キャラバンフレイク
極寒の中掴んだ奇跡のイシガキダイ。しかしながら遠征1日目はその後何事もなく、気づけば日もとっぷり暮れておりました。
夜になり気温は一気に低下、既に気力を奪われていた我々がこのまま夜釣りに突入するのは到底無理でした。
「寒いから今日はもう宿に行かない?」と、びめし。「行こう、宿は岡田港から歩いて10分くらいの距離にある」待ってましたとJB、い駒さん。
「寒くて死にそうです」と宮田。
伊豆大島の夜道は東京都内とは思えないほどに暗く、ぽつりぽつりと点在する街灯の明かりだけが頼りでした。風足はますます強まり、貧果と相まって我々の足取りは重くなる一方です。
勾配のついた坂道を寒空の下えっちらおっちら歩くこと10分。ようやく遠目に見えた宿の微かな明かりは、疲弊した僕たちには輝いて見えました。
「ここです。キャラバンフレークっていうゲストハウスです」
「いやマジで寒い。早く入ろう」
ゲストハウスにありがちな広めの玄関に入ると、暖房の効いた奥の部屋から大学生くらいのお兄さんが出てきました。
「ご予約のい駒さんですか?」
「はい…」凍えながらい駒さんが答えました。
「こちら宿泊料金が先払いになってまして、お支払いの方お願いします。ちなみにお支払いに関してなのですが、『しまぽ通貨』ってご存知ですか?凄い便利でお得なんですけど…」
「しまぽ通貨?なんですかそれ?」
お兄さんの説明を要約すると、しまぽ通過とは都の助成のもと伊豆七島内で流通している電子通貨で、現金より3割引きで島内の飲食•宿泊等幅広いサービスを利用できるものだそうなのです。
「良いですね、今この場で申し込んで使えますか?」
「もちろんです。それではこちらのサイトから…」
わざわざお得な通貨を教えてくれるなんて親切だなあ、これも島の暖かさだなんて感慨に耽りながら、スマホ画面をぽちぽちしているい駒さんを尻目に、JBびめし宮田の三名はどやどやと暖房の効いているであろう客室に向かいました。
メタルジグやルアー満載の重量感ある荷物を下ろし一息ついたところで、宮田が一言。
「…腹減りましたね。夕飯どうします?」
「受付にカップラーメンが売ってたからそれを食おう。イシガキダイどうしようかな。冬だしクーラーに入れっぱなしでもいいけど」と僕。
「じゃあ僕捌きますよ、台所あるってい駒が言ってましたし」とびめし。
とことん気の利く男です。
支払いを終えたい駒さんも連れて備え付けの台所に向かいます。台所といっても掘建小屋のようなガレージにシンクと物置をくっつけただけのような場所でしたが、びめしが切れ味の悪い包丁を器用に取り回し、小さなイシガキダイをちゃっちゃと捌いてくれました。皿を準備するのも面倒なので醤油はそのまま身にぶっかけました。
果たしてそのお味は。
まずは捌いた人の特権兼毒味係で、びめしが捌きたての切り身を口に放り込みます。
「うん…美味い!これ美味いですよ」
「マジか。釣ったその日だから味しないと思ってたけど」
おっかなびっくり僕も一摘みすると、若魚ゆえか脂こそないものの、強い弾力の身を噛んで間もなく強い旨みと甘みが口に広がりました。確かにこれは美味しい。
い駒さん、宮田も後に続き、気付けばあっという間になくなってしまいました。
「もうちょっとデカければよかったね。流石にこれだけじゃお腹も空きますし、風呂入ったらラーメン食べましょう」
内地のコンビニより少し割高な受付のカップ麺を貪り、周到ない駒さんが用意したキリンビールロング缶に気をよくした我々。大学時代の宅飲みさながらに部屋を散らかした後は、い駒が発見したNINTENDO64の初代大乱闘スマッシュブラザーズ大会でひとしきり遊び、翌朝の釣りなどすっかり忘れて宴会を楽しんだのでした。
「それにしても伊豆諸島だけで使える電子通貨があるんだね。今後も来るだろうし、あらかじめ買い貯めしてもいいかもな」とい駒さん。
「そうねえ。教えてもらってラッキーだったね。宿泊費も3割引とかでしょ?お得だよね」とほろ酔いのJB。
そんなことを言いながら、8時間近い船での移動と10時間近く釣りを続けた疲労で、1人また1人と床についたのでした。
明日はいよいよ最終日。泣いても笑ってもこの離島遠征の今後を占う大事な1日です。
微睡みながら、暖かい布団の中で決意を新たにするのでした。
ところで、かつてお世話になった「キャラバンフレイク」には怖い後日談があるのです。
2019年6月。キャラバンフレイクはしまぽ通貨を悪用して都の補助金(3割引で買えるようにするために拠出していたもの公金)を横領していたことが報道されました。
……お兄さんの「便利でお得」が心からの善意によるものであったことを祈るばかりです。