浮かぶ日と、沈む日と
うつ病を抱えていると、どうしても浮き沈みがある。
たぶん、うつ病じゃなくても人は誰でも多少は浮いたり沈んだりして生きているのだろうけれど、精神疾患を抱えるとそれが顕著に現れる。
今日は、沈む日だった。
今朝は、夜が明けるまでとても長く感じた。
いつもはあまり気にならないのに、昨日はエアコンの音が、なんだか話しかけてくるように耳に響いて、寝ついたり起きたりを繰り返したように思う。部屋が明るくなった時、エアコンはもうそんな音を発していなかった。あれは私の気のせいだったのだろうか。ちょっと怖い。
それからなんとなくずっとだるくて、午後、ヨガマットの上で本を読みながらいつしか1時間程寝入ってしまった。起きると、身体がとても重だるい。頭もぼーっとして、気分はここ最近で1番最悪だった。
こうして文章を書いていても、心と頭と手が別々に動いているような、変な感じがする。自分が書こうとしていることは、実際に書いていることの全く逆なのに、手はそれをうまく捉えられず全然見当違いのことを書いているような気がしてくる。
もっと酷い時は、文章すら書けない。頭の中に渦巻いている言葉たちは、明確な形を取らずに、実態のない煙のように消えてしまう。無理やり追いかけて掴もうとすれば、胸の中心が痛み出してくる。うつ症状悪化のサインだ。ここが痛み出した時は、しばらく何もかも放り出して休むようにしている。
かつて健康だった時、「沈む」とは内省の意味であった。静かに自分の内面と向き合い、自分の内側で渦巻く想いや思考を整理する。その中で、詩や物語が生まれることもある。溢れ出る言葉を吟味して、創作する。そしてすっきりして、普段の生活に戻っていく。
しかし、うつを抱える今、「沈む」とは、言葉にならない「負」のエネルギーにひたすら耐えることを意味するようになってしまった。それは、吐き出すことも、飲み込むこともできない。恐ろしく黒くて巨大な津波のようで、私はその大きな流れに抵抗する力もなく呑み込まれてしまう。
かろうじて最低限の日常生活は送れるから、外から見たら健康な人とあまり変わらなく見えるのかもしれない。だが、心は消耗し、脳は何にも集中できていない。
私は大体そういう時、ドアに指を挟んだり、味噌汁のお椀を倒したり、肘を壁にぶつけたり、瓶のフタがどうしても斜めになって閉められなかったりする。きっと注意力が極端に落ちているのだろう。夏になってからは、腕も足もむき出し状態のため、あちこちにぶつけたあざが目立つ。
仕方がないよね、脳が疲れているんだから...と思いつつ、もうそろそろそこから抜け出したいとも思う。
このnoteを始めたのも、この手に負えない負のエネルギーを、少しずつ言語化して、手放していくためだ。
一気に向き合おうとすればきっと耐えられないけれど、ちょっとずつなら、大丈夫だと信じたい。