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寄付金を自ら集める覚悟

ロシアワールドカップから帰国しました。序章がまたまた長いですが、それだけ真剣に思いの丈を綴りました。今、伝えてほしいです。ずっと書きたかった #寄付について考える 前回の「寄付先を自分で探す効能」続編です。

寄付を集めると言う行為は特別な資格を持った方が行う。素人が手を出してはいけないとずっと信じていました。僕の中でカンパと寄付は違う。こう解釈されていました。でも僕はその禁断の世界に入ってしまいました…自然と。その流れからが序章です。

2011年3月11日東日本大震災が起こり、紆余曲折ありましたが10日後には宮城の塩竈、名取、岩沼の避難所を回りみなさんからお預かりした支援物資を配り歩きました。

4月に入り支援先は被害の大きかった気仙沼になり、忘れもしない4月2日冷蔵庫より寒い気温3℃の中、冷たい水道水で洗濯物を手洗いする被災者のおばちゃんに声をかけました。「洗濯機ないんですか?」「あるわけないよ、ここは体育館だよ」怒られました

その時点で水道も電気もあったのを確認し。「持ってきます」と伝え。東京に帰る道中仲間に一口5000円の「洗濯機買うからカンパ」を呼びかけ、2万円前後の中古の洗濯機を4台と友人の電気屋の社長をを連れて数日後には気仙沼にもどり、設置しました。洗濯機を設置した写真をカンパしてくれた仲間に送るとそれは喜ばれ、小さな達成感が双方にあったと思います。

使途を明確にし、その後キチッとフィードバックする。

「車が流されて足がない」と聞けば中古自転車を数台。「体育館はエアコンがないのに、この広さで扇風機数台って、どういうこと?」と聞けば扇風機や冷凍庫を。無我夢中でカンパを募り対応しました。700kmにおよぶ被災地では個々のニーズと行政の供給がマッチングできてませんでした。ここで役所を責めないでください。家が流されて避難所生活でも市民の為に動く職員や(避難所である学校の先生が管理者になることが多い)教頭先生は全力で頑張り、全力で疲弊してました。

考えてもみて下さい。気仙沼に当時避難所は99箇所ありました。そこを統括する気仙沼市の危機管理室の10人前後で全てを管理するんです。しかもニーズは毎日変わります。無理ですよ。でもやりますよ。だからパーフェクトではないんですよ。クレーム来ますよ。この話(被災地のニーズ)は続編をまた書きたいと思います、ニーズがあればw

この時までボランティアって嘘くさい。自己満足。素人が手を出すより行政(プロ)に任せた方が効率がいいよという数十年信じて来きた僕の持論は崩壊しました。

行政支援の網(セーフティネット)からもれた人を救うのが民間団体。民間団体の網から漏れた人を救うのが個人支援。個人が全員被災地に足を運べるわけではない。ならば【支援を必要としてる人がいる】と【何かしてあげたい人がいる】それをつなぐのが「カンパ」「寄付」であり。つなぐだけなら僕のお小遣い程度できるかな。と「個人で支援」するにいきつきました。

法人格を持たないボランティア団体(個人)にはほとんどスポンサー(企業)や行政の支援は付きません。それはしょうがないことです。なので自分の目で支援先を探そう!が前回のテーマでした。やっと本題、今回をもう一つ上、より難しく

寄付金を自分で集める覚悟

これは難しいです。一歩間違えば法にふれます。でも自分たちが集めたお金で誰かの為になる(はず)を信じて。炎天下の中、街頭に立ち声を枯らす、それでも「そんな時間あるならバイトしてそのお金を振り込んだほうがいいよ」とか「ほんとに?君らのお小遣いになるんじゃないの?」いろいろ言われるそうです。善意で動いているのにそんな言われ方「かわいそう」って…… 僕は思いません。

人様からお金を預かることは簡単ではないんです。前回も言いましたが「あいつらは被災地で金儲けしてる」って言われる日本ですよ。(儲かるんだったらあなたやってくださいよとは言わないw)言われて心折れるなら「辞めたほうがいいんです」僕は心がすぐ折れるので、何度も辞め、何度も立ち上がる派ですので、ここはあまり説得力はないかもしれませんが、いつもこれだけは持ってます…

【覚悟】

が必要なんです。小さくても構いません。だから逆算します。自問自答します。本当にそれは必要か?誰かの為になるのか?自分がやりたいことの押し付けではないのか?
批判や疑いが出ても行う情熱があるか?
批判や疑いを最小限にする準備(説明)はできているか?
つじつま合わせの数字でなく、行ったことをしっかりフィードバック(公表)できるか?

普通やらないですよ。めんどくさいですよ。お金の支援が寄付。労働の支援がボランティアなら。ボランティアする。または自分で労働した対価を寄付したほうが全然いいです。

それでも動く人はいます。尊敬してます。正直僕もあまりできてないです。顔の見えるカンパやチャリティがほとんどです。
僕の中の勝手な定義は
■カンパやチャリティイベント→顔見知りの仲間から。なので直接何でも言い合える。けど大きな広がりは無いし、だいたい同じメンバーなので負担が偏る
■寄付や支援金集め→不特定多数から集める。広がりがある。周到な企画書と報告書が必要。それでも読んでない、参加してない、人から、広がった分だけ想像で批判の矢が陰で飛んでいる(ちゃんと読んでくださいよとは言えない、陰口だからw)

今回の豪雨で被災した人の為にそれでも、動く人たちがいます。検索すれば沢山出て来ます。例えば熊本地震で被災地した熊本国府高校があの時支援してくれた広島の高校の為に動く。トップの写真はあの時の国府高校のグランドです。その記事
https://www.soccer-king.jp/news/japan/20160729/473444.html
愛媛やFCのサポーターが東北支援の経験を活かし、日々ニーズが変わる支援物資への募金ではなく、これから被災地に入る肉体ボランティアの負荷を少しでも減らそうと高圧洗浄機や貯水タンク購入の支援金集めだったり。沢山あります。少しづつですが時代は変わっています。
そしてそれは【関心】に繋がります。防災で大切なのはこれです。よく講演で話します。これもいつかnoteに綴りたいです。ニーズあれば。

最後に募金が人を変える。エピソードを紹介して終わりにします
2016年4月九州を地震が襲いました。僕は千葉に住んでいます。その時は福島やネパール支援で忙しく、東北や常総と違い支援は車で行けないと物資が運べないので。九州の方には大変申し訳ありませんが、現地に行くのではなく、関東でチャリティイベントをしたり、後方支援に回ろう。九州で活動する人の背中を押す支援に回ろう。

ところが7年前被災地した石巻の子、福島・南相馬の子が募金活動やチャリティイベントを熊本に為にしました。その大切な大切なお金を「ちょんまげさん熊本で使ってください」ネパール在住の日本人からの同様の話が来ました。

涙が出ました。

僕は覚悟を持てず。今回は他人に任せようとひよりました。でもまだまだ復興半ばの被災地の子を動きました。ポーンとお尻を蹴られた感じしました。「やるよね」って言われて感じがしました。

それから一年間、毎月ジェットスターで熊本に行き、沢山の縁ができ。いまでも支援は続きます。最初の支援が地元のニュースに
http://dai.ly/x6hm7d1
今年の春も熊本・西原村の仮設に住んでいる子どもたちに屋台村をやりました。次は2018年11月18日。地震で大破した障がい者支援施設「城南学園」で周りにできた仮設住宅の人たちを招待して、障がいを持った方、被災した方、みんなにコンサートと屋台村を無料でふるまうスマイルハートフェス(通称まげフェス)の第三回目を計画してます。ボランティア募集!

東北の子達の覚悟というか、想いが今でも続いています。大きな覚悟はハードルを上げ、狭き門にするだけです。小さな覚悟でいいんです。小さく小さくすれば「想い」に変えられる言葉かもしれません

僕の記事は想いの丈を綴っただけなのでサポート(寄付)は無用です。それよりもし1mmでも心が揺さぶられたら(肯定でも否定ても構いません)、シェアやいいね。お願いします。誰かの目に触れて、誰かの行動や思考につながるかもしれません。
それが僕への最大の寄付てす。モチベーションにもつながります。

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