発達障害の私の居場所は性風俗の世界でした。
19歳から25歳までおよそ6年半、性風俗の世界でお世話になった。
ある時期は学生をしながら。
ある時期は昼職をしながら。
ある時期は風俗メインで。
発達障害の私の居場所は、性風俗の世界だった。
私は幼少期から目立って落ち着きがなかった。
場にそぐわない言動を繰り返したり、衝動的な行動が多くケガが絶えなかったりと、発達障害の特性が顕著だった。
聴覚の障害も合併しており、聞き落としも著しく多かった。
性風俗の世界には、学生してた19歳のときに飛び込んだ。
最初の頃は接客中、何でこんなことをしているんだろうと自己嫌悪することもあった。それでも慣れるにしたがって、いちいち嫌悪感を持たなくなってきたし、少しずつお客さんに思いやりを持って関われるようになっていったと思う。
自分の心がすり減っていく感覚もあったが、すり減った分誰かの心が豊かになっている、そう考えることで自分を鼓舞できるようになっていった。
性風俗の仕事は、発達障害の自分にもハンデなくやれた。
私は発達障害の影響で、雑音の多い場所が苦痛だったり、複数の情報が同時に入ってくると混乱する特性がある。
風俗の仕事は、静かな個室で一対一で行うものなので発達障害の私にも支障がなかった。
完全個人プレーだし、お店のルールを守ればあとは自由に接客できた。
自分のマイナスだと思っていた部分が、思わぬプラスに働くこともあった。
私は聴覚の障害の影響で、男性の低音域の声が拾いづらい。
接客中、会話が聞きづらくて男性客に自然と密着するようになっていたのだが、それを「積極的にグイグイ来てくれる」とか「恋人感があって良い」と捉えてもらえることが度々あった。
またADHDの特性を「ずっと一緒にいても飽きない」と面白がってくれたり、「天真爛漫さがある」といって気に入ってくれるような物好きなお客さんも一定数いた。
この世界では、頑張れば頑張るほど結果がついてくるのが、怖くもあり面白かった。
風俗の仕事は完全歩合制だ。
風俗店に入れば誰でも稼げるというわけではなく、お店が任せてくれたお客さんを自力でリピーターにしていかないと稼ぎ続けることは難しい。
お客様のリピート率が低かったり、お客様アンケートの結果が悪かったりすると、新規客すらつけてもらえなくなり最終的に稼ぎはゼロになる。
頑張った分稼げるのが面白くて、お店の人から評価されたくて、もっともっとリピート率を上げたくて、がむしゃらに頑張るようになっていった。
自分にやれることを徹底した。
限られた接客時間内で、最大限に密着し、最大限の快感を与えられるようサービスを練っていく。
お客さんから好きになってもらうために、まずは自分がお客さんのことを好きになる努力をする、そのためにお客さんの美点を積極的に見つけるように努める。
「愛おしい」「大好き」と念じながら見つめ触れていく。
どのお客さんのことも最愛の人だと思って接する。
お客様ファイルを作り、細やかな情報をルーズリーフに記録していき次回の接客に生かす。
店用ブログのマメな更新、写メのアップを行い、新規客によるネット指名を増やしたりリピーターの再訪を促進する。
他の女の子から嫌われがちなお客さん、たとえば説教好き・終始無言など難ありで塩接客をされがちな人ほど、至極丁寧に接客すればハマってくれて手堅いリピーターになってくれる傾向にあるので、一層力を入れて接客していた。
私は不器用だし、口下手だし、美人でもないけれど、これだけ商魂逞しくガツガツやっていたら、一定のリピーターがついてくれた。
一度接客したお客様が、指名料を払ってリピートしてくれる度に、大勢いる女の子の中から自分を選んでくれたのが嬉しくて、認められたような気がして、その感覚は、欠如した自己肯定感を一時でも満たしてくれるものがあった。
自分の個性や能力を存分に活かせている充実感もあった。
私は「普通じゃない」とか「劣っている」とか否定されて育ってきたこともあって自己肯定感がすごく乏しく、今まで得られなかったそれをむさぼるように性風俗業にのめりこんでいった。
性風俗の世界に来て、一つ意外だったことがある。
風俗で働く女性は優しい人が多かったのだ。
この業界に来る前は、もっと無愛想だったり、態度の悪い人が多いのかと思っていたけれど、全然そんなことなかった。
中でも指名数ランキング上位を安定してキープしている人たちは皆、細やかな気遣いができ、人柄の良さが伝わってくる素敵な女性ばかりだった。
性風俗で働いている人は、何らかの事情を抱えている人が多い。そのぶん人の弱さや痛みに敏感で、他者を慮るのに長けているのかもしれない。
昼職を始めたときに、夜の世界とのギャップを強く感じたことがある。
休憩時間に職場の人から
「長いこと実家に帰ってないんでしょう、そろそろ帰省した方がいいんじゃないの」
「田舎のご両親はあなたを心配しているでしょう」
など家族の話題に踏み込んでこられることが度々あった。
当たり前のように「家庭は安心できる場所」という前提で話されることに違和感があった。
昼職の人としては、深い意味なく話題を振ってくれていたのだと思う。
そう分かっていてもカルチャーショックはあった。
夜の世界では、目の前の人がどんな事情を抱えているか分からない中、家族というセンシティブな話題に気安く口を出すなど到底考えられないことだったから。
夜の世界はやさしかった。
25歳の秋、昼職に専念するために風俗の仕事を畳んだ。
人に堂々と言える仕事ではないけれど、私にとっては居心地のよい場所だった。
発達障害の自分でも仕事で認めてもらえた。
努力が報われる経験ができた。
この世界で過ごした時間は、今も自分を支えてくれている。