未来としての「自然社会」
未来:歴史=63:1,000,000のSINIC理論
SINIC理論は、100万年前からの人類史を辿って2033年の自律社会の完成までを、社会発展の1周期としてとらえた未来予測です。つまり、100万年のビッグヒストリーを俯瞰して、1970年以降の数十年間の未来を予測したものです。人類社会の発展一周期目のラスト・ワンマイルの未来を予測したものです。
しかし、それだけの歴史を背景にして、当時あぶり出した、「情報化社会」、「最適化社会」、「自律社会」という3つの未来だからこそ、規範的予測としての重さも備えているのです。
最適化社会という意味
このような超長期主義の未来予測だったからこそ、現在の世界の渾沌を”VUCA”とはとらえず、その先の未来への”パラダイム・シフト”としてとらえることができ、それを「最適化社会」と名付けたのです。
この「最適化社会(Optimizing society)」(2005年~2024年)というネーミングと時間設定は、手前味噌にはなりますが、私は極めて秀逸なものだと感じるのです。この「最適化」は、直近の過去となる「情報化社会(Cybernation society)」から延伸した方向性の意味と、近未来としての「自律社会(Autonomous society)」という最適社会へと変化する方向性の意味の両者を持っているわけです。
予測と合致した最適化社会
つまり、コンピュータの登場により計算処理の自動化に始まった情報化が、情報処理となり、インターネットやIoTによって最適な組合せを導くところまで進んできたということが前者の最適化です。
一方、自律的な社会システムという、新しい概念に向けた非連続、非線形なトランジションを迎えて、新旧それぞれの価値観がぶつかり合い、世界中で様々な渾沌状態が生まれ、同時に生成AIやロボティクスに見られるように、テクノロジーにも転回が生まれる時期でもあるのです。
みなさんの暮らしを見回しただけでも、この両者の最適化の姿が、たくさん見つかります。携帯電話からスマホに変わって、もはや情報化とは違うステージを感じた契機は2007年iPhone発売でした。chatGPTというAGI(汎用人工知能)の先駆けの登場に世界中が驚いたのが2022年、まさに最適化社会とシンクロしています。
立ち止まれない未来研究
ようやく、SINIC理論が「浮世離れした戯言」ではなく、「見事な未来予測」という評価を得始めて、それを背負って未来研究を進めてきた私たちも自慢げにしたいところではありますが、そんな愚行に興じている暇はありません。なぜなら、社会発展は加速度を付けて進むというのもSINIC理論の示すところだからです。
まだまだ現実となるかどうかはわかりませんが、SINIC理論発表時の人類社会発展の10段階のゴールとなる自律社会は、2025年~2033年というわずか10年間にも満たない時間設定なのです。今までのように悠長に新しい社会をとらえられないのです。
遠い未来の準備、近い未来の準備
そのような状況の中で、SINIC理論を基盤とした未来研究所である私たちが手がけるべきことは二つです。一つは、近未来としての「自律社会」の解像度を上げて近未来をデザインすること。もう一つは、あと10年後と予測されている2周期目の出発点となる「自然社会」の輪郭を描くことです。どちらも難しいのですが、今は亡きオムロン創業者の立石一真が線を引いてくれた「自律社会」までよりも、その先を、いかに描くかが大きな難問です。
もちろん、私ごときが悩み続けていても出てきません。そこで、SINIC理論が生まれた当時、何をやっていたのかを辿ってみると、その一つに「貝食う会」という未来学を丁々発止で議論する場が見つかりました。ちょうど、1970年の大阪万博を前に、京大の梅棹忠夫先生、加藤秀俊先生、林雄二郎先生、SF作家の小松左京さんらが料理屋に集まっては未来学を議論していたのです。「自然社会」も、その手で行こうと思ったわけです。
ハイパー原始社会考
といううわけで、私も研究会を設けて始めました。会の名前は「らせんの会」、SINIC理論のとおりスパイラルアップする社会発展の2周期目を創造する場です。そして、ここでの議論と併行して、文献にもあたっています。その一冊が梅棹先生の著書『狩猟と遊牧の世界 自然社会の進化』です。
先日、私の本棚の奥に見つけました。奥付を見ると刊行は昭和51年(1976年)、忘れていましたが、なんと私がまだ高校生の頃に読んでいたのです。もちろん、ここで使っている「自然社会」は、2033年から始まる未来社会ではありません。農耕社会以前の社会を指しています。
この時期に、すでに梅棹先生は「自然社会」という言葉を使っていたのです。本書の中では、自然社会という時代区分を最初に使った人は、京都大学の哲学者上山春平先生の『歴史分析の方法』(1962)という著作にあるということもわかりました。その中で、第一段階を自然社会、第二段階を農業社会、第三段階を産業社会としていたのです。
上山先生も、梅棹先生や梅原猛先生と共に、日本文化を研究した新・京都学派のお一人です。だから、SINIC理論の究極として、原始社会とは異なる未来としての自然社会という言葉を用いたのだと感じました。まさに、ハイパー原始社会です。
人類史二度目の自然社会へ
本書の内容にほとんどふれずに書き連ねてきましたが、この本は、未来を考えるための書だと思って読むことができる本でした。原始社会における狩猟採集や牧畜という生活様式は、工業社会や情報社会を経験して豊かさを獲得してきた人類にとって、どんなメタファーとして使えるのかという観点が、とても興味深いところです。
現代社会における「狩猟」や「採集」とは、何に相当するのでしょう。データとして見ることもできます。オンラインショップからの物品やサービスの購入も、ギャザリング(採集)活動としてとらえると、新しい見方もできます。
なかなか、ハイパー原始社会としての自然社会の想像は楽しく、そして意味深いことなのです。「自然社会」とは何かを定義できるのは、まだ先になると思いますが、パリオリンピックで観て気付かされたボルダリングのおもしろさのように、私も自然社会への一つの有効なクライミング・ホールドを見つけた気分です。
中間 真一
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