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『誰がために花は咲く』第一話 (第一章 名も無き花~エスターの物語~)
『誰がために花は咲く』あらすじ
疫病が数百年蔓延る大陸。剣士の少女エスターは病に罹患し、旅の途中、軍人ヴォーグと王弟セヲォンに捕えられる。エスターはヴォーグと薬草を探す命を受け、役目を果たす。しかし惹かれ合う二人は非業の死を遂げる。(第一章)
第一章から二十年後。少年カロは生贄になる運命から逃れてきた神官メリアを助ける。カロはメリアと共に自分と父の素性、そして薬草に隠された恐ろしい謎を暴く。(第二章)
第二章から更に二十年後。病の青年グルーは「病の者の国」の建国を目指し戦うが敗走。彼を救ったのは老いたセヲォンとカロ、カロの娘メリエラ。セヲォンはグルーに国を譲位する条件を持ちかけ、それにより遂に薬草の花が花開く。(第三章)
いつからだろう、鷹が空高く旋回するのを見たとき、目をこらす癖がついたのは。
思えば産まれてことから、空の青がにじむのも、花が香るのも、木々が風にざわめくのも、夕日が赤く照るのも、みな回りの大人は肩をすくめこう言う。
「あれは不幸の予兆」と。
だが、そういわれても幼いエスターは自然の中を駆け回り、芝を転げ、花を摘み冠を編むのをやめられなかった。怒られもしたが、それも寧ろ心地よかった。自然の秘密を自分だけが知っている。そんな誇り高い気持ちになった。色めき息づく自然はエスターそのものだった。その年月は光り輝いていた。いつしか知っていたのだ。この世で自然がざわめくのは、ごくごく当たり前のことで、ただ、人がそれに不幸を結びつけて止まないだけだということを。
しかし、同時に、エスターは、なぜ人がそこまでして自然を忌み嫌い恐れるのかも分かっていた。この世に何百年と蔓延る疫病が、人の心を暗く照らし、何もかもを疑心暗鬼にさせていると。そして、そんな世ゆえ、自分と父はこの村に暮らすのを許されており、存在を認められているのだということも、エスターには物心ついた頃から理解していた。
エスターとその父は、その村の用心棒だった。エスターは母の顔を見たことが無い。
「ずーっとまえにね、あの病気で、しんでしまったんだよ」
それだけが母に関してエスターが知っていることだった。ついでエスターが知っているのは、それゆえ、父と乳飲み子だった自分が故郷を追われたことである。そして、もとは城仕えの名高い剣士であった父はこの村に流れ着き、いまは用心棒として村の安全を守っている。それがエスターの知りうる自分たちの素性全てであった。
そしてエスターも、もう、歳は16を数える。エスターは、年老いてきた父とともに、女だてらに、この村を守る半人前の剣士であった。それでもエスターは幸せだった。剣士の修行はもとから好いていたし、その合間に村中の丘という丘を駆け回り、芝に寝転び、流れる白い雲を眺めるのはこの歳になっても止められない。エスターはだから日々を愛していた。この世を愛していた。たとえ大人たちがなんとこぼそうと、疫病は静かにその日々を脅かしていても、エスターは世界を愛していた。亜麻色の髪を季節の風になびかせながら、そんな日が永遠に続くと、エスターは何の根拠も無く信じていた。
だからその日も、鷹が空高く旋回し、自分の村の上をゆっくり飛び、高らかに鳴きながら羽ばたくのをただ眩しく見上げていた。
「あれは死人を食らう鷹だな」
村人がそうつぶやいた。
「山向こうの村が病で息絶えたってよ、みんな死んだってよ。その屍肉を食らってきたのに違いねえ」
そんな噂は七日ほど前から、エスターの暮らす村にも流れていた。エスターももちろんその噂は耳にしていた。だが不思議とその鷹が汚らわしいものにはエスターの目には映らなかった。たとえ屍肉を食らって飛ぼうとも、空高く羽ばたくその姿は美しい。そしてなにより自由だ。結局はこの暗い人の世を、皆が自然と結びつけているだけのことだ。ぼんやりとそんなことを考えながら、エスターは鷹が遠くの空に飛び去るのを見つめていた。
「エスター!」
はっとして振り向けば、そこには父の姿があった。
「何をぼんやりしているんだ、帰るぞ」
父はそう言いながら、村人から分け与えられた食物を馬の背にくくりつけている。エスターは慌てて飛び起き、髪についた芝を払うと、自分の馬に飛び乗った。鷹の姿はとうに空の彼方に溶け、時刻はすでに夕刻である。急いで村はずれの家に帰る必要があった。父は荷をまとめると、無言で馬を鞭で叩き走らせた。そのあとにエスターが続く。父娘の馬上の影は夕焼けのなか、長く長く伸びてゆく。
「父さん、あの噂は本当かな」
「わからん、鷹が飛べば、みな、ひとつ村が滅びたと言うからな。だが、間違いという証拠も無い。用心するにこしたことは無いな、わかっているか?」
父は手綱を引き寄せながら鋭い眼光をエスターに向けた。
「俺たちは何かあったらこの村を守っていかなきゃならん。そのおかげで暮らし、こうやって飯も分けてもらえる」
「分かっているよ、父さん」
「どうも女は肝心なときにぼんやりして敵わん。お前はもう俺の片腕だというのにな、しっかりしてくれよ」
父の口調はいつにも増して厳しい。エスターはそれに少し驚きながら聞き返した。
「……やつらが、この村にも来ると言うこと?」
「もし噂が本当なら、あり得ることだ。だから気を緩めるな。俺は念のため、今晩は、夜明けまで、村を見張る」
父は黙りこんだ。つられてエスターも無言となり、そして「やつら」に考えを巡らした。
ここ数年のことだ。人々が恐れているのは疫病だけではない。いや、人は疫病以上に、同じ人間を恐れていた。
「やつら」とは人間たちのことだ。それも、疫病に感染して死を待つしか無い病人が集団となって、村という村を襲撃してくる半死人の群れである。「やつら」は死を恐れない。怖いものなど何も無い。そして何より「やつら」は、健康な人間を憎んでいる。それゆえ「やつら」は人々を襲い、自らの病んだ体から迸る膿を浴びさせる。そうして、道連れを作ると、満足して、嗤いながら去って行くのだった。
それは、病以上に厄介で凶暴で、慈悲の無い襲撃である。
――それがこの村にも来るのか?
エスターは寝床に横になり、思いを馳せる。窓の外から梟の声が聞こえる夜半である。そうしたら、自分と父は、矢面に立ちこの村を守らねばならない。いままで幾度となく戦い撃退した山賊どもとはわけがちがう。自分は、死ぬのだろうか。エスターは初めてそう思った。
死ぬのは怖くなかった。幼い頃から剣士として育てられたのである。いつかこういう日が来るのは、ぼんやりとだが想像がついている。だからこそエスターは世界を愛していた。愛する世界のために、いつか死ぬ。そう思うと高揚感から空はいよいよ輝いて見えるというものだ。怖くは無かった。だが……。エスターはひとり布団の中でつぶやいた。
「やつらから感染されたとして、そのうえ死ななかったら?」
エスターは初めて身震いした。想像がつかなかった。ただただ恐怖と嫌悪感がエスターの心に靄をかける。
想像がつかなかった。死ぬのは怖くない、怖くないはずだが、だが……だが……。
いつしか眠りに落ちていたエスターが目を覚ましたのは、窓からなだれ込む明け方の光だった。
――やけに眩しい朝日だ。
寝ぼけながらエスターは身を起こし、そして、自分の間違いに気がついた。火の手だった。村の中心部が赤く燃えている。エスターは飛び起きて寝床の横に置いてある剣を握った。
山賊か? だが、彼らが率いる獣の匂いはない。代わりに焦げた匂いとともに漂ってくるのは、微かな腐敗臭だ。これは……。
「やつらが来た……」
エスターは呟いた。夢の続きのようにぼんやりと口から言葉が漏れた。だが、つぎの瞬間、エスターは家を飛び出した。父のことを思い出したのだ。
「父さん!」
父が村を見張るいつもの丘も赤く染まっていた。
――あの中に父さんがいる! なんてことだ。自分も行くべきだった。
「くっそう……」
後悔の念が馬上のエスターの口からほとばしる間に馬は丘に至った。エスターは馬から降り、赤く染まる斜面を、剣を片手に駆け上がる。
その目に入ったのは、体の炎を払いながら剣を振るう父と、複数の人間の格闘である。
いや、人間の形をした人ならざるもの、「やつら」に囲まれる父の姿だった。
「遅い!」
「父さん!」
「俺はここで一戦構える、お前は村人を守れ!」
父ははっきりとした声でそうエスターに命じた。
――大丈夫だ、父は強い。半死人の群れに負ける父では無い。
エスターは、気を取り直して身を翻し、村の中心部に向う。
その時だった。鋭い鎌の一撃がエスターの背中を襲った。熱く鋭い痛みに、エスターはもんどり打った。声も出なかった。更に次の瞬間、倒れていく自分の体に無数の人間がのしかかり、嗤いながら押し倒すのを感じた。
崩れ落ちるエスターの意識は途切れた。ただ、強い腐臭と、けたたましい嗤い声、そして自分の名を叫ぶ父の声が遠くなる意識の中でかち合い、やがて虚無がエスターを包んだ。
どれだけ刻が経ったのか。
エスターはゆっくり瞼を開いた。鋭い痛みが背中に走る。自分が生きていることにエスターは驚愕した。だが、動けなかった。そして動かない自分の体が、なんともいえない腐臭を放つ膿に包まれている事に気づいた。これは……。エスターの意識は恐怖に覚醒した。
自分の声とは思えない叫び声が、エスターの口からほとばしった。
「静かにしろ……動くんじゃ、無い……」
その口を押さえ込んだのは、ほかでもない愛する父の手だった。がっしりとしたなじみあるその手は、やけに冷たかった。見れば、父もあの膿に覆われている。傷だらけの全身の至る所に、あの腐った膿がまとわりついているのが分かった。そして顔は、青黒かった。
「……父さん……」
「いいか……俺の言うことを良く聞くんだ……」
そう言葉を継ぐ父の体は、ゆらゆら揺れている。必死に、倒れまいとしながら、エスターの頭上で父が言葉を繋いでいる事に気がつき、エスターは言葉を失った。
だが、かまわず父は口を開いた。顔を苦痛にゆがめながら必死の形相で。エスターは父の言葉に聞き入るしかなかった。
「お前の体に放出されたやつらの膿は、俺がお前の傷口から吸い取った。だが、量が如何せん多かったな、俺の命を持ってしても、吸いきれなかった」
「……!」
「俺はもう死ぬ。当たり前だな、お前に放出された、致死量のやつらの膿を吸い込んだんだ。急激に毒が体内にまわっているところだよ、今まさに」
「……とお、さん……」
「いいか、よく聞け。やつらは俺が倒した。だが、お前はやつらに感染された。心しろ、お前の体は疫病に冒された。お前はもう元の体では無い。俺が毒を薄めたとはいえ、このままではいずれ死ぬ。だからだ、いいか、だけどだ、生きるんだ。生きるんだ。生き抜け。このまま黙って病に倒れるな。これは俺の命を引き換えにしたお前の運命だ。俺はいいんだ。お前を助けられたんだ。だが……だが……エスター……どんな手段を使っても生き抜け……」
エスターは急速にか細くなる父の声にたまらず飛び起きようとした。だが、動かない。動けない。動けないエスターの前で、どう、とついに父は倒れた。
「俺の娘……エスター……いいか、生き抜けよ……」
そして、父の姿と声はエスターの視界から消えた。父の声は、二度と蘇ることは無かった。
こうしてエスターの世界は黒く沈み、人の憂いに汚された。
空は再び輝くこと無く、色を失い、風はただ背中の傷を冷たくえぐるものでしかなくなった。
傷が癒えた頃、エスターは村を辞した。もうここで役に立つことはないし、寧ろ病の身となったエスターは忌むべき者となったからだ。その証に、その旅立ちを見送る村人はいなかった。
いつかの鷹が、空高く羽ばたきながら鋭く鳴いていた。
第二章 カレイドスコープ~カロの物語~
第三章 地を這う星よ~グルーの物語~
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