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戯曲「高校野球がうまくても」(後半)

【あらすじ】
 20XX年、日本のとある地方都市に新設された公営の野球場で、夏の高校野球の予選試合の一回戦が行われていた。
 対戦カードは私立立志学園と公立白川高校。吉岡辰三監督率いる私立立志学園はエースの南亮を擁して春の選抜ベスト8まで勝ち上がり、校内外から注目されていた。一方の公立白川高校は、秋に新設されたばかりで、正規部員は4人。あとは他部署の助っ人だった。
 一回表、立志学園は初回から猛攻撃を仕掛ける。1時間で39点の大量得点となった。いけいけの立志学園だったが、試合が経過する中で、ランナーコーチの原田が熱中症で倒れるなど、暑さの中でしだいに体力を失っていく。もちろんそれは守備をしている白川高校の選手たちも同じで、変わらずプレイも緩慢で、改善する余地もない。やがて立志学園の選手たちの中でも、このまま猛攻撃を続けるべきか疑問視する空気が生まれる。
 しかし、監督の吉岡は先の選抜の反省もあり、妥協する様子は一切ない。
 そんななか、それまでベンチ内で沈黙を守っていた新任の女性部長・斎藤あずさが、これ以上のプレイは生徒のためにならないと吉岡監督に進言。しかし、吉岡はそれを素人の意見として突っぱねる。
ベンチ内の空気を察するかのように、やがて雲がグラウンドを多い、土砂降りの雷雨になる。(ここまで前半)
 試合が中断する中で、斎藤は球場の会議室を借りて、あらためて選手と「このまま本気の戦いを続けるべきか」を議論しようと提案する。
 最初、選手たちはこれまで指導を仰いできた吉岡監督の手前、議論を控えていたが、2年生の向井の発言をきっかけに、さまざまな議論が巻き起こり、最終的にそれぞれが修復不可能になるくらいにやりあう。
 一方白川高校もまた、雨天中断中にベンチ内で話し合いをしていた。
 結果は棄権。不穏な空気の中で肩透かしを食らってバラバラになりかける立志学園の選手たちは、しかし、そんな白川高校の在り方に、忘れかけていたものを取り戻す。(ここまで後半)

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登場人物表
吉岡辰三(43)…私立立志学園野球部監督。
南 亮(18)…立志学園野球部のエースピッチャー。3年。背番号は1。
加藤大樹(18)…立志学園野球部のキャッチャー。3年。背番号は2。
木村健一(18)…立志学園野球部のファースト。3年。背番号は3。
小林智一(18)…立志学園野球部のセカンド。3年。背番号は4。
五十嵐大(17)…立志学園野球部のショート。3年。背番号は5。
岸田圭介(18)…立志学園野球部のサード。3年。背番号は6。
田中直樹(17)…立志学園野球部のレフト。3年。背番号は7。
竹本博美(18)…立志学園野球部のセンター。3年。背番号は8。
柴野佑(17)…立志学園野球部のライト。3年。背番号は9
原田智幸(17)…立志学園野球部の控え選手。一塁側ランナーコーチ。3年。背番号は10。
永井俊之(17)…立志学園野球部の控え選手。三塁側ランナーコーチ。3年。背番号11。
寺西賢三(17)…立志学園野球部の控え選手。3年。背番号は12。
島地哲也(18)…立志学園野球部の控え選手。3年。背番号は13。
佐々木賢(18)…立志学園野球部の控え選手。2年。背番号は14。
向井直人(17)…立志学園野球部2年生。背番号15。ただし優秀なので三年を差し置き、外野で試合に出る。
坂口真一(16)…立志学園野球部の控えピッチャー。2年生。背番号16。
三浦エリカ(17)…立志学園野球部のマネージャー。
斎藤あずさ(32)…立志学園の英語教師であり、野球部長。
辻村隆一(18)…公立白川高校野球部三年。ファーストを守っている。
棚橋茂雄(18)…白川高校野球部三年。サードを守っている。
審判(45)
ウグイス嬢(声のみ)
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第4幕

   スタジアム内の会議室。
   会議室は教室のような大きさで、上手に向いて机が整然と並んでいる。    
   椅子には、立志学園の選手たちが座っている。
   舞台奥にはホワイトボードがある。
   下手の端っこに吉岡が座っており、上手のホワイトボード近くであずさが立っている。
   舞台下手に会議室の壁とドアがあり、扉は廊下につながっている。
   廊下での会話は室内には聞こえない。
   また、舞台上では間断なく雨音が聞こえており、室内には不穏な空気が流れている。

   通路から原田とエリカが歩いてくる。
   エリカと原田、スポーツドリンクのペットボトルのたくさん入った袋を分けて持っている。
原田「え、なんでんなことに?」
エリカ「最初はみんなでベンチで待機していたんだけど、雨がやまないとわかると、突然斎藤先生が無理やりみんなを会議室に集め出して……」
原田「斎藤先生が?」
エリカ「うん。部長の責任においてって」
原田「監督は?」
エリカ「最初は反論してたけど、押し切られちゃって」
原田「そんな。なんか弱みでも握られてるのかな」
エリカ「まさか」
   エリカ、ドアをノックする。
あずさ「はい」
   エリカ、原田、ドアを開けて入ってくる。
   あずさ、原田を見て、
あずさ「あら、もういいの?」
原田「はい。おかげさまで」
あずさ「そう」
   エリカと原田、スポーツドリンクを各選手の机に配る。
エリカ「おつりです」
あずさ「ありがとう。それじゃ、あなたたちも席について。お代わりもあるから、どんどん飲んでください」
   エリカと原田も席に着く。
あずさ「全員揃ったわね。それじゃ」
吉岡「(耐えきれないと言った様子で)やっぱり今やらなければいけませんか?」
あずさ「申し訳ありませんが、やはり一度はっきりさせておくべきかと」
吉岡「先生がやりたいなら結構です。でも今は雨天で中断しているとはいえ、試合中です」
あずさ「試合が終わってしまえば、後の祭りではありませんか」
吉岡「私は監督です。彼らの信頼のもとに導く義務があるんです」
あずさ「だったら私は部長です。部長は、生徒の心身の健康だけでなく、振る舞いに対しても責任を負うと、高校野球憲章にも書いてありました。無論、読まれたことはございますよね?」
吉岡「はあ……」
あずさ「いいですか、みなさん」
   あずさ、ホワイトボードに文字を書く。
あずさ「(ボードの文字を読み上げ)『このまま全力で戦い続けるべきか』。これについて今から生徒の皆さんと議論したいと思います」
   一同、沈黙。
あずさ「自分の意見を述べることに対して、緊張する必要はありません。私が卒業したハーバーブリッジ大学でも、この手のディベートというのは頻繁に行われています。そりゃ、みなさんにとって、試合中にやるというのは珍しいことかもしれません。でも、あなたたちは、部員や選手である前に生徒です。学生です。学びの徒です。どんな時も、これから社会に必要とされる人間となるべく努力をしなければなりません」
   沈黙。
あずさ「意見のある方、なんでもどうぞ」
   と、岸田が手を挙げる。
あずさ「じゃあ、キャプテンから」
岸田「さっき監督も自分でおっしゃいましたが、自分も、試合の流れは監督が決めるものだと思ってます」
あずさ「じゃあ、あなたは監督が指示さえ出せば、この試合を終わるまで本気で戦い続けるべきだというんですね?」
岸田「はい」
あずさ「300点とっても続けるの?」
岸田「……監督の指示なら」
あずさ「じゃあ、監督が死ねと言ったら、あなたは死ぬんですか?」
岸田「えっ」
   選手たち、ざわつく。
小林「先生、それは極論じゃないですか」
吉岡「(頭を抱えながら)……」
あずさ「すみません、今のは余計でしたね。ただ、みなさんに伝えたいことは、私は皆さんに『自分でものの善悪を判断できるようになってほしい』と言うことです。高校卒業して、そのまま社会に出る人もいるかもしれません。でも、今のまま誰かが決めることにやみくもに従っていてばかりでは、いつか本当に、死ねと言われて死ななきゃいけなくなる日がくるかもしれません。現に今日だって負傷者も出ているわけですから」
   あずさ、原田を見て、
原田「……えっ、俺?」
あずさ「このまま続ければ、もっとリスクは上がります。この雨の中断をチャンスにして、一度みんなで考えましょう」
   選手、沈黙。
あずさ「一度多数決をとってみましょうか。このテーマについて賛成の方、挙手を……」
   吉岡、耐えきれず、
吉岡「なあ、あんたやっぱりここから出てってくれよ。頼むこの通りだ」
あずさ「言ったでしょう、部長は選手の監視役です。あなたにはそんなこという権利はないんです」
吉岡「チームは、監督と選手のものです」
あずさ「……と、どこに書いてありますか?」
吉岡「そんなもの、書く必要もない」
あずさ「なぜです。普通、一般常識から考えて、大事なものから書くでしょう。違いますか?」
吉岡「……」
   向井、手を挙げる。
あずさ「あなたは、二年生の……向井くん?」
向井「僕は野球をやっている人は、もっと理屈で説明すべきだと思います」
島地「悪いけど今年は俺たちの代だから」
向井「『俺たちの代』ってなんですか?」
あずさ「続けて」
向井「もっとみんな言語化って言うんですか?言語化して共有したほうがいいと思います。そういう体育会系っていうか、軍隊みたいなところが、実際、野球人口減らしてきた訳だし……」
木村「いつから俺たち軍隊に入ったんだよ」
坂口「向井はただ、自分の意見を言っただけです」
小林「どうせ、どっかのYouTubeの受け売りじゃねえか」
向井「勘弁してくださいよ……」
あずさ「そこ、勝手なヤジはやめなさい。さっき向井くんが言ったことは先生、重要だと思いますよ。ここでいう言語化とは、他者、つまり目の前の相手にもわかるよう、できるだけ客観性に基づいた言葉で順序立てて論理的に説明することですね。こうすることでチームはグンと効率化するというのは、実際トヨタなどの一流企業でも実証されています」
竹本「……トヨタ?」
   ざわざわする。
あずさ「何がおかしいんですか?トヨタ、持ってますよね、野球チーム」
木村「そこじゃなくて」
竹本「他にもプロとかメジャーとかすごいチームが腐るほどあるのに、なんでそこなんですか?」
あずさ「それは……一番有名な日本企業だからに決まってるでしょう」
島地「でも、それって企業としてですよね」
   五十嵐、手を挙げて、
五十嵐「話の腰を折ってすいません。考えたんですけど、ここのメンバーだけで決めることはできないはずです。終わった後にスタンドにいる奴らも含めて、みんなで議論をすれば……」
田中「なんの?」
五十嵐「だから……シミュレーション?俺たちがどうすべきだったか」
田中「試合が終わった後で?」
五十嵐「反省会っていうか」
田中「100点差で勝った後で?」
五十嵐「俺ははただ、流れをまとめようと思って……」
柴田「何(五十嵐のことを)攻めてんだよ」
田中「つい……」
   沈黙。
   と、南、唐突に、
南「くだらねえ」
   南、グラブを持って立ち上がり、
南「いくぞ」
加藤「どこへ」
南「(肩を回しながら)ブルペン」
あずさ「ブル、ペン?」
加藤「亮」
南「こんなの無駄だ。肩が冷えちまう」
   加藤、岸田に申し訳なさそうにアイコンタクトをする。
岸田「……」
   南、加藤と会議室を出ようとして、
あずさ「待ちなさい。そんな勝手は許されません」
南「僕は勝手とは思いません。中断中とはいえ、試合中なんで、それぞれが勝ちに向かってベストを尽くすべきです。以上」
   あずさ、思い通りいかずイライラして、
あずさ「わかりました。今日は黙っていようと思ってましたけど、この際、言います。実は、この大会の直前に、とある野球部の生徒から、職員室にタレコミがありました。なんの、とは言えませんが、深刻なコンプライアンス違反についてです」
小林「コンプライアンス違反……?」
   一気にざわつく選手たち。
   南、部屋を見渡す。
南「誰だよ、そんなこと言ったやつ」
加藤「ばか、ここにいるとは限らないだろ」
あずさ「そこで、理事会から検証のための実態調査を行うという密命を受け、前任の北原先生と代わって、外資系企業でも勤務経験のある私に白羽の矢が立ったわけです。監督にも、この春就任の条件として協力する旨お伝えしているはずです」
岸田「(監督を見て)えっ」
吉岡「それも伺っていますが、私が受けたおもな説明は、北原先生のご家族の体調の不良と……」
あずさ「ちらっとではありません。これが表沙汰になったら、野球部がしばらく活動停止になるだけではありません。学校の偉い人がマスコミやPTA、みなさんの恐れているコウヤレンにも謝らねばならなくなります。さらに、それが全国にメディアを通じてさらされて、学校のOBや近隣住民にも迷惑がかかることになるんです」
   選手たち、不安げな表情になる。
あずさ「忘れないでください。あなたたち野球部員は、野球を一生懸命頑張っているということで世の中から大目に見られているんです。野球ができるから学校で大きな顔ができる。授業で寝ていても見逃される。野球ができるから進学できる。野球ができるから就職できる。でも、実際、このチームで一生野球で食べて行ける人はどのくらいいますか?」
一同「……」
あずさ「統計的には…ゼロです!なぜならプロ野球選手になった人は、当校の野球部60年の歴史でもまだ存在しないからです」
   沈黙。
南「俺がなればいいんだろ」
エリカ「南くん!」
加藤「亮」
あずさ「南くん、とりあえず座りましょうか」
南「先生、口げんかで野球が上手くなるなら国民全員メジャーリーガーになれますよ。てか……」
   南、原田の席に行き、カバンから赤本を出す。
南「お前らもそんなことより、もっとどうすれば上手くなるか真剣に考えろよ。こんなことだから相手より早くバテちまうんだろ」 
原田「(言葉を失い)……」
   南、ドアから出ていく。
加藤「南!」
   加藤、追っていく。
五十嵐「なにキレてんだ、あいつ……」
小林「キレる相手が違うだろ」
   永井、原田の肩に手をやる。
原田「……」
エリカ「止めないの?」
選手一同「(少しうんざりした様子で)……」
あずさ「(ため息を吐き)ほら、ちゃんと日頃から話し合ってないからこうなるんです……」
   エリカ、手を挙げる。
エリカ「あの、わたしからもいいですか?みんなは直接言いにくいかもしれないので、近くで見てきた人間として」
あずさ「どうぞ」
エリカ「チームのみんなは、監督に訳のわからない理屈を押し付けられてるんじゃなくて、監督を信頼しているんだと思うんです。そうじゃないと、バラバラになってしまうから」
あずさ「でも、そのためにキャプテンがいるんじゃない」
岸田「……」
エリカ「それとこれとは違います。第一、チームでやる上で上から指示を出してまとめる人は他のスポーツにもいるわけだし」
あずさ「じゃあ、みんなはいつ監督を選んだの?」
エリカ「選んだっていうか、どんな監督であっても従う覚悟で」
   エリカ、吉岡と目が合う。
エリカ「そう言う意味じゃ……」
木村「(小声で)部長だって選んでねえけどな」
あずさ「ん、今のだれ?」
小林「先生の言いたいこともわかります。わかりますけど、高校野球はこの国の大切な伝統で、それに憧れてみんなそれぞれの野球部に入ってきてるんですよ」
あずさ「この国の伝統って、どんな?まさか感情を殺して大人の理屈に従うことじゃないでしょうね?」
岸田「小林はそんなことは言ってません。それに、さっき監督がどんな時も全力でプレーするとおっしゃったのは、何も監督の意見だけじゃないと思います。県大会の開会式でも選手宣誓ではっきり言ってましたし、それはおそらく全国でも同じです。最後まで手を抜かずして本気でやる。それが高校球児らしさなんです」
五十嵐「それに、責められるべきは向こうじゃないですか?明らかに練習不足なわけですし……」
島地「うちはランナーコーチ変えたけど、向こうはスタメンでずっ張りでギリギリ耐えてるけどな」
永井「おい」
島地「徹夜で受験勉強したら俺だって倒れるよ。ランナーコーチだって、やりたいやつはスタンド含めているんだ」
原田「これには訳が……」
   原田、口に出せず、口ごもる。
向井「やめましょうよ、みっともない」
島地「は?」
向井「島地さんのいじりって基本、的外れなんですよ」
島地「なんだと?」
向井「いっつもそう。後輩いじりにも愛がないって」
坂口「すいません、それはスタンドの奴らも言ってます」
島地「じゃあ、さっきのアレは俺のこと……」
向井「さあ、それは知りませんけど」
島地「そんな……」
   島地、意気消沈する。
木村「お前、メンタル弱すぎ」
   突然、竹本が立ち上がり、
竹本「あー!自分、走ってきていいすか」
あずさ「は?」
竹本「とりあえず、ダイヤモンド一周してヘッドスライディングしてきます」
あずさ「何を言ってるの。そんな勝手ダメに決まってるでしょ」
竹本「俺、頭悪いんで。議論とか言葉とかダメなんで。てか、みんなのこと信頼してるんで。みんなが決めたことに従います」
あずさ「あなた、これまでの話聞いてた?」
竹本「はい」
あずさ「だったら」
竹本「先生はきっと僕たちのこと嫌いなんだと思います」
あずさ「は?そんな訳ないでしょ」
竹本「僕らの気持ち本気で聞きだす気ありますか?」
あずさ「やってるじゃない!」
竹本「トヨタの話でですか?」
あずさ「それは、あくまでわかりやすい一例として……」
竹本「じゃあ、僕らが監督の言うことに全部従うって言ったら、先生どうしますか?」
あずさ「だから、それは意見じゃないでしょう」
竹本「監督を信頼して、監督の指示に従うことの何が悪いんですか?わかった上で指示に従うのは、意見じゃないんですか?」
あずさ「意見じゃないに決まってるでしょう」
竹本「だからなぜ?」
寺西「竹ちゃん、攻めるなあ……」
あずさ「それは……グローバルな環境でのディベートでも、個人の主体性がない人間はいないもの同然ですから……」
木村「どこの国の話ですか?」
あずさ「アメリカとか、イギリスとか」
木村「キューバとか、韓国とか、プエルトリコとか?」
あずさ「なんでそんな変な国ばかり」
木村「(さも、当たり前と言わんばかりに)オリンピックの強豪国だからですよ」
   あずさ、訳がわからず絶句する。
竹本「すいません、やっぱ俺もちょっと走ってきます。大丈夫です、廊下です。グラウンドじゃないす」
   竹本、部屋を出る。
あずさ「とにかく、野球部の在り方については、理事会でも毎週議論になってるんですよ!体育会系で旧態依然としているから、改革が必要なんだって。汗をかいた選手に水を飲むのを我慢させるだなんて……」
吉岡「水は三年前から飲ませることに完全にシフトしたんだ!一部の口うるさい昭和世代のOBを黙らせるのにどれだけ苦労したか、あんたにはわからないだろう」
あずさ「ええ。練習中に水飲ませるだけで揉めるような人たちのことなんか」
吉岡「あんたは何も現場のことがわかってない」
あずさ「分からなくて結構です。来年から、アメリカで学んだマネージメントの第一人者を高額で雇うことが理事会で決まりましたので」
吉岡「え?そんなの聞いてませんけど」
あずさ「あなたに許可を得る話ではないので」
吉岡「いや、そう言うことは事前に言ってくれないと」
あずさ「昨日決まりました」
   二年、こっそり嬉しそうに見合わせる。
   三年一同、そんな二年たちを冷ややかに見る。
   二年たち、慌てて自制する。
吉岡「めちゃくちゃだ。めちゃくちゃだ……」
   吉岡、頭を抱える。
   と、突然原田が泣き出す。
寺西「なんでお前が泣くんだよ」
原田「ごめん……」
   五十嵐、ちらっと南と加藤の空席を見て、
五十嵐「なんでこんな時にバッテリーがいないんだろうな」
岸田「……」
   岸田、立ち上がる。
寺西「どこへ」
岸田「二人を連れてくる」
あずさ「いいわ、南くんが帰ってくるまで休憩しましょう。先生もお手洗いに行ってきます。皆さんで決める方法を考えてくれてもいいです。早く決めないと、雨が上がってしまいますよ」
   あずさ、去る。
   岸田、行こうとして、
永井「ほっとけよ。どうせ真面目に議論なんかしないって」
吉岡「みんな、済まない。俺は、まさかこんなことになるとは思わなかったんだ」
向井「じゃあ、監督は苦しんでる人がいるのに、ほとぼりが冷めるまで待つつもりだったんですか?」
小林「頼むからお前らちょっと黙ってろよ」
島地「そうだよ俺たち、もうあとがないんだよ。三年間努力してベンチに入れなかったやつもいるんだよ!」
向井「だからって……」
   小林、手を挙げて、
小林「わかった!俺、言います。俺は、これ以上ガチやってもなんの意味もないと思います」
五十嵐「え」
小林「だってそうじゃん。どう考えたって、勝負はついてる。それに、理由はどうあれ、実際長期戦になったせいでうちでも怪我人出たわけだし。やっぱりある程度効率というか、容量よくやるのは必要だと思う」
木村「それは俺も思ってた。実際ここから試合再開して何時までやるんだってこともあるし。別に俺はやったっていいけど、それで次の試合に疲れが残るのは、悪手だと思うから」
五十嵐「まあ」
   一同、そちらに気持ちが傾いた様子。
   エリカ、ホワイトボードに木村と小林の意見を記す。
田中「確かに、それは一理あるか……」
柴田「ああ」
   岸田、ちらっと吉岡を見る。
吉岡「……」
佐々木「……ちょっといいですか」
   一同、佐々木を見る。
佐々木「さっき向こうのほうに問題があるって発言があったかと思うんですけど、ベンチで何人かには言ったんですけど、じつは俺、向こうのチームでセカンド守ってるやつと同じ中学なんです」
田中「ああ。そういやさっき」
佐々木「うん。自転車置き場で今朝会って、『お前なんでこんなとこいんの?』ってなって。第一そいつ、陸上部だから」
田中「中学で?」
佐々木「高校もさ」
永井「だからか……」
佐々木「それで続きなんだけど、そいつ駐輪場で、試合前にサードのやつのこと、『野球のセンスないけど、高校野球ずっとやりたくて、必死でみんなを集めてくれたから、多めにみてやってくれ』って」
田中「どういうこと?」
佐々木「もともとお父さんと早く死に別れて、そっから家がめちゃくちゃ貧乏になって、親父の影響でずっとやりたかった野球をしたくても、ずっとできなかったらしい。でも、やっぱり諦められなくて、必死に夜中コンビニでアルバイトしてようやく貯めた金で、用具とか買って、そこからイチからメンバー集めをしたらしい。だから、だから、なんというか……」
   それぞれ、物思いに耽っている様子。
佐々木「試合中に言うと、みんなのプレーに影響するかもと思って、言おうかどうか迷ったんだけど、一応伝えといた方がいいかなと思って、流れで」
岸田「サンキュー」
五十嵐「大目に、か……」
田中「でも、それってこの場合どっち?」
柴田「え」
田中「つまり、だから手を抜かずにやるべきってこと?それともお手柔らかにってこと?」
佐々木「それは……」
島地「俺は、最後まで一生懸命やればいいと思う。それで夜んなったりして試合中止になったら、上の人間が考えればいいと思う」
向井「それは意見じゃないって、さっき」
島地「それは違う。俺たちはこの三年、監督を信じてやってきたんだ。今更、それを変えてこのさき勝てるとも思わないし。俺はそう思う。お前らは好きにしたらいい」
向井「僕たちは、別に……」
エリカ「じゃあ、続ける、続けないの他に、それとは別で監督の指示に従うというのも入れていい?」
   一同、うなづく。
吉岡「……」
   あずさ、帰ってきて、
あずさ「まだ結論は出ませんか。じゃあ、一旦こう考えましょう。たかが野球」
佐々木「たかが野球……」
   シーンとする。
吉岡「それは違う!」
あずさ「あくまで考え方です!」
吉岡「頼むから、あんた、消えてくれ」
あずさ「申し訳ありませんが、あなたはそれを言う立場にありません」
   監督、帽子を地面に叩きつけかけて、
岸田「監督……」
   吉岡、ギリギリのところで冷静になる。
あずさ「みなさんから野球がなくなったとして、これからどのような人生を歩みたいですか?」
   白けた沈黙。
   と、そこへ南と加藤が帰ってくる。
南「(皮肉っぽく)まだやってたんだ」
向井「(苛立って)南さん……!」
小林「(ちゃかして)スカウト、雨で帰ったぞ」
南「あ?」
木村「いいよな、進路が見えてる奴は」
南「あ?なに突っかかってんだよ」
五十嵐「お前だろ、入って来るなり嫌味言って」
南「ピッチャーが肩冷やさないようにして何が悪いんだよ。言っただろ、それぞれ自分のことをやれって」
加藤「(諌めるように)南……」
南「お前らも春の選抜で痛感したんじゃないのかよ。勝負は油断した瞬間に裏切るんだよ。だから、それでも負けないように、いつも準備して努力する」
坂口「この点差で油断も何もないですよ」
南「俺はこいつが途中で自分に見切りをつけて、受験勉強で徹夜してたせいで試合中ぶっ倒れても文句はない。こいつはこいつの人生があるから」
原田「悪かったって……」
永井「謝るな」
南「でも、そこでこいつの野球人生は終わり。それだけ」
原田「俺には俺で、ここでは言えない家庭の事情があるんだ……みんなには関係ないだろうけど」
南「ああ、どうでもいい」
原田「俺だって、お前がプロに行こうがどうだっていいよ」
南「は?今なんて言った」
原田「いちいちきついんだよ」
   永井、原田に代わり、
永井「みんなお前と違って、プロを目指してやってるわけじゃないんだよ。その後のこととかも、将来とか家庭環境とか色々プレッシャーとかあるんだよ」
南「だったら、こっからでてけよ!他のやつに失礼だろ。ベンチにも入れなかった奴もいるんだぞ」
永井「お前、そいつらとちゃんと話したの?」
南「知らねえよ、そんなこと。なんで急に俺にばっか突っかかってくんだよ」
加藤「おい、亮。落ち着け」
岸田「南、お前がみんなを引っ張ってくれてるのはわかる。でも、みんなもお前に合わせてくれてるんだよ」
南「はあ?」
小林「気持ちはわかるけど、そうやっていつも上から言われたんじゃ、みんな萎縮するんだわ」
南「俺はただ、みんな気合いが足りないから」
岸田「悪いけど、キャプテンは俺だから」
木村「みんなお前んちみたいに、親のバックアップがあるわけじゃないんだよ」
加藤「みんな、誤解してる。こいつは……」
吉岡「ああ!」
   吉岡、立ち上がり、
吉岡「ほらみろ、だから議論なんて不要だって言ったんだ」
   吉岡、あずさに、
吉岡「全部あんたのせいだぞ。あんたが一人で彼らの三年間の苦労を無駄にしたんだ」
あずさ「なぜ、わたしのせいになるんですか?上手く行きかけてたじゃないですか」
吉岡「違う。わかってない。野球は理屈でやるもんじゃないんだ」
あずさ「まだそんなことを……」
   沈黙。
田中「(ぽろっと)なんでこうなったんだっけ」
柴田「(自嘲気味に)100点差ついて、これからどうやって戦うか……」
田中「100点差……」
   沈黙。
   と、竹本、興奮した様子で廊下から帰ってきて扉を開け、
竹本「やばい。みんな、大変だ」
岸田「どうした」
竹本「向こうのベンチの中で俺たちと同じことやってた」
五十嵐「俺たちと同じ?」
竹本「なんか、みんなで議論をして、手を挙げたりして多数決とって……それで」
小林「それで?」
竹本「……」
   と、しばらくして廊下から審判らしき人物が歩いてきて、扉を開ける。
   雨音、次第に弱まる。
   暗転。

終 幕

   球場外の駐輪場。
   夕暮れの強い日差しが差し込んで、長い影ができている。
  
   南、下手からカバンを担いで一人やってくる。
   上手端に置かれた自転車にカバンを乗せたところ、エリカが下手から走ってくる。
エリカ「南くん!キャプテンが、いったん集合しようって」
南「……」
エリカ「スタンドにいたみんなも集まって、これから話そうって」
南「あいつらが勝手にやりたいだけだろ」
エリカ「でも……」
南「別に俺、ブレないから」
エリカ「本当にいいの?」
   南、自転車のスタンドを蹴る。
エリカ「そう。勝手にすれば」
南「なんだよ、マネージャーのくせに」
エリカ「もういい」
南「エリカ」
エリカ、泣きそうな表情で下手にはけようとしたところ、入れ違いで棚橋がやってくる。
エリカ「(棚橋を見て)……?」
棚橋、自転車に乗ろうとする南の前へ、不意に立ち塞がる。
南「……?」
エリカ、その様子を遠くから怪訝な顔で見守っている。
南「何?」
棚橋「あの……」
南「は?」
棚橋、南に何かを言いたそうにして立っている。
南「……そこ、邪魔なんだけど」
棚橋「(唐突に帽子をとり、頭を下げ)こんな不甲斐ない試合だけど、最後まで本気で投げてくれて、本当にありがとうございました!」
   棚橋、坊主頭を下げたまま、
棚橋「おかげで、心に区切りをつけられました……」
   南、しばらく絶句したのち、
南「……わかったから(そこどいて)」
   自転車で行こうとすると、棚橋、
棚橋「すいません。100点も取られて、挙句に棄権して、本当にこんなこと言えた義理ではないんですけど、今日は……、今日は嬉しかったです」
南「……え?」
棚橋「僕たちの分まで、絶対甲子園に行ってください」
   南、棚橋の顔を見ると、ボロボロ泣いている。
南「(呆然として)……」
   そこへいつの間にか白川高校のチームメイトの辻村が近づいてくる。
辻村「あ、タナさん、ここにいたのか……。あっ」
   辻村、南に気付き、帽子を取って礼をする。
辻村「今日はありがとうございました」
南「……」
   南、無言で帽子をとって無愛想な礼をする。
辻村「行こうぜ。みんな待ってる」
棚橋「うん」
   棚橋、辻村に肩を抱かれ涙の中で笑顔で帰っていく。
南「……は?あいつら、悔しくねえのかよ」
   エリカ、遠くから、
エリカ「南くんには、わかんないよ」
南「は?」
エリカ「南くんには一生わかんないよ。他の人がどんな思いで試合に臨んでるかなんて」
南「はあ?なんだよ急に」
   エリカ、去る。
南「どいつもこいつも。何が言いたいのか、さっぱり分からねえ」
   南、手にしていた帽子を地面に力なく落とし、しゃがみ込む。
南「くそ……」
   南、しばらく一人不貞腐れている。
   とそこへ、加藤がやってくる。
加藤「よかった。いたわ」
南「……」
加藤「マネージャー、呼びにきたろ。待ってんぞ、みんな」
南「必死なんだよ」
加藤「え?何」
南「俺だって必死なんだよ!みんなを甲子園に連れて行ってやりたいって、本気で戦ってんだよ」
加藤「わかってるよ、そんなこと」
南「わかってねえよ、誰も」
加藤「そんなこと言うなよ」
   加藤、隣にしゃがみ、しばらく夕空を眺めた後、
加藤「懐かしいな。お前がこうやってしゃがみこむの」
南「え?」
加藤「ジュニアリーグの県大会の決勝で最後に打たれて、マウンドにうずくまって以来だろ」
南「……」
加藤「あんときからお前、変わったよな。妥協がなくなったっていうかさ。あれも、小学生なりに責任を感じてたんだよな」
南「……」
加藤「俺、今日わかったわ。やっぱ俺にはプロは無理だ。最初の打席に着いた時に感じたけど、別宮さん、最初から俺のことなんか一つも見てなかった。小学校から一緒に頑張ってきたつもりだったんだけど」
南「タイキ」
   加藤、座り直し、胡座をかく。
加藤「俺、試合の途中で、ふと悟っちゃったんだ。俺たちもみんな、あいつらと一緒で、結局は、いつかどこかでボロ負けするんだって。それが来月か、来年か。あるいは10年、20年かが違うだけで。たとえ甲子園で優勝したところで、一生勝ち続けられる奴なんかいないんだ。死ぬまでのどこかで絶対、積み上げてきたものが、一瞬で上位互換されて、突き崩される。そん時に、ああ、神様は自分なんかこれっぽっちも見てくれてなかったんだって、気づく」
南「……」
加藤「でも、相手チームを見てて思ったんだ。神様に見捨てられても、誰かがそばにいれば、肩を貸してやれる。肩を貸しあって、また立ち上がれる。だから、一人だなんて思うなよ」
南「俺は、別に……」
加藤「やっぱりお前はすごいよ。春からさらに進化してる。でも、俺に言わせると、まだまだメンタル弱いとこある。顔に出る。態度に出る。何より口下手で、今日は特に最低だった」
南「俺、俺……」
   とそこへ立志学園のチームメイトがやってくる。
五十嵐「あ、もしかして泣いてる?」
島地「うわ、まじ。加藤にどつかれた?」
小林「こんだけ完勝して、落ち込むとかありえないんですけど」
加藤「うるせえな。あっちいってろや」
木村「俺らも逃げてきたんだ」
加藤「は?」
寺西「加藤までいなくなって、急にあずさがでしゃばってきてさ。『ちょうどいいわ、南くんと加藤くんがいないところでしか話せないこともあるでしょ、もういっぺん聞かせて』って……。ねえよ!」
竹本「ねえ!まじで、ねえから!」
田中「(あずさの口ぶりを真似て)『せっかくだし、全員一致するまで議論してみましょうか』」
柴田「早く帰りたがってたくせに、面白がっちゃって」
五十嵐「監督も監督だよな。言い返せばいいのに」
岸田「監督も色々あるんだよ」
   岸田、後ろから出てきて、
加藤「岸田」
岸田「お前らがいないのに決めれるかって、みんなで出てきたんだ」
   南、一同のあまりの代わりように怪訝な表情で加藤を見る。
加藤「さっき俺がみんなにバラしたんだ。お前が帽子の裏に書いたメッセージ」
五十嵐「案外、ベタなんだな」
永井「ああ。かわいいとこあんじゃねえか」
南「……」
   岸田、前に出て、
岸田「不甲斐ないキャプテンで申し訳ない」
南「え……?」
岸田「みんなわかってるから。チームの勝利を誰より願ってるのはお前だって」
南「岸田……」
岸田「背中で見せようとしてくれてたんだよな」
南「……」
竹本「早く行こうぜ。部長がジュース奢るって言ってるし」
島地「あいつ、金払いだけはいいからな」
坂口「たまには正しいこと言いますね」
島地「はあ?ふざけんな」
向井「俺じゃないっす、坂口っす」
小林「じゃ、ジュースだけもらって帰るか。賛成の人!」
一同「はい!はい!」
   全員、天に突き上げるように手を上げて、集まってくる。
   まるで勝利が決まった後のマウンド上のようだ。
岸田「ん……?」
   みんなで南を見る。
   加藤が南を立たせにくる。
加藤「ほらよっ」
   加藤、南の手を挙げさせる。
南「(照れて)おい」
加藤「ちゃんと利き腕じゃない方にしたろ?」
   岸田、数えて、
岸田「はい、全員一致!」
小林「ほらみろ、簡単なんだよ、こんなこと」
岸田「行くぞ、スタンドにいた奴らもみんな待ってるから」
   原田、立って見ている。
原田「……さっきは、ごめん。あれには、わけが」
南「いや、人一倍外周を走り込んできたお前がそうなるってことはよっぽどなんだろ」
原田「……うん」
   原田、南、握手する。
   選手一同、下手にはけていきつつ。
加藤「そういやさっき向こうのチームのやつと何喋ってたの?」
南「『俺たちの代わりに甲子園行ってくれ』って」
小林「はは。なんだよ、一丁前だよ」
寺西「でも実際、手強かったな」
小林「ああ」
五十嵐「俺たち、結局多数決すらできてないからな」
   一同、白川高校の選手を思い、一瞬感慨に耽る。
岸田「さあ、行くぞ」
一同「おう」
五十嵐「監督、男にしてやらなきゃな」
岸田「お前はその前にボール球手を出すな」
五十嵐「ちぇ」
   選手一同、笑う。
   やがて、選手一同、強い夕日をあびて、下手にはけていく。
   その様子を遠くから見ていたエリカ、南の拾い忘れた帽子を見つける。
   エリカ、帽子を拾うと、帽子のつばの裏に書かれた文字を読み上げる。
エリカ「『ワン・フォー・オール、オール・フォア・ワン』…本当、ベタなんだから」
   エリカ、胸に抱えながら選手たちを追っていく。
   遠くで、次に行われていた試合終了のサイレンが鳴る。
   暗転。
                  

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