“薩摩会議”の熱量と未来
150年後の世界に、私たちは何を遺すのか
未来を見通しにくい中で、様々な未来会議が開かれている。それぞれに特徴がある。その中でも気になっていたものが「150年後の世界に、私たちは何を遺すのか?」という問いに真正面から向き合う「薩摩会議」だ。野崎恭平さんほかSELFのみなさんが企画・運営する、すごい会議だ。
なぜ、150年後なのか?それは、日本が近代化に着手した明治維新から150年を経てなお2018年の社会システムの基底に残ったままの現実に対し、今だからこそ次の150年後のポスト近代に向けて変革を起こそうと立ち上がったものだという。
150年後と言えば、およそ5世代先の世の中だ。そのくらいの長期思考で未来を考える気概を持ち、この薩摩会議に集まる多様な人々は、ほぼ日本のどこかで具体的な実践を手がけて未来に向かっている。
超長期のビジョンと、それに向かう実践の二刀流なのだから、ただ者の集まりではない。
薩摩会議とSINIC理論
今年3年目となる薩摩会議は、先月開催された。老体には、かなりのハードスケジュールとなることを覚悟して出かけた。もちろん、名前のとおり開催地は薩摩である。
会場に入り、会議パンフレットで趣旨を読んでいると「私たち人類を取り巻くあらゆるものが変革すべき時を迎えています。円環する時の流れから理を学び、直線的な時間の中で具体的な選択と行動を通じて未来を創造する」とある。
オムロンでSINIC理論という未来予測に基づき未来社会を想像し、創造する私たちにとって、この場は同志がいる場だと即座に確信できた。なぜならば、まさに今が大きな人間、社会の変容に直面し、渾沌や葛藤の渦の中にあるという「最適化社会」を抜けて「自律社会」へと向かう只中にあることをSINIC理論でも予測しているからだ。
新しい文化創造への社交のすすめ
ゴリラ学者の山極壽一さんや、シン・ニホンの著者でもある安宅和人さんが、会議のスタートを挑発的に盛り上げる。山極さんは「社交」の未来価値を強調した。
社交と言えば、山崎正和さんが2003年に出された『社交する人間──ホモ・ソシアビリス』という名著がある。私も働き始めの84年『柔らかい個人主義の誕生』という代表作に感化されて以来、ずっと追っかけをしてきた身だが、社交する人間という文化観には大いに気付きをいただいた。
この書で、文化とは人間が行動をリズム化しながら生きる生活を基盤として成立するとして、リズムこそが人々を同調、同期させる最適な手段であると言う。そして、社交とは「参加者が協力してリズムを盛り上げる行為」と定義する。これが文化になると。このリズムこそが、社会変革のうねりとなり、変容を生み出すわけだ。だからこそ、薩摩会議という社交の場の価値に、多くの未来創造者たちが気付き、全国各地から集結してくるのだろう。
未来へと文化をつなぐ小学校開校プロジェクト
今回の会議参加には、一つの大きな関心事があった。それは、廃校になった小学校を一条校の新たな私立小学校として開校しようとしている新留小学校プロジェクトの現場を訪ねるプログラムへの参加だった。
26年前に、未来を担う子ども達が育つ出発地となる幼稚園づくりに加わっていた私は、学校が果たすコミュニティのハブ機能について、多摩ニュータウンの新興住宅地の中に残った里山に開園した風の谷幼稚園の歩みの中から、大きな確信を持っている。
幼稚園が、地域コミュニティの食、遊び、暮らしという生活文化のつなぎ場の機能を果たしている。そして、そこを巣立った子ども達は、最初の卒園児が既に30歳となったわけだが、原体験としてその時の体験を身体に染みこませたまま文化の繋ぎ手となっている。特に、食や味覚というものは、その効果が大きいようだ。だから、このプロジェクトでも「食」をとても重視して構想されていることには、とても納得できるものだった。
この新留小学校プロジェクトは、再来年4月開校を目指しているというから、その勢いにも驚かされたが、関わっている人たちのポジティブな未来観と熱量の大きさには、本当に驚かされると共に、二十数年間の自分を重ねて懐かしく感じた。やはり、未来創造は空想や妄想だけでは霧消してしまう。実践、創造、持続が大切なのだ。
煮えたぎるマグマで踊る会議
この3日間にわたる薩摩会議の特徴は、なんといっても非常識と言ってもよいほどの「高熱量」だった。下手に頭デッカチに入ると火傷する熱量だ。そして、彼らの多くは若い。
なぜ、全国各地から彼らは薩摩会議に集まってくるのだろう。会場で何人かにそれを尋ねてみた。すると「切磋琢磨」という言葉が帰ってくることが多いのに驚きと安心を感じた。みんな、自分の実践をより磨こうと集まっている。
全国各地で孤独に頑張りながら未来創造を手がける連中は少なくない。そういう輩が年に一度集まってきて、傷をなめ合ったり、自己満足をする場なのではないかという心配が、じつは参加前には少しだけあった。
しかし、それは一気に彼らの熱量で払拭された。こういう場でありがちな、行政批判や体制批判はきわめて少ない。批判するよりも、彼らがなぜ、変容に加担できないのか、なぜ動けないのかを建設的に考える会話が、そこここに見られた。
では、なぜそういう場が薩摩に生まれたのであろうか?東京ではなく。地底のマグマがエネルギーを溜めている活火山の桜島があるからだろうか。
未来は鄙から生まれる
未来社会研究を三十年来重ねてきた私の仮説の一つは「未来は周縁から立ち上がる」なのだ。
大都市の価値集積は、これまでの価値観のもとに競争の結果勝ち残ってきたプレーヤーの成果の集積である。勝者は、そのポジションに居続けるために、旧来の価値尺度も価値システムも変えたくない。それが当然だ。
しかし、周縁では、そんな旧来価値のしがらみでがんじがらめになってはいない。窮屈なしがらみだと思われてきた地域の生活文化は、じつは未来に開かれた広場なのかもしれない。
SINIC理論では、最適化社会という渾沌期をくぐり抜けると、自律社会の到来を迎えると予測している。しかし、そのためには真の人間の変容が必須条件だとも記している。旧来価値で縛られる中心の世界では、自律は一握り、いやたった一人のチャンピオンしか自律を遂げられないかもしれない。しかし、隙間も多い周縁の地では、激烈な競争で疲弊してしまうことなく、内に秘める高い熱量をそのまま抱えて未来の兆しをつくることができるのではなかろうか。未来は鄙から生まれる、最終日に桜島を眺めながら確信できた。
中間 真一
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