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子どもの人権を置き去りにしないで 旧優生保護法に関して発達障害2世の視点から


私は発達障害2世である。注意欠陥が著しく、衝動性をコントロールできない親のもとに生まれた。障害は遺伝してしまい私自身も発達障害当事者である。

家庭内や社会での生きづらさから、自身の出生、ひいては障害者や遺伝疾患を持つ者の出生の是非について考えるようになった。
なので旧優生保護法をめぐる訴訟についても関心を持って報道を追ってきた。

〈旧優生保護法とは〉
旧優生保護法とは1948年に「不良な子孫の出生を防止する」ことを目的として施行された法律。障害のある人に対し、強制的に不妊手術をすることが認められた。
1996年に廃止になるまで、強制不妊手術をされた障害者の数は2万5000人にのぼる。
2018年、過去に強制不妊手術をされた女性が、「旧優生保護法は重大な人権侵害だ」として国に賠償を求めて仙台地裁に提訴。これを機に同様に訴訟が全国で続いた。
2024年7月3日、最高裁は旧優生保護法を違憲と判断し、国の賠償責任を認める判決を言い渡した。


本来であれば障害当事者の私は、「優生思想に抗議する側」なのかもしれない。
しかし障害者として生きて30年余、決して綺麗事や理想論ばかりでは進まない現実を生身で経験してきたからこそ、私は障害者の出生を無責任に肯定することはできなくなってしまった。

「社会で弱者を支えよう」「多様性を尊重しよう」と言いながらも、自分が支える側には回りたくない。自分のコミュニティに障害者を入れたくない。入れるにしても、限りなく健常者に近い障害者だけを入れたい。
障害者には幸せに暮らしてほしいけど、それは自分の暮らしに負担のかからないところででやってほしい。

タテマエを信じて、期待して、結局傷ついてきた障害者を何人も見てきて、私自身もその一人で。
耳障りのよい人権思想は、障害者の抱える困難をコーティングし、当事者に過度な自助努力を強いることになる。

私が障害当事者でありながら、旧優生保護法を完全否定できないのは、マジョリティの欺瞞に付き合わされてきた失望や哀しみの反映と言える。
ナチスだと叩かれようと、第二の植松聖と指差されようと、ポリコレ棒に殴られようと、これは揺るがない本音だ。

旧優生保護法の報道を見ていて疑問を感じることは、「障害者が生殖する権利」ばかりが主張されていて、「生殖の結果生まれてくる子ども」の人権や幸福については触れられていないことだ。
「そこはタッチしてはいけない」とばかりに、報道記者も人権活動家もだんまりである。

もちろん、無断で臓器にメスを入れることは著しい人権侵害であり、決して許されることではないが、かといって「障害者の生殖する権利」を無条件で肯定することには疑問を感じざるをえない。

ペットだったら「世話をできないなら飼ってはならない」が通用するのに、障害親だったら「世話をできないなら生んではならない」が通用しないのがなぜだろう。

子どもの命はペットよりも軽いのだろうか。なぜ親の生殖する権利のほうが強いのだろうか。所詮子どもは親の人生を充実させるための人身御供なのか。
「生殖する権利ガーーー」とか「優生思想反対ーー!」と声高に叫ぶ方々は、自分が障害親の子どもとして生まれる運命だとしても同じことを言えるのだろうか。
「障害者は社会で支えていくべきだ」と主張する方々は、その社会にちゃんと自分も含んでいるのだろうか。清潔を保てていて静かに微笑んでいるような「多様性の輪に入れてあげてもいい」と思える障害者だけでなく、奇声を発し、よだれをたらし、失禁する障害者にも平等に手を差し伸べるのだろうか。

「人間は誰しも平等」とか言いながらも、生殖する側の権利ばかりが尊重され、生殖される側の権利について論じられていないアンフェアな状況はどうも釈然としない。