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足りないくらいがちょうどいい

初めての雪山登山のお話。
伯耆大山へ、初の雪山登山をしてきた。

雪は想像以上に多く、登山口からすでに雪が積もっていた。

正直、雪山を登るには軽装備。
それは、安全に登れる最低限の装備だけど、学生の私にとっては最大限の装備。
装備のショボさを若さでカバーする、と果たして何歳まで言えるだろうか。そんなことを考えながら一歩一歩足元を確かめながら登っていく。
早朝のスタートで、おそらく私がこの日1人目の登山者。そのため、雪で隠れた道を切り開いていく必要がある。一歩進んで半歩滑り落ちるくらいのペースだったと思う。その過程は普段の登山とは違い、想像以上にHPを奪っていく。けれど、1日のパイオニアとなる感覚は心を燃え上がらせた。そんな小さな事にもロマンを感じてしまう私は、井の中の蛙大海を知らず状態。

3時間ほど登り続け、そんなこんなで頂上に辿り着いた。

頂上までの心のエネルギーとなっていたのは、何を隠そう登山メシだ。
この日は、カップラーメンと大阪からの道中で買った551の豚まん。
寒さで凍える中、リュックの中からコンロ、ガスボンベ、クッカーを取り出す。水が無い。箸が無い。水、箸を忘れたことに、頂上で初めて気づく。自分らしくて思わず笑ってしまった。忘れ物が日常すぎて、良いのか悪いのか私は足りないことに慣れっこだ。

周りを見渡すと幸いにも、資源はほぼ無限にある。クッカーで雪を掬い火にかける。箸は枝で代用する。自然の恵みを頂戴しながら頂く飯は格別だった。
山に登らずとも、暖かいところで食べた方が快適なのかもしれない。
けれど、雪が、寒さが、工夫が、ただのカップラーメンの価値を最高に高めてくれる。
自然のありがたさを改めて、感じさせてくれる。

※1日経った今、お腹の調子は悪くないので、小学生時代の自分に雪は食べても大丈夫だと言うことを伝えたい。

足りないくらいの方が、その有り難みを感じることができて、良いのかもしれない。足りないことも思い出になる。
そんなことをふと思った。

装備が少なくても歩ける喜びを、一瞬現れた晴れ間への感動を、ひとつひとつ噛み締めながら下山する。

天気も装備も持ち物も、少し足りなかった初の雪山登山は、今までで1番楽しいものとなった。


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