帳面である。
「それは俺の短剣……」
「グルーよ、質問に答えよ。これはどこで手にしたのだ?」
「短剣は俺が遠い昔、長く暮らしていた、赤い花の平原で見つけたものだ。帳面は廃墟の傍に落ちていたもので、なにも知らん」
セヲォンとカロが身を乗り出してグルーに迫る。
「赤い花の平原とは、ズームグの王都跡のほとりにある、あの呪われた平原か」
「……そのとおりだ。それがどうかしたのか」
「やはりそうか……」
セヲォンとカロは合点したとばかりに頷いた。
「不思議な運命だ……やはりあの二人は時を超えて繋がりあっている」
「はい、セヲォンさま……」
グルーはひとり話について行けず、戸惑い、不審げに隻眼を光らせた。
それを見てセヲォンが静かに語り出したのは、遥か昔となった、薬草の発見にまつわる物語であった。
「遠い昔……余にはヴォーグという親友がいた。余の姉、テセの女王セシリアの勅命により彼はエスターという娘と旅に出た。病を癒やす薬草を求める旅だ。……その旅の途中でエスターが落としたのが、そのお前の短剣だ。そして、ヴォーグとエスターは、エスターの故郷ズームグで見事役目を果たし、薬草を我が国にもたらし……そして、ふたりは惹かれ合っていた。だが、その愛は叶うことなく、ふたりはそれぞれ不慮の死を遂げた……」
セヲォンは遠い日を夢見る眼差しで語を継ぐ。
「……エスターは死ぬ直前、余に、ある歌のことを尋ねた。余には聞いたことの無い歌だった。だが、気になっていたのだ。ずっとな、その歌の正体を。ここにいるカロを館の管理人に選んだのも、彼は学生時代、詩の研究をしていたからでな。だが、カロもその歌のことは、全く知らないと言う。……だが、だ、ある日突然その歌は我々の前に現れたのだよ。それがあの、お前の短剣が刺さっていた、朽ちた帳面だ。そこには記されていたのだよ、忘れもしない、あの歌の歌詞が」
ながれる みずが そのすえに
注ぐ うみは 永久のうみ
なにも かもが 集まって
いつしか 地の果て たどりつく
おおきな石も
ちいさな木の葉も
いきつく先は みな おなじ
いきつく先で 見るものは
おまえが望む 夢のあと
おまえが望む 夢のあと……
「そして、気づいたのだ。古びているが、余には分かった。この筆跡は余の友、ヴォーグのものだと。この歌はヴォーグが作った歌だったのだ。この帳面は、ヴォーグが国境警備隊勤務時代に詩を書き溜めていた帳面だったのだと。……余は知らなかった、ヴォーグにまさか詩を書くなどという、意外な一面があったとは。長い仲であったのにな。かように、人とは多様な顔を持つ生き物だ」
そして大きく息を吐くと、セヲォンは言った。
「つまり、グルー、どういう運命の悪戯か、お前が引き合わせたのだよ。ふたたび、
エスターとヴォーグを……エスターの短剣とヴォーグの歌という思いもしない形でな」
4人の間を、すうっ、と静寂が支配した。
「グルー。お前からすれば、どうでもいい話かも知れぬ。だが、余の成し遂げられなかったことをお前は、偶然にもだが、成してくれた。礼を言う。傷が癒えるまで、ここで好きなだけ休んでいくと良い……」
その言葉の最後は消え入らんばかりであった。
話し終わったセヲォンは背をかがめ、大きくグルーに一礼すると、部屋を出て行った。
グルーは日に日にメリエラの看護のおかげで回復していった。傷が癒える頃には、メリエラと少しずつお互いのことを話すような関係にもなっていた。
グルーにとっては亡くした妹、ミリの面影をメリエラに見いだすのが幸せなことであったし、何よりも、このような他人からの献身的な愛に触れるのは、グルーは家族のぬくもりを亡くして以来のことだった。
同時にグルーは、これまでの自分の人生を振り返り、その意味について考え込むことも多くなった。目の膿はいよいよ青黒さを増している。グルーも病の身であり、いつかこの命が疫病で滅ぶのは、時間の問題、神の気まぐれ次第である。
そのなかで、自分はなにを成してきたのか。病の者どもの国を作ると、その一心で生きてきたが、その間に手はあまりにも多くの血で染まった。グルーは初めて、自分のこの世への憎しみの深さが恐ろしくなり、また、自分の罪に怯えた。
そんなとき、心の慰めになるのはメリエラ、またはカロとの何気ない会話であった。
または、ふたりから聞く、自分が思いかけず繋いだエスターとヴォーグの物語であったり、カロの妻であり、メリエラの母である亡きメリアとカロの物語である。
ことにグルーの心に残ったのは、こんなメリアの話であった。
ある夜のことである。メリエラとカロが、星が今宵は殊更きれいだから、と、バルコニーにグルーの寝台を引っ張り出した。3人はしばらく、きらめく星座に見惚れた。が、次第にグルーは、まばゆいほどの星の光に、美しさよりも恐怖を感じた。
暗闇で、ぶるっ、と震えたグルーの気配を感じ、メリエラがそっと言った。
「母さんはね、病で死んだけど、私たちにいつもこう言っていたのよ。神殿では、恐ろしいことが行われてはいたけど、いろいろ素敵なことも、教えてもらえたのよ、って」
「素敵なことってなんだ? あの神殿で?」
「私が気に入っているのは、こんな話。私たちはもともと、宙を天翔る星々であってね、なにかの拍子で、この世に墜ちてきてしまった存在なの。それがなんの罪によるか、穢れによるかは、私たちで想像するしかないけど、せいいっぱい、この世の地を這うようにでも生きれば、また、死んだら、星の世界に還れるんだって」
「この世の地を這うように……か」
「そう、わたしたちはこの世の地を這う星なのよ」
「いつか、あの天に還るためにか……そうか……」
「なに、他人事のように言っているのよ、グルー、あなたもそうよ」
メリエラに突然言われて、グルーは虚を突かれたようになった。
「俺が? 俺は無理だ……」
グルーは自嘲した。自分がたとえ星であっても、地を這って生きているとしても、その生はあまりにも赤く染まりすぎている。
――自分がメリエラやカロたちのような人間になるには、いささか遅すぎたな……。
グルーは自らの銀髪を撫でながら、片目に光を落とし、そう思う。
そんなグルーを見てカロがぽつりと言う。
「それを言うなら私も同じだ、グルー。私は成り行きとは言え、あの薬草を、エスターとヴォーグが死ぬ思いで探してきた薬草を、絶やしてしまった……」
「だが、カロ、あんたは真っ当に生きて、こうやって娘を育て、そのうえ、一国の王の信頼を得て生きている」
カロはさみしげに笑った。
「……そう言われればそうだ。たしかに私は、メリアと行動を共にしたことに悔いは無い。だけど、薬草を絶やしてしまってよかったのか、悩まぬ日もない」
メリエラは暗闇の中でそっと父に寄り添った。
「それは母さんも同じだったと思うわ。だからこそ母さんは、セヲォンさまが貴重な薬の残りを手渡しても、決して飲もうとはしなかった……」
「そうだったな。結局のところ、我々は等しく地を這う星だ。天にいつか還れると信じて、その確証もないのに、じたばたと地を這う星々だ……」
その夜、そのまま3人は長いことバルコニーで星を見上げ続けた。グルーの体が冷えるまで。
いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。