
上辺ばかりの「ダイバーシティ推進」に疲れた現代人の心を癒してくれる雑草の本を紹介します。 『はずれ者が進化を作る―生き物をめぐる個性の秘密―』(稲垣栄洋)
性別、国籍、文化、信仰、年齢、障害の有無、出身地、セクシュアリティなど、さまざまなバックグラウンドを持った人たちがともに活躍できる社会を目指す―ダイバーシティ(多様性)推進。
組織の社会的責任や倫理が重視される風潮の高まりにより、ダイバーシティを推進する職場が増えています。
とはいえ、LGBTや発達障害などのマイノリティ属性を持ちながら、民間企業や官公庁など複数の組織で働いてきた私個人の体感としては、ダイバーシティ推進が、「社会的責任を果たしていますアピール」「先進的な道徳価値観を持っていますアピール」の手段として使われる面が強く、形だけの取組みになっている実態が否めません。
各組織が「多様な価値観を理解します」とのメッセージを掲げていますが、本当に、本心で多様な価値観を理解するつもりがあるのか。疑問が残ります。
今回はそんな上辺ばかりのダイバーシティ推進に辟易とした現代人の心を癒してくれる本を紹介します。
●紹介する本
『はずれ者が進化をつくるーー生き物をめぐる個性の秘密』(著者:稲垣英洋)(ちくまプリマー新書)
生き物が持つ「多様性」にはどんな意味があるのか。私たち一人ひとりが持つ「個性」にはどんな秘密が隠されているのか。雑草を専門に研究する稲垣先生が解説していきます。
「多様性」を社会学の視点でなく、生物学の視点から見た本と言えるでしょう。
●著者について
著者は雑草をこよなく愛する生物学者。雑草をテーマにした執筆を精力的に行っておられます。
出版物に『雑草の愉快な生きかた』(ちくま文庫)、『たたかう植物 仁義なき生存戦略』(ちくま新書)などがあります。
●こんな人におすすめ
・上辺ばかりの多様性推進に嫌気が差して、もう「多様性」なんて言葉も聞きたくないという人。
→生物学における「多様性」が、真の多様性とは何かを力強く訴えてくれます。新しい視点とともにあなたの多様性アレルギーを少しばかり緩和してくれるかもしれません。
・「ふつう」を求めて疲れはてた人。
→本書は「ふつう」そのものが、人間が勝手につくり出した便利概念に過ぎないことを教えてくれます。
私は幼少期から発達のアンバランスさが顕著で「ふつうになりたい」と泣いたことが数知れずある人間です。
ですが、本書を通して壮大な進化によって生まれた生物多様性の畏怖を感じれば、この時空の人間社会という極めて限局的な場面でしか通用しない「ふつう」なんぞにとらわれることがあほらしくなってきます。
・新書を読みたいけど難解なものは避けたいという人。
→中学生レベルの優しい文章で書かれているので高度な読解力は必要はありません。シュールな絵柄のイラストが豊富なのでゆるゆる楽しく読めます。




●この本を読むとこんな良いことがあります
・人間社会の優劣の物差しから自由になれる
人間社会には、「明るく積極的にコミュニケーションできる人がよい」「五体満足で生まれてくるのがよい」「運動能力は高いほどよい」「年収は高いほどよい」「異性からモテるほうがよい」みたいな優劣の物差しがあります。
優劣の物差しに縛られて劣等感を感じたり苦しくなったりすることってありませんか? 私はすごくあります。
「友人の○○ちゃんは綺麗で気品があって羨ましい(私もそんな女性に生まれたかった)」
「知人の○○さんは理路整然と話すのが得意で羨ましい(私はどれだけ頑張っても支離滅裂になるのに)」
「同僚の○○さんは私より体力があって早朝出勤も残業もこなしてて組織への貢献度が半端ない(私は通常勤務だけでヘトヘトなのに)」
他人が持っている「自分にはないもの」を見ては羨ましくなって、勝手に比べては劣等感を持っていました。
しかしこの本を読み進めれば、そうした優劣の物差しがいかに儚いものであるかを感じます。
知り合いの小柄な男性が嘆いていたことがありました。「身長165センチ以下の男には人権がないんだ」と。
その人が言うには、男は身長が低いと不利な扱いを受けることが多いのだそうです。実際に「自分より背の低い男はムリ」と明言する女性に遭遇したこともあるので、私には知りえない苦労が小柄な男性にはあるのでしょう。
しかし著者が言うには、身体が大きい方が有利とは限らないのが自然界の面白いところなんだそうです。
大きな体は体そのものを維持するのに多くのカロリーを要しますし、何しろ目立ちますから常にライバルに狙われて、戦い続けなければなりません。小さい身体であれば物陰に隠れることができるので生存確率が上がることもあるのです。
この例で私が思い出したのは、コロナウイルスの急拡大によって社会に緊張感が漂っていた2020年春のことです。
ドラックストアの売り切れのマスクの棚、緊急事態宣言の外出自粛でガラガラになった商店街、誤情報の飛び交うSNS、医療崩壊の報道。
当時は未知の感染症として恐れられ、各国で非常事態に陥っていました。
そうした環境下で生存に有利なのは、徹底的にキレイにしないと気が済まない強迫性障害の人や、他人との交流を避ける引きこもりです。通常であれば「社会不適合者」のレッテルを貼られてしまう人々があの時期は紛れもなく強かったのです。
人間社会にある優劣の物差しは絶対的ではありません。今私たちがとらわれている物差しも、限られた環境下で、限られた時代でしか通用しない諸行無常めいたものに過ぎないのです。
・オンリーワンの自分を愛せるようになる
「個性を大切にしよう」とか「ありのままのあなたでいい」なんてよく耳にするけれど、「ホンマかいな😅」って白々しく感じてしまう時ってありますよね。
私は「みんな違って大丈夫」というきれいごとを鵜呑みにして、周囲と違うことを一生懸命やっていたら、周囲がどんどん離れていって「全然大丈夫じゃないやんけ~~~😭」って悲しくなった苦い過去があるのですごく分かります。「出る杭は打たれる」ってことわざの方が真理だったようです。
社会の秩序を保つという点では、為政者や教師などの管理側にとって「扱いにくい」と判断された個性は弾かれてしまいます。
しかし本書を通して生物学的な視点を持てば、そんな個性さえも自然の摂理が生み出した尊いものであることが分かります。
私たち生き物は、行動パターンや能力がバラエティに富むように仕組まれているのです。つまり私たち一人ひとりの個性は、偶然の重なりによって生み出した自然の一部、ひいては壮大な時空と宇宙の一部なのです。
この視点を持ては、世界でオンリーワンの個性を愛せるようになります。
・道端に咲いている雑草が愛おしくなる
本書は著者による雑草愛に溢れています。
誰に求められるわけでもないのに勝手に生えている雑草。足並みをそろえる気などなく各々好きな時期に芽を出す雑草。上に伸びたり、横に伸びたり、根を張って下に伸びたり、伸びなかったりと各々好きに成長する雑草。
何の意思もなく、何の努力もなく、ただ生存している雑草の姿は、複雑に進化しすぎた人間が見失ってしまった「ただ生きる」ということを思い出させてくれます。
本書を読んで、私は「雑草になる会」を企画したくなりました。ピクニックシートを敷いて、河川敷にごろんと寝転がって、光合成しているつもりで空を見上げるのです。降り注ぐ太陽、どこまでも青い空、流れる雲。雑草が見ている光景を味わうことで、雑草に思いを馳せてみようと思いました。
雑草体験まで企画しようとするのは極端かもしれませんが、著者の雑草愛、踏まれても踏まれてもめげない雑草のしなやかさ、フリーダムな在り方に触れれば道端に咲いている雑草もきっと愛おしく思えてくるはずです。