多様性の輪に馴染めなかった人間と、欅坂46『角を曲がる』
欅坂46『角を曲がる』(2019年)
当時グループのメンバーだった平手友梨奈さんのソロ曲です。
この曲は、多様性の輪に馴染めなかった私に寄り添ってくれました。
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私は発達障害の当事者です。
地獄のようだった学童期、病んでいた思春期、試行錯誤を重ねた青年期を経て、「障害を持った人」という肩書きを持って社会に出るようになりました。
「障害を持った人」という肩書きで社会に出たことで、合理的配慮を得られる場面が増えた等のメリットもありましたが、一方でこれまで健常者のふりして生きてきたときにぶつかった壁とは違う、新たな壁にもぶつかるようになりました。
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昨今、社会において「ダイバーシティ」が推進され、その動きは地域や企業にも進んできています。
ダイバーシティは、直訳すると「多様性」。
集団において、年齢、性別、人種、信仰、セクシャリティ、障害の有無など、さまざまな属性の人が存在している状態を指します。
多種多様な人がお互いの違いや個性を受け入れながら共存共栄していきましょうね、という文脈で人権啓発や人材活用の場面でよく使われます。
なんだか輝かしい印象がありますよね。
とはいえ真のダイバーシティというのは一朝一夕になされるものではありません。
私は過去に数年間、「多様性」を謳う人権啓発イベントの運営に携わった経験があります。
そこでは、「どんな少数派も排除してはいけない」という主旨のもと、言葉の定義一つにも活発な議論がなされていました。
メンバー同士で意見がぶつかることも少なくなく、そのたびに建設的な解決に向けて尽力してきました。
真の多様性が簡単に実現できるものじゃないことを、机上の議論では十分に知っているつもりでした。
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いざ自分自身が「障害を持った人」という肩書きで実社会に出てみたとき、見えた景色は違ったものでした。
すんなり多様性の輪に入れてもらえるのは、マジョリティにとって受け入れられやすいマイノリティに限られているのだと感じたのです。
今まで私が関わっていた多様性は、社会の上澄みだったことを知りました。
障害を抱えながら社会の中で生き延びるため、私は「多様性」の枠にすんなり受け入れられるマイノリティ像に適応する道を選びました。
私はもう良い年した大人なのだ、これくらいのことは割り切れるのだ、現実に即してやっていくのだ、と自分に言い聞かせました。
でもそれは一種の過剰適応。
過剰適応は自分の心を少しずつ蝕んでいきました。
私は障害者である以前に、一人の人間であるはずなのに、気付けば人間の部分が『多様性の輪にすんなり受け入れられるマイノリティ像』に侵襲されていきました。
欅坂46『角を曲がる』と出会ったのは、そんなときでした。
何気なく聴いてみたこの曲は、私の胸にとんでもなく刺さりました。
特に刺さった歌詞。
この歌詞は、自分を殺しながら、社会に受け入れられる多様性の輪に入れてもらえる障害者像に過剰適応してきた自分の心情を代弁してくれていました。
何かを孤独に抱えていたときに、ふいに誰かに優しい言葉をかけてもらえたり共感してもらえたりしたら、気持ちが溢れてきそうになる瞬間ってありますよね。
曲を聴きながらそんな状態でした。
この曲に出会えて良かったと心から思います。
(余談)
『角を曲がる』公式MVのコメント欄にこんな投稿があり、私は激しく共感しました。
平手さんは歌を通じてたくさんの人を救ったと思います。
私自身、三十路手前の良い年した大人ですが、平手さんの曲に救われた一人です。
まだ高校生の年齢で、大きなプレッシャーを背負って私たちに楽曲を届けてくれた平手さん。
平手さんの未来が幸多いものであってほしいと願っています。
おしまい。