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コミュ障がメイドさんになった理由

子どもの頃から『メイドさん』に憧れていました。

私が小学生だった、90年代後半。
まだメイド喫茶というものが主流ではなく、私の中でメイド=萌え、というようなイメージもそこまでありませんでした。

白黒のロングスカートのクラシックなメイドさん。
その姿に憧れ、ノートにメイドさんの絵を沢山描いていました。

ただメイドさんなんて海外の仕事だ、と、その頃の私は思っていたのです。

『メイド喫茶』というものを知ったのが高校生の頃。
こんな文化があったのか…と思ったのと同時に、私もメイドさんになれるかも…?と純粋に思いました。

ずっとずっと『メイドさん』に憧れる日々。

最終バスがとにかく早いど田舎に住んでいたので、
大学行きながらメイド喫茶で働くのはなかなか難しく
やっと夢が叶ったのは大学4年生のとき。

私の学部は、
大学内でも他の学部から『ゆとり教育学部』と言われるくらいゆるい学部だったのです。

ゼミは3年の時だけ入れば良くて
(ゼミも授業で鍋パーティーとかするようなゆるいゼミ)
4年では卒論というものがありませんでした。

大学なのに卒論がないのです。

大学3年の段階で必要な単位は全て取り終え、4年は本当に興味のある授業のみを受けていました。

そんなわけで時間が有り余った私は、
平日も含め日中からメイドのバイトをすることが出来たのです。

長い長い夢が叶った瞬間は本当に感慨深かったです。

普段コミュ障で大学でも結局全然友達出来ないような私も、
メイド服着るとスイッチが自然と入るんです。

ご主人様、お嬢様とお話する時間は楽しく幸せでした。

結局私はメイドさんとかコンカフェのお仕事が大好きで、
期間は空き空きでしたが10年間で4つ程コンカフェのお仕事を経験しました。
(メイドカフェ、アニソンDJバー、アニソンDJバーの別店舗、メイドダーツバー)
私は人と話すことが大好きなんだなと思いました。


メイド喫茶の男性スタッフに、
『つらみは特別可愛いわけじゃないのに会いに来てくれるお客さん沢山いるから凄いよね。人柄の良さなんだろうね。』
って言われたことがあります。

失礼な人だな…とその時は思いました。
でも今思うと嬉しい言葉です。

自分で美人とは思わないし、
スイッチ入っているとは言え、そんなに喋りが上手いわけでもない。
そんな私に会いに来てくれる人がいる、こんな幸せなことはありません。


メイド喫茶やコンカフェへ通っている方、推しがいる方、
どうか無理ない程度で大好きを沢山伝えてくださいね。


会いに来てくれる人がいる、って本当に幸せなことなのです。

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