ダメな自分も愛する。 SNSと自分の心得
忘れない方がいいと思い、今日の忘備録をメモ。
昼下がりに脳内で完結した思いつきと気づきのメモであります。
SNS時代の昨今、素敵・可愛い・かっこいい・センスいいものや人や暮らしぶりも、簡単に見られるようになった。
雑誌の世界は遠いファンタジーではなく、リアルな現実世界を発信者その人から直接受け取れるようになった。
素敵なもの、素敵な人、素敵な暮らし
多くのものを手に入れ充実している(ように見える)人たちが、世の中には案外たくさんいることがわかる。
そうやって、なんとなくダメージを負うのだ。
出来ている人たちと、出来ていない(ように感じる)自分と、頭の中で構図を作ってしまいがち。
素直に素敵と思いたい
素直にただ尊敬したい
でもなんだか落ち込んでしまう
「あぁ、今日も何も出来なかった」と思ってしまう。
なのだけれど、そんな自分も愛そうと思った。
「思った」と言うより、「決心」が近いかも。
私は、どんな自分も愛することにした。
力んで決意する!ではなく、ストンと落とす感覚の決意である。ただ単に「そうすることにした」のです。
そんなことを言うと、自分を甘やかすのは良くない・成長しない・向上しないと言う人もいるでしょう。
でも、そうではないのです。
「甘やかし」は、それがダメだと思っている、けど許す・許してしまうこと。ダメな自分を前提として、その上でそれを許すことのような気がします。
例えば、ダイエットをしているのにケーキを食べるなら、甘いものを食べる=いけないこと=ダメなことをしている自分。でも、それを許す。これが甘やかし。
ダメなんだけど許す。
ここに「あぁ、またやっちゃったダメな自分」という想いが起こって引きずってしまうと、心の健康に良くない。
そうではなくて、
ダメな自分への甘やかしではなくて、どんな自分も一旦自分の中で肯定する。
自分に対するネガティブな想いを持つことをやめることにする。先の例なら、「ダイエット中なのにまたケーキを食べてしまった自分」へのネガティブな想い。自分はやっぱりダメだと思ってしまうこと。これをやめるということです。
ケーキの例なら、ケーキを食べる前に一旦考える。このケーキは美味しそうだが、今食べるとダイエット計画は遠のく。今ひと時の幸せを手にするか、ダイエットを続けるか、この二択。
で、自分はどうする?
ここでもしケーキを食べる方を選んだとしても、決めたなら美味しくいただいて、めいいっぱい楽しい時間をすごすのだ。
で、どうする?
ダイエット計画の練り直しに進むだけ。
はい、次。
このさっぱり感。
目をつぶって、許して、後悔することとは違う。
インスタで誰かの素敵な暮らしを目撃して、「いいなぁ」と思って、「できてないなぁ、私」と思って、「でもそんな私も愛しているよ」と自分へのベクトルを向ける。
ダメな自分も愛している。
子どもを愛することに条件はいらないなら、自分を愛することにも条件はいらない。
なぜ自分自身には別ルールを適応させようとしていたのだろう。
自分にとって都合の悪いことをしたからといって子どものことは嫌いにならない。
私自身も、私自身にとって都合の悪いことをしたって、私自身を嫌いになる理由にならない。
別にそんな自分も愛していいじゃない。
それも自分。
行為と人を分けて考える。
その行動を精査するのと、その人自身を精査するのは違う。
ついつい一色単にしてしまいがちだけど、大きな違い。
ダメな自分へ蓋をして、自分に言い聞かせるのではない。ダメな自分を無理やり愛そうとするのではないのです。
むしろ断捨離のイメージに近い。
そんな私もいるよね、
こんな私もいるよね、
でも、そんな私も愛しています。
どんな私もまるごと好き。
私は私を丸ごと好きな私でいい。
常に自分を見る別の自分がいて、「そんなあなたも愛しているよ」って言ってるかんじ。
で、どうしようか?
はい、次。
はい、次ね。
一旦自分の中でストンと落として、リセット。
そうして後腐れなく次へ進める。
これってすごく健康的だと思ったのでした。