不妊治療の苦しみを。
もうすぐ息子が1歳になります。
先月から数歩歩くことはあったのですが、ここ1週間ほどで歩行がとっても安定し、十数歩以上てくてく歩くことが増えました。
ファーストシューズを買わないと。
1歳になったら初めての家族旅行。淡路島へ。
まだまだ昼寝時間が必要だけれど、楽しめるかな。
2年前の今頃は、まだ移植前。
卵巣過剰刺激症候群によって10日間入院し、退院したところ。
思えば2年前の今頃も、淡路島に行くつもりにしてたんだったな。
でも入院中水がたまった肺は退院後もすぐにはよくならず、少し歩いただけで息が切れるので、旅行はとてもじゃないけれど楽しめないだろうとキャンセルしたんだった。
私が入院中姉家族と母は旅行に行っていて。
旅先で訪れた神社で義兄が言ったそう。
「今神に頼みたいことなんて、義妹(私)の妊娠くらいだ」と。
腹水肺水腫で苦しんでいた私に、もう会えない(命にかかわる)かもと思っていた母は、その言葉もすごく印象的だったみたい。
結果義兄の願いは神に届……いたのかは定かではないけれど、
私は妊娠し、出産したのでした。
…神なんてものがいるのなら、そもそも不妊で悩む人なんていないと思うので、私は神を信じてない。笑
毎晩息子の寝顔を見ると幸せだなと思います。
そして思い返します。
あの地獄の日々を。
毎晩一生母になれない自分を想像し、不安と絶望に押しつぶされそうになり、
移植後には、お腹をさすりながらどうにか留まってくれと涙ながらに願い、
陰性後には、陽性に変わってくれと願い。
この治療がうまくいかなかったら、次の採卵はいつになるのか、お金はどれくらいかかるのか、私の人生はどうなるのか
考えても仕方がない絶望だけの人生のうちの一晩。
そんな夜を繰り返していた。
でも…その事実を思い出しても、あの時の胸の苦しさがよみがえることはない。
今の私の心はいたって穏やか。
これは忘れたことになるのだろうか、不妊治療の苦しみを。
妊娠したときに、不妊治療と無縁の友人に「不妊治療のことなんて吹っ飛ぶほど幸せになれる」と言われてショックを受けたのに。
なんだかそれは、不妊治療をしたという紛れもない事実にふたをしている気がして、罪悪感すら覚える。
本当は、忘れたっていいのかもしれないけれど。
苦しい過去なんて捨てて、これからを明るく生きられればいいのかもしれないけれど。
でも、私はなかったことにはしたくない。
息子は”14人に1人”と言われる体外受精で生を受けた存在であることに違いないし、
苦労せず妊娠にこぎつけた人とは背景が全く違うと思っている。
私が忘れてしまったら、当事者が忘れてしまったら、
今も不妊治療で苦しむ人たちの存在さえ、忘れてしまう気がして。
治療に成功して、心にゆとりがある人間こそが発信していかないといけない気がして。
私はやっぱり、たくさんの人に不妊治療の実態を知ってほしい。
そのために出来ることを探したいとも思う。。
昨日息子と一緒にインフルエンザの予防接種を受けました。
インフルエンザワクチンを打つとき医療従事者の方はよく
「このワクチンは痛いですよねー」という。
職場で受けた時もそうだったし、同僚も痛すぎるとよく嘆いていた。
でも私は思う。
不妊治療の注射のほうが何倍も痛いし、インフルエンザのワクチンみたいに年1じゃなく何十回と打つ。
インフルエンザワクチンごときで何を、と。笑
会社の人間を全く信用していない私は、さすがに職場でそれを口にはしないけれど、
病院で打つときは言ってしまう。
「不妊治療の時に打つ注射のほうが何倍も痛いですよ。」と。
だって本当に、インフルエンザのワクチンでピーピー言ってたら不妊治療なんかできないよ。
まして自己注射よ?
…産婦人科と違って小児科のカルテには不妊治療で授かったことは書いていないし、そもそも全く関係ないだろうし、知ったところで…ということだろうけれど。
そういう事実があるということ、やっぱり私は誰かに知ってほしいのかなと。
先日、私の出産とほぼ同時期に結婚した友人が出産しまして。
妊娠を知らされた時は、息子はもう生まれていたのに、
不妊じゃなくて良かったねと思うのと同時に、やっぱりどうしてもうらやましくて。
なかなか素直におめでとうと…受け止められなくて。
息子とショッピングモールに出かけたときには見知らぬ婆さんに
「子供は3人産みなさいーかわいいわよー」と熱弁され。
…私にとって妊娠がいかに難しいかを語ってやりたかった。
誰彼構わず訴えるというのはなかなか難しい。
理解されるとは限らない、それを伝えるというのは諸刃の剣だ。
親しい友人でさえ、不妊治療を経験していない人には分からないんだもの。
婆さんなんか、不妊治療って言っても何してるか知らないだろうし。
理解するどころか馬鹿にしてくる人もいるだろうし、
そんなことで傷つけられたら時間の無駄どころか損でしかない。
世界がもっと優しかったら、なんてとんでもない規模のことを考えてしまったりもする。笑
でもね、先日出産した友人の出産祝いを、選ぶことができました。
今週末届くので、それをもって顔を見に行くことになっています。
これができるようになったのは、本当に自分の回復の兆し。
自分の不妊治療中の友人の出産なんて祝福1割の嫉妬9割。
嫉妬より憎悪なんて言葉のほうが近いんじゃないと思うくらい。
お祝いのベビー用品なんて見たくない。
見ているだけで心が壊れていくのを感じるから。
妊娠後もしばらくはそうだった。
妊娠出産があまりにも早くて、自分との違いをひしひしと感じてしまう。
そこに生まれる劣等感がお祝いの気持ちを邪魔する。
なんとも厄介な自分との闘い。
今回やっとそれを卒業できた…のかな…?と思っています。
劣等感が完全に消える日は来ないとしても、
友人の出産に向き合えたのかなと…。。
一人出産を終えても、また二人目の治療を始めている仲間もいます。
きっとその仲間たちは、一人目と二人目治療の精神的違いを実感しているだろうとも思います。
治療が実る人もいれば、中には実らない人もいるのが残酷なこの世の事実だけれど…
私は私なりに、不妊治療の苦しみを忘れずに、糧…には出来ない気もするけれど、少しずつ向き合って生きていかないとなと思います。
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