嬉しかった誕生日とだれが嬉しいんだろう誕生日
またひとつ歳が増えた。
この1年、また何にもならなかった。
1年前の誕生日、鬱々鬱々としている。
投稿した時間、当日を少し過ぎ7日になっていていて、ギリギリ間に合わない自分のだらしなさが表れている...
「わたしなんかより...」と考えるようになる前に、数少ないが嬉しい誕生日があった。
なぜ、嬉しかったのだろう?と考えてみた。
結果、
「欲しいものと美味しいものが手に入るから嬉しかったんだ!」と、
世の中の親御さんが聞いたらきっと悲しむような理由になってしまった。
嬉しかった誕生日
誕生日は7月から始まる。
8月までの1ヶ月間、チラシやアニメの間にあるCMをくまなくチェック。
欲しいおもちゃをいくつか見つけて、それぞれを比較し1つに絞っておく。
8月に入ると母親から
「誕生日はプレゼント何が良い?
ケーキの種類はどうする?
食べたいご飯を教えてね」と聞かれる。
その言葉を待っていたわたしはすかさず
ビデオテープをセット!
録画しておいたアニメを再生!
間に流れるおもちゃのCMを見せて「これが良い!!」とお願いをする。
誕生日当日、お気に入りのスカートをはいてお昼からお出かけ。
まずはおもちゃ屋さんでCMで見た憧れのおもちゃを買ってもらう。
次にケーキ屋さん、ショートケーキを選ぶ。
最後にご飯のおかずにハンバーグをお願いする。
そうして、欲しかった「お誕生日3点セット」が揃う。
歳がひとつ増えることをなんとも思ってない。
ただ、欲しいものが手に入るから嬉しかったんだ。
思い出せば出すほど、「得」しか考えてないヤな子どもだ...
わたしの誕生日はだれが嬉しいんだろう?
まず自分は嬉しくない。
両親も嬉しくないだろう。
おそらくわたしは父、母が考えた最悪のパターンになってしまったと思う。
そんな子の歳が増えるたび悲しくなるだろう。
先祖も祖父母も姉妹もがっかりしているだろう。
ねこさんは自分の誕生日すら知らないだろう。
友達もいないし、恋人もいない。
その他わたしのことを知らない人達、約79億人が嬉しくないのは当然だ。
つまり、わたしの誕生日を嬉しいと思う人は、この世のだれも、ひとりもいないのだ。
我が家の8月6日は特別な日ではないのだ。
「ありがとう」も「おめでとう」もいらないのだ。
今日も毎日と変わらず、ご飯作って、お皿洗って、洗濯して、掃除して、TVを見て、音楽聴いて、ねこさんと一緒にごろごろして。
これからお星様にならない限り来る8月6日もそう過ごせばいい。それが良い。
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