アースデーにおもう、未来可能性
毎年、勢いよく、目映い新緑が吹き上がる頃に、四月二十二日のアースデーを迎える。今年も、地球は緑をもりもり、りょくりょく、芽吹かせてくれた。在宅勤務中の狭い庭でも、今までどこに畳み忍ばせていたのかと驚くほどの、鮮やかな緑が吹き出し、命の力を伝えてくれる。ありがとう、地球が育む命。
アースデーが始まったのは一九七〇年、二〇〇〇万人以上の人々が、「自分なりのやり方」で、さまざまに参加する史上最大のイベントとしてスタートを切った。アメリカの上院議員が「環境の日が必要だ」と発言し、スタンフォードの一人の学生が、「『母の日』や『父の日』があるのに『地球の日』がないなんておかしい」と呼びかけたのが端緒らしい。そして、ネットのない当時にもかかわらず、口コミで全米に広がって、二〇〇〇万人規模のイベントとなった。すばらしい、地球をおもいやる連帯。
それから半世紀を超え、五一回目のアースデー。素晴らしく気持ちよい青空の朝を迎えた。スタート当時は大気汚染に端を発したというアースデー、半世紀を経た今の問題は「気候変動」という、より大きな問題に広がった。そして、四〇の国と地域がネット上に集まり、「気候変動サミット」が始まった。経済や安全保障も脅かされる地球規模の問題であるだけに、これまでは建前でスルーしていたかもしれないが、もはや、現実問題として迫り来ていて、利己的な各国トップも協調せずには済まされないはずだ。待ったなし、地球環境。
そんな大人のビミョーな駆け引きをよそに、若い世代は既に呼びかけ合って、本気で訴えている。グレタさんだけでなく、日本の高校生も発信している。数%の攻防にエネルギーを注ぐ大人達の姿に対して、彼らの温室ガス削減目標の引き上げ要求は段違い。しかし、それが彼らの時代の安心を担保するのだから、当然の要求だ。最近、未来社会の話しを若い世代にする機会が増えた。思いの外、彼らは「非連続な未来社会」に共鳴、共振する。現状延長線上の未来で、経済成長がどうのこうの、社会課題解決がどうのこうの、企業や政府が気にする未来はそういうことばかりだが、彼らが共感する未来は、明らかにそれと違うということに気がついた。そうだ、未来世代。
「地球環境問題の根源は、人間の文化の問題にある」、これは私がたいへんお世話になった師匠、日高敏隆先生が、地球環境研究所の初代所長就任時に発した、これぞ核心と感じた言葉だ。日高先生は、私たちヒューマンルネッサンス研究所の未来研究に対して、素晴らしい言葉もプレゼントしてくださった。「未来可能性」である。「中間さん、一番大事なのは未来可能性なんですよ」と。私は、いただいた「未来可能性」という言葉を、私たちのミッションの一文に据えさせていただいた。感謝、紫煙くゆらす日高先生。
さて、アースデーが始まったのは一九七〇年、その年、オムロンの創業者立石一真らは、京都で開催された国際未来学会議で、未来予測理論「SINIC理論」を発表した。その理論に基づいた未来ダイアグラムのゴールには、「自然社会」と名付けられた社会が据えられている。未来可能性は、自然社会に向かう道程に見つけ出し、創り出すものなのだ。「自然」とは何か?人手が入らない、あるがままの姿、無為自然(むいじねん)というのが本質だろう。しかし、もう少し手前に話しを戻せば、地球環境であり、それは、人間の文化の問題なのだ。だから、未来可能性は人間の智恵でつくれること、気づけることがあるはずなのだ。
未来世代の未来可能性、とても、とても、たのもしい。
ヒューマンルネッサンス研究所 所長
中間 真一
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