私の不妊治療㉒「ここまでやってきた」
臨月です!!!!!!
34週から産休にも入りました。
3月に切迫流産の診断を受けてから、コロナ禍ということもあり、1度も出社せず在宅勤務を続けていた私ですが、
初夏から少しずつ引継を始め、
ここ1ヶ月程はほぼ何もせず、後輩が処理したものをチェックするだけの仕事でした。
つまり既に少し前から十分のんびりしたマタニティライフを送っていたのですが、、
さすがに産休となると気持ちが入れ替わり、
ついにここまで来たのか、と感慨深かったです。
臨月となるとなおさら!
姉2人は「もうすぐ生まれる!」とソワソワしきり。
妹の実子を見た時に泣き出すのではないだろうか、と心配しています。
義母や義妹も楽しみにしてくれているようで、
たくさんの人に待ち望まれ生まれてくる我が子は生まれる前から幸せだなと思います。
でも本人は生まれる前の大人の気持ちなんて知る由もないので、
ちゃんと自分で実感できるよう
絶えず“幸せ”を体感させてあげたい、一生を通して。
移植から出生までの写真を納めようと、アルバムを少しずつ更新していますが、
安産祈願やジェンダーリビール、マタニティフォトなど自分たち夫婦の写真も入れました。
その時の想いも一言ずつ書いていますが、ちゃんとした文章も残したくなってきました。
また考えよう。
36週はまだ早産といえども、もういつ生まれても心配ないくらい逞しくなっているそうです。
標準よりやや大きめと言われているので、少し早めに会えるかな。
1年前の今頃は…3回目の採卵後で重症OHSSを発症し、緊急入院中。
治療で1番辛かった時期です。
不妊専門🆑での本格的&高額な治療に挑んだのにも関わらず、結果が出ず、絶望していました。
身近な人の出産を知り
周囲の人間との違いを目の当たりにし
“出口が見えない”トンネルの中膝をついてしまいました。
入院中は妊婦と同室に。
何がこの残酷な差を生んでいるのかと
恨めしく…惨めな気持ちになったものでした。
少し前「妊婦を恨まない心の余裕が大事」というようなツイートを見かけたのですが。
正直無理ですよね。
羨んでも恨みたくない。
心の底から祝福できるものならそうしたい。
みんなそう思っているはずです。
人の幸せを妬むなんて醜い自分になりたい人などいないのだから。
でもどうしても今の自分と比べてしまう。
自分にないものを全て持っているかのように見える。
それは人間の当然の感情なんじゃないかなと思います。
自分だけでなく、人からも醜く映っているであろう事は理解していますし、
そんな自分を好きにもなれない。
だから苦しい。
それは当事者にしかわからないのだろうなと、再認識しました。
悲しいね。
当時の私が、1年後に臨月を迎えることになる事を知っていたのなら、
世界の見え方はきっと違っただろうけれど。
不妊治療患者のほとんどは、明るい未来が自分に訪れることすら
想像し難いものだと思います。
去年はSNSを全部消して自分を隔離しました。
もし一生子供を授かれなかったら海外に逃げようとも考えていました。
それくらい自分にない幸せを得ている人の生活を見るのが辛かった。
そこからどう持ち直したかなんて、私の場合は結局、「結果が出たから」としか言えません。
移植が全てだめで、凍結胚も全て失っていたのなら、
今の私もまだどん底にいたと思います。
だから今もなお結果が出ていない同志たちの心情を想像すると胸がはちきれそうになるし
とにかく早く結果が出て報われて欲しいと願って止みません。
自身に結果が出た事はとても喜ばしい事、もちろん嬉しいという気持ちが大きいですが、
多くの仲間たちも一緒に、進みたかったなと思いますし、
なんて不公平で、理不尽な世界なのだと、嘆く気持ちはやはり変わらない…
妊娠というスタートに立ち、自然妊娠・出産を経験した友人たちと同じラインに立てたかと思えば、やはりそうではなく
出産育児に対する心持ちも違えば、他人の子供事情にもなんら興味を示せない。
私は不妊治療を経験していない人と気持ちを共有する事はできない。
今はまだそういう状況です。
出産は不妊治療のゴールですが
新たなスタートです。
これからも立ちはだかる様々な壁にぶつかる内に
自分の心境がどう変わっていくのか
まだ想像できません。
でもとりあえず、不妊治療のゴールまであと少し。
夫も移植卵の写真と私のお腹を見比べて、
「こんなに大きくなったのか」と呟いていました。
どうかこのまま、健康な我が子に会えますように!
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