日記 │ 鈴虫寺
気づけば師走も半ばに差し掛かろうかという今日この頃。
いかがお過ごしでしょうか。
わたしは先日、1年間のお礼をお伝えするべく鈴虫寺に行ってきました。
鈴虫寺。正式名称は、妙徳山 華厳寺。
こちらでは、美しく心地のよい鈴虫の音色が響く書院にて約30分の説法を拝聴したのち、幸福地蔵菩薩様にお参りをします。
このお説法が本当にすきで。
時間がゆっくり流れる空間で、忙しない日々の中で忘れてしまいがちだけど、でも心にとどめておきたいなと思うことをユーモアも交えながらお話してくださいます。
気持ちが浄化される感じがするので年末、もしくは年始と、お誕生日の近くに伺っています。
以前3連休の真ん中の日に訪れた際に1.5時間くらい待ったので、それ以降は有給をいただいて平日に。
説法の開始時間は鈴虫寺のHPに載っており、今回は12:20の回を目指して11:45ごろに到着しました。
(待ち時間が長くなることにちょっとビビっている。ので早めの到着。)
12月の上旬。
紅葉が見頃でとっても綺麗でした。
80段の石段をのぼって、次の受付まで山門前で並びます。
わたしは2組目でした。
20分ほど待って受付へ。
いつもより少し人が少なかった気がします。年の瀬の平日だからかな。
お寺の書院、なんだか寒そうな気がするけれど、こちらではエアコン、ヒーター完備ですごくあたたかくしてくださってます。
説法の詳細については、ぜひ訪れてご自身できいていただきたいのでここでは記載しませんが、備忘も兼ねて簡潔にまとめると
・生きていたら良いこと悪いこといろいろあるけれど、何事も結局は受け止める自分のこころ次第
・今こうして平穏に生きられていることこそが幸せ
といった内容でした。
ハッとした。
この1年、特に下半期の半年は自分のことでいっぱいいっぱいになってしまっていたなと。
身の回りにあるとりとめもない、だけどかけがえのないちいさなしあわせを見つける努力ができていなかったなと。
結婚したとか子どもができたとか昇進したとか、どうしてもそういう話題が増えてくる年齢ではあるけれど、周囲と自分をくらべて落ち込んでしまうことが多い1年だったなと思います。
ハッとしたことがもう1つ。
「昨日誰かをほめた人は手を挙げてください」との問いに、わたしは手を挙げることができませんでした。
「感謝」のことばは伝えるように意識をしていても、(「ほめる」はすこしおこがましくとも)相手の素敵なところを言葉にして伝えるという大事なことも、まわりが見えていないからできてないんだなと。
Twitterをはじめ、SNSでいろんな場所にいるいろんな人とつながることが当たり前の、情報過多の時代を生きているからこそ。
だからこそたまには心も整理して、もっともっと心に余裕を持って。
周りに目を向けて、ちいさなしあわせを大切にすることができる人間になりたいなと、そう感じた2024年暮れの鈴虫寺参拝でした。
寒さも厳しくなってきたので、どうかみなさんご自愛ください。