かわいい、と思えること
新生児微笑、生理的微笑。
これは、外的な刺激に関係なく、反射的に起こる生理的な笑いのこと。
生まれて少ししてから、生後2〜3ヶ月くらいまで見られる。
この笑みに理由はないと言われるが、明らかに心地が悪い時にはあらわれず、お腹がいっぱいでうとうとしている時、眠っている時などに見られるため、やっぱり赤ちゃんもいい気分なのではないかと言う専門家もいるらしい。
また、まわりの大人にかわいいと思ってもらって、自分のお世話をしてもらうために起こしているとも聞いたことがある。
(いろんなものを読んでざっくりまとめただけなので、気になったら調べてみてください)
うちのむすめっこも3カ月を迎え、この新生児微笑はほとんど見られなくなってきた。(この時期を越えると、生理的微笑よりも、身近な人の顔を見て笑ったりする社会的微笑というやつがメインになる)
でも、まだたまに見せてくれることがある。
それも決まって大体、深夜の授乳の時。
授乳中なのに、吸う力が弱くなってきて、あーうとうとしてるなと思って顔を見ると、乳首を口にくわえたままにやり。
じゃあもういいかと思って、おっぱいをはずして、私が自分の身支度をしているとにやり。
この瞬間に、深夜だし、むすめっこを起こすのも嫌だし、と、サイレントで身悶える。
かわいい。
たしかに、新生児微笑に意味はないのかもしれないけど、もしかしたら、わたしはこの小さな生き物をを幸せな気持ちにさせてあげられているのかもしれないと、産後すぐのすごく不安な時期にそう思わせてくれたものだった。
だから、意味なんて考えず、生理的な微笑なんて思わず、あー気持ち良さそうだな嬉しそうだなと、前向きにとらえちゃっていいのではないかと思う。
どう捉えるかは自由だ。
そうやって、深夜に我が子のかわいさを噛み締めながら、思うことがある。
赤ちゃんは、生まれながらにかわいい。
ただ、まわりの大人が、赤ちゃんのかわいさを素直に受け取れるかはまた別の話。
眠くて眠くて疲れていたり、たった1人で小さな命を預かるプレッシャーだったり、そういうもので、赤ちゃんのかわいさを実感できる心持ちはあっさりと奪われてしまう。
たった一瞬の、新生児微笑なんて、簡単に見逃してしまえる。
それはちっともおかしいことではない。
少し環境が違えば、わたしもそうだったろうなと実感としてわかる。
深夜の一番眠い時間に、我が子のかわいさを堪能できる、自分の環境に、心の余裕に、感謝しておきたいと思う。
そして、いろんな環境や立場で子育てをする人達が、小さな生き物のかわいさを素直に受け止められる、そういう世界になっていきますように。