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障害者枠公務員をやめましたレポ

こんばんは、多動と申します。発達障害を持っている30代女性です。

私にとって今年のいちばん大きな出来事は公務員の仕事をやめたことです。今回の投稿では、退職の経緯やそのとき何を考えて何を感じていたかを振り返りたいと思います。


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もともと行政ウォッチャーの私にとって、公的機関の一員として働く公務員は憧れでした。公務員は安定しているし、社会的信用も高いし、私も公務員になれたらいいなと頭の片隅で思ったりしていました。

当時は公務員の障害者枠は身体障害者限定で採用を行っており、発達障害の私は対象には入っていませんでしたが、チャンスは突然訪れます。
2018年の法改正を機に、身体障害以外の障害者も公務員試験を受けられるようになったのです。このニュースを知った私は即座に採用試験対策を始め、晴れて2019年に国家公務員として採用されました。

これまでニュースで見るだけだった巨大組織の内部に入れることをとても嬉しく思いました。自分自身が作成した報告書が公文書として正式に保存されていくことに小さなときめきも感じていました。

それと同時に、想定もしていなかった困難にぶつかりました。

私の採用時期は、いわば国家公務員における障害者雇用の黎明期。2018年の法改正以前は身体障害者限定の採用を形ばかりに行っていた程度で、実際には障害を抱えて働く職員はほぼいないに等しかったのです。当然、職場には障害者が働くためのノウハウも蓄積されておらず、職員の理解も十分とは言えない状況でした。

前例のないルートを切り開いていくことは簡単なことではありません。発達障害の特性を抱えながらフルタイム就労で常勤職員としての業務をこなすだけでも大変なのに、ファーストペンギンの役割まで加わっては、心身に過度な負担がかかるのは明白です。

終業後は疲れ切って、夜間は人が出入りしないフロアの長椅子で2~3時間は横にならないと帰ることすら辛くなりました。幽霊が出そうなほどにしんと静まったフロアは、冬場は特に真っ暗で冷たくて身体に堪えました。
元々飲んでいた抗ADHD薬に加えて、頭痛薬、睡眠薬、抗鬱剤、婦人科系漢方と薬が増えていきました。たくさんの薬を飲むことで辛うじて人間の形を保って働き続ける日々。ついには出勤することもできなくなり休職に至りました。

休職してしばらくは鬱症状が顕著でしたが、数か月も家にこもりきりで休むと心身も徐々に回復に近づいていき、一日の中で活動できる時間も増えていきました。公務員として働き続けるか否か、今後のことも考えるようになりました。

退職は後戻りのできない決断です。

安定した身分を手放すの?
社会的信用なくなるけどいいの?
これからどうやって生きていくの?

自問自答を繰り返しました。精神科医や看護師等の支援者、友人にも相談を重ね、自分なりに熟慮した結果、退職を決めました。

直属の上司と複数回の面談を経たのち、人事部も交えた本格的な退職面談にたどりつきました。
最後まで退職を引き留めようとしてくれていたのは直属の上司です。部下がやめると自分の評価が落ちるから、というよりも本当に私の今後を心配してくれているでした。
「やめてどうするんだ。休職を繰り返しながらでも続けたらいいじゃないか。」と繰り返し伝えてくれました。

人事部は、私の退職の決意が固く、翻せる見込みがないと分かるとヒアリング体勢に変わりました。今後の参考にしたいので障害者雇用のファーストペンギンとして思っていたことを率直に教えてほしい、と。私は職場ではなるべく本音を出さないタイプなのですが、このときは後任の障害者枠職員に役立つならと、オブラートに包みながらも本音を伝えました。

退職届のサインと押印はちょっとドキドキでした。ついに書いてしまった、提出もしてしまった。もう引き返せない実感がわきました。

退職当日。お世話になった方々への挨拶のため、休職して以来一度も顔を出せていなかった所属部署に行きました。

一年数か月ぶりに行く部署。
うつ病になるまで働いた部署。

重い気持ちでした。通い慣れたはずの場所なのに、初めて行く場所よりも緊張しました。引継ぎを十分にできずに休職に入ってしまったので、迷惑をかけてしまった申し訳なさで合わせる顔がないとも思っていました。

気まずいだろうなと思っていたけれど、所属部署の方はただひたすら優しかったです。
小さな可愛らしい菓子箱やハンカチなど、餞別の品まで用意してくれていた人もいました。特に関わりの多かった職員は、忙しい業務の合間を縫って私を職場の出口まで見送ってくれました。

異動で遠方に行っている同期は、「お疲れ様!」とLINEで労いのメッセージをくれました。

障害者雇用に関して言えば民間にかなり遅れをとっている組織ではあるけれど、職員数が多い分いろんな人がいて障害者を歓迎しない人もいるのも事実だけど、トータルで見れば民度もコンプラもかなり高い組織です。恵まれた組織でやっていけなかった自分の不甲斐なさを感じながらも私は自由の身になりました。


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以上が一連の退職レポです。本当に個人的な経験をつらつらと書かせていただきましたが、お読みくださった方、ありがとうございました。

私にとってnoteは自由帳であり、サードプレイスでもあります。今年もお世話になりましたnote民の皆様に感謝です。皆様良いお年をお迎えください。