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日本語で発信されるアメリカでの仕事とか生活の事情って①

日本語で発信されるアメリカでの仕事とか生活の事情って、上手くいってる人の話が多いから底辺に近いエリアの話って全然伝わっていないと思う。そもそも、その層にいる人たちは情報を発信しない。だからこそ、今日こそはその辺の現実について書いてみます。

映画や小説で描かれるように、かつては不法滞在や不法就労の状態から、なし崩し的にグリーンカードを取得できた時代もあった。しかし、それはもう昔の話。2001年の同時多発テロ以降、アメリカで合法的に在住するためのビザ取得は非常に厳しくなった。2001年以降にアメリカに渡り、暮らしている人たちは、それだけ高いハードルを乗り越えた人々と言える。そして、2025年のトランプ大統領の再就任によって、このハードルはさらに高くなるかもしれない。

就労ビザを取得し、米国の優良企業で働く日本人は、その厳しいハードルを超えた中でも特に優秀な人たちだ。彼らはSNSでも積極的に発信し、その言葉の影響力も大きい。そのため、日本から見たアメリカの仕事や生活は、彼らの視点を通じて語られることが多い。しかし、アメリカには彼らとはまったく異なる世界で生きている日本人もたくさんいる。社会の底辺に近い場所で、なんとか生き延びている人々も少なくない。

アメリカに渡った日本人の歴史を語り始めると長くなるが、特に戦後、そして1980年代以降に渡米し、そのまま居着いてしまった人たちに思いをはせることが多い。ビザ制度が比較的緩やかだった時代に「なし崩し的に」グリーンカードを取得した、いわゆる「一世」たち。

「アメリカに来れば何かがある」と思い、夢を追い求めてやってくる人は世界中にいる。しかし、すべての移民が経済的な成功を目指しているわけではない。「なんとなくアメリカに来て、なんとなく居着いてしまった」——そんなモラトリアムな移民も少なくないはずだ。

実際、僕自身もそうだった。偶然グリーンカードに当選し、深く考えずにアメリカに渡った。そして、2004年に渡米した僕は、1980年代からタイムスリップしてきたかのような存在だった。20年前に来たモラトリアムな先輩たちとは違い、僕の時代はすでにビザ要件が厳しくなっていた。それでも、留学でもなく、就職でもなく、結婚でもなく、何も決まっていない状態で永住権だけを持ってふらふらしている日本人は、当時ほとんどいなかった。


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