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反出生主義をリアルで一斉カミングアウトしたレポ



ここ一年ほど、プライベートで反出生主義をオープンにするようになりました。

自分の記録用として公言に至った経緯や周囲の反応を綴ります。


レズビアンや発達障害など、人にすぐには説明しづらい要素を多く持ち、カミングアウトの場数はそれなりに踏んできた身ではありますが、反出生主義を話すのが一番勇気を使いました。



反出生主義のカミングアウト、第1弾から第3弾まであるので、それぞれに分けて書きます。





第1弾は、去年の今頃。

人に初めて反出生主義を話しました。

相手は当時の交際相手。

きっかけとしては、交際相手が私の誕生日を祝いたがるのを何としても阻止したかったこと。

サプライズとかプレゼントとか、そういうことするのを好む人だったんよね。
でも私としては誕生日を祝われるのが本当に苦痛で。
理由は、①自分を産んだ両親に対して色々思うことがあること、②自己肯定感が低く存在を祝われる価値が自分にあると思えないこと、③反出生主義であること、それぞれ1:1:1くらい。

何度も誕生日を祝うのはやめてほしい、特別なことをせず静かに過ごさせてほしいって伝えても交際相手はピンと来ていない様子で。

「うっかりこの子に誕生日を伝えたら強引に祝ってきかねない」と危機感持ったので誕生日を教えずにいたら、交際相手は私の身分証明証の生年月日欄を見ようとしていて。

これはやばいと察して、誕生日は祝って欲しくない理由を説明するに至りました。

理由の①に関しては話すのに苦痛を伴うこと、②に関しては相手を困らせてしまうのが予想ついたことから、③の反出生主義を中心に話しました。

交際相手から返ってきた言葉は・・・「そういう考え方は直してほしい」でした。
あっさり一蹴。

ぴえん。



第二弾は今年の春。

相手は友人のA氏と、知人のB氏。

それぞれ別の機会で会っているときに流れで話すに至りました。


友人A氏は、

「そういう考え方があるんやね。私は主義ってほどのものは持っていないけど、自分に子育てできる気がしないから産む気はないなあ。」

「多分ないけど、万が一私が子供産むことがあったとしたら、そのときは無理に祝わなくていいよ。おめでとうも言わなくていいよ。」

と、

知人B氏は、「そういうの興味ある、もっと話したい。」と言ってくれました。

さらにB氏は、興味の幅が広く深いタイプなのもあって「(賛同するしないは置いといて)そういう話するの好きやわ」と、興味深く聞いてくれたり、反出生に対する自身の感想を熱心に伝えてくれたり、互いに疑問を投げかけあったりと、すごく充実した時間を過ごせました。

A氏・B氏ともに、身構えることなくラフに聞いてくれたのにほっとしました。


カミングアウト第1弾で「そういう考えは直してほしい」とばっさり否定されたこともあって、内心は恐る恐るだったけれど杞憂で済みました。



第三弾は今年の初夏。 

対象は、学生時代から使い馴染んできたTwitterアカウントのフォロワーたち。

第三波のきっかけはいくつかありますが主な理由は、日々の雑感を綴るツールとして使い込んできた場において反出生主義を隠していることが段々面倒になったこと。  

数年をかけて自分の中で少しずつ反出生主義を形成していく中で、いつしか反出生主義は私の中でアイデンティティの一つになりました。
日本人であることや女性であること、レズビアンであること、発達障害であることなどと同様に、自分を形成する要素として大きなウェイトを占めるようになっていきました。

しかし「命の誕生はおめでたい」という社会通念が浸透している中、「命を増やすべきではない」という反出生の考え方は、一般社会でなかなか受け入れられるものではありません。
業務上の場面や同僚付き合いにおいては、多数派の社会通念に沿った対応しないといけないことが度々あり、その窮屈さは「あーーー!正直な本音を出したい!すっきりしたい!!」という欲を加速させていきました。

あとは、日常アカウントと反出生主義をオープンにしているアカウントを使い分けるのが面倒になってきて後者のアカ一本にまとめたくなったこと、その他諸々の出来事が重なり、エイヤッと勢いでカミングアウトのツイートを投稿するに至りました。
数十人への一斉カミングアウトです。

正直今までで一番勇気使った。

フォロワーの中には、リアルでよく会ってたり旅行したりした友人もいます。人生の正念場において支えてくれた友人もいます。長年付かず離れずのほどよさで繋がってきた人も何人かいるし、活動仲間として苦楽を共有した人もいます。

その中には、子供を持つという将来設計を進めている人も少なくなくて、でも反出生主義はそれを否定する思想だから、「ああ、何人かとは疎遠になるかもしれないな。寂しいけどそれはそれで仕方ないな。ここで色んな人と交流できて楽しかったな。」としみじみした気持ちでいました。

反出生主義のカミングアウトって、あらゆるカミングアウトの中でも特殊だと思うんです。

レズビアンであるとか、発達障害であるとかは、誰のことも傷つけない特性だけど、反出生主義は誰かの人生設計を否定する思想じゃないですか。
人によっては、危険思想のようなイメージを抱いたり、自身の「生」や「幸福」までも否定されているように捉えられることもある。

だから怖かった。

でも結果としては、思っていたよりも受け入れられました。

友人知人やフォロワーからもらった言葉をまとめます。


・C氏「自分にはない考えだから読んでて面白い」

・D氏「こういう考え方があるのかと驚いた、でも勉強になった、知れて良かった。」

・E氏「自分の意見と他人の意見は分けて考えているので、何を聞いてもそうなんだーってなる。○○ちゃん(私の名前)本人を知っていて信頼感あるから大丈夫なのかも。」

・F氏「反出生主義、なんとなく分かる気もするわ。子供産むのって親のエゴであることは事実やん?言いづらいから言わないだけで、心の中で同じこと考えている人は結構いると思うんだよね」


ざっくりこんな感じでした。
賛同できるできないは抜きにして、プチ肯定してくれる人、知見が広がったと言ってくれる人もいて、不安は杞憂で済みました。


私の周りには「考え方やバックグラウンドは人それぞれだよね」の感覚を持ち、自分とは異なる価値観も尊重する人が多いのもあって、大丈夫だったのかもしれません。

もしかしたら私が気付いてないだけで、疎遠になった人もいるのかもしれませんが、それはそれでそういうこともあると思っています。

とりあえずカミングアウトできてスッキリしたので良かった。
本音を出せる場所を確保しておくのってほんとに大事だなって改めて思いました。
多数派の社会通念に忖度ばかりしてたら息が詰まるからね。


以上、反出生主義をカミングアウトしたレポでした。

読んでくださった方、ありがとうございました。