SUP竹生島起源説
スタンドアップ・パドルボード、略してSUPというものがある。立った姿勢のままパドルを漕いで進むボード、ということで、最近はすっかりメジャーになったから、穏やかな海岸や湖などで、またテレビでも見かけることも多いと思う。
手漕ぎボートやカヌーといった「舟」の形でない、サーフボードのような「板」に立って漕ぐ、というのはありそうでなかったスタイルで、遠くからだと足元にボードがあるのがよくわからないから、まるで水面に立っているようで、なかなか見映えがする。
のんびり水上散歩から始めて、サーフィンみたいに波に乗る、リバーカヤックのように川を下る、レースに出てみんなで一緒に必死に漕ぎまくる、ボード上でゆらゆらしながらヨガ、などなど、上達すれば楽しみ方もいろいろだ。とはいえ簡単に見えて案外そうでもないのも確かで、向かい風などの悪条件でも着実に進み、安全に陸地に帰ってこれる体力と技術はぜひとも必要だけど、常吉などは気軽に始めたもののおっさんなのでなかなか身に付かずにいるのだった。
SUPで水面を進む人を初めて間近に見たのはどこだったか、はっきりしない。けれどもこれを見た瞬間の感想はよく憶えている。
「竹生島だ!!」
というもので、いったい何の話かと思われるだろうが、これは以前にどこかで読んだ竹生島の坊さんの話を連想したからだ。
記憶があやふやなので調べなおしてみると「古今著聞集」という、鎌倉時代に書かれた本に載っている小話なのであった。
これは、目についちゃった今昔のおもしろいお話を集めましたよー、みたいな感じの書物で、たくさんの小話がおさめられている。中でも、竹生島の老僧のエピソードは古文のテストなどでよく出てきて一番人気のようだ。解説の記事もたくさん見つかった。
ということで、常吉がここで超訳いたします。タイトルは
「比叡山の僧がこどもたちと一緒に竹生島で老僧の水練を見た話」
内容はこんなである。
比叡山の僧や稚児(寺に留学中のこどもたち。けっこう身分の高い家の子が多かったそうだ)が、団体でお参りのツアーに出かけた。行き先は琵琶湖に浮かぶ竹生島である。
竹生島は由緒深い大きな寺社がある聖地で、今もなおパワスポとして名高い。現在は神社と土産物屋があるだけの無人島だけど、その昔は寺社の関係者がたくさん、この小さな島で暮らしていたのだろう。
さて僧侶と稚児の一行は、険しい比叡のお山を下り、琵琶湖畔にある坂本の町から船に乗って、はるか湖北の竹生島をめざした。ちなみに坂本から竹生島までは直線距離で45kmぐらいある。11里半。かなり長い船旅だ。
無事に竹生島に着いてお参りをすませたところで、こどもたちからこんなリクエストが出てきた。
「ここの坊様たちはみな泳ぎがメッチャうまいらしいで。いっぺん見てみたいなぁ、どうやったら見れるんやろ」
これを聞いた大人たちは、わざわざ使いを立てて竹生島の本部にその要望を届けた。実のところ大人たちも、噂に聞くこの島の僧たちの凄技を見たかったのに違いない。
本部から使いの者が戻ってきてこう報告した。
「おやすいご用だがあいにく今は若い連中が全員出払っていて、ご希望にそえない、えらいすいませんね、とのことでした」
そうかあ、泳ぐ人がいないのならどうしようもない。あきらめて一行は帰りの船に乗り込んだ。少し沖に出たところで、後方から「おーい」と呼ぶ声がする。船上の全員がその方を振り返った。
ぱりりと糊をきかせた色鮮やかな僧衣に高級な袈裟をかけた老僧が、裾をたくしあげて、水面をてくてくと歩いてこちらに近づいてくる。
一同驚愕。
「いやいや、お子さまたちたってのご要望で光栄なことでしたのに、若い者が留守でお見せすることができなくて、我々老僧、みなとっても残念だと思っておるのです。ちゃんと直接伝えてこいって本部から言われましたので、遅まきながらこうしてやってきた次第でした」
老僧はそこまで言うと、くるりときびすを返してすたすたと歩いて戻って行った。
「うわあこりゃえらいもん見たなぁ!」
「世界最高レベルの水練やな!」
と比叡山の一行は深く感じ入りましたとさ。
ふざけた話だが、ほら話なのにいかにも本当らしい、という感じが絶妙だ。
一度断って相手の期待の芽を摘んでから、意表を突いた芸を繰り出せばそのインパクトはいちだんと強い。そしてだらだらしないですぱっと終わる。じつにうまい見せ方で、ついついこのほらの世界に引き込まれてしまう。
しかしいかにほら話であっても、水練の究極は水上歩行にあり、と考えた泳ぎの達人たちの中には、まじめに研究し鍛練した者もあったかもしれない。その拠点は竹生島にあったかも、などと想像もふくらむのだった。
竹生島の老僧だけが到達した「水上を歩く」という経験ができたら、どれほどおもしろいだろう。常吉の中にそうした夢想はずっとあった。たとえばサーフィンができれば、歩くという感じではないけれど近い気分を味わえるかもしれない。ただ腰を落とし横向きに構えた姿勢はちょっと老僧っぽさに欠ける気がする。
しかしサーフィンには「ノーズライディング」という技があり、これは波に乗りつつボード上をトコトコっと歩いて先端に前向きに立つ、というもので、ロングボーダーにとって憧れの大技である。動画もたくさんあって、それらを見ると泡立つ波の上をすいすい歩いているようで、とても老僧っぽく格好良い。
けれどもこの技は何でもないように見えてものすごく高度な技術だと聞く。いずれにしてもサーフィンの習得にはたいそう時間がかかるので、常吉などはそれに取り組み習得するよりも、死ぬ方が先であろう。
ということで、たまたまSUPを見かけた常吉は「これだ、竹生島!」と思った。
ノーズライディングよりはるかに手軽に老僧の境地に至れるのだから、こんなにうれしいことはない。そう思って試してみたら、波のない水面なら、始めて30分もしないで、ほんとうに望み通り水面に立ててしまった。もっとも、ノーズライディングの醍醐味は「前方視界の全てが海」というところにあるそうで、SUPだとそうもいかず、視界の下方にボードの先っぽが見えている。まあ、それはしかし見ないことにすればよい。下を向かずに前を見ろ、とSUPを教わっているあいだ常吉は先生にさんざん言われた。だからそうするのみである。
SUPの起源は60年ぐらい前のハワイ、というのが定説だ。一方、とんでもなくすごい昔、古代ポリネシアに板と棒を使った似たようなものがあった、という記事もネットには見られ、いかにもありそうな話だけれど、これはどこまで信じてよいのかよくわからない。
しかし思うに、要は細長い筏に櫂棒の組み合わせなのだから、世界各地水面があるところ、どこにでもSUPっぽいものはあったのではなかろうか。沖縄のサバニなど、いちおう板というより舟の姿をしているけれど、現代のレース用SUPボードにそっくりである。
だから中世の日本、琵琶湖の竹生島にあっても不思議ではない。
老僧は何食わぬ顔でSUP的なものに乗って、比叡山から来た一行の度肝を抜いて、ほくそ笑んだりしてたのではないかと思うのだ。
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