第9回「食べる」を取り戻す
ラーメンの温度感
ある時、「ラーメンでも食べに行くか」って温度で食うものなんだよな、とあるラジオパーソナリティが話していた。
これは昨今の高級化したこだわりラーメンがグルメとして取り上げられるようになった風潮に対しての発言だったと思うが、僕は妙に共感してしまった。
ラーメンは、とびきりのごちそうじゃなくていい。
十三詣り
おいしいラーメンとして僕の記憶にあるのは、12歳の時に食べたラーメンだ。
なぜピタリと年齢を覚えているかというと、13歳になると神社に詣でるという風習、十三詣りの時に食べたからだ。(早生まれだから当時12歳)
それはとある大きな神社の参道にあった。
町中華、というよりは蕎麦屋に近い古風な日本建築の佇まいの店。
まだ痛風が悪化していなかった祖父の運転で、祖母や母、弟達と行った覚えがある。
神社に到着し、昼飯どうするか、と話していた時に祖父が「そこにある店でラーメンでも食べるか」と言ったのでぞろぞろと入店した。
メニューには支那そば、あるいは中華そばと書いてあり。みんなそれを選んだと思う。
ナルトが入って透き通った醤油スープの古風なラーメン。
実に豊かな香りで、胃が弱く油っこい食事を嫌う母が喜んで食べていたことから、さっぱりしたラーメンだったのだろう。
食にうるさい祖父も文句を言わずに食べていたのも、当時ラーメンを食べ慣れていなかった僕に、これは美味しいラーメンなのだと印象を強めたのかもしれない。
基地としてのラーメン屋
僕が通う大学の周りはラーメン激戦区で、雑誌に載るようなラーメン屋がたくさんあった。
先輩にいろいろ連れて行ってもらったのだが、印象深いのは学生寮から徒歩2、3分のネパール店主がやっている店だ。
大学一年生の時にオープンして、運悪く隣が人気店だったため閑古鳥、苦肉の策で棲み分けのために深夜帯のみ営業するようになったのだが、あまり流行っていなかった。
そこには、寮に住む友人や先輩とゲームをしたり飲んだりした後に「腹減ったな、ラーメンでも食うか」とまさにそんな温度感で深夜2時とか3時とか、今ではありえないような時間にコッテリした豚骨醤油ラーメンを食べに行っていた。
他の客がほとんどおらず、店員もネパール人ということで気安く、自然とそこでの話は、悩み事とか、家族のこととか、普段話さないようなプライベートなことになることが多かった。
その店には大学を卒業してからも、何かしらの理由をつけて訪れている。しかし、悲しいかな、最近は油っこくて消化に難儀するようになった。
あの頃の僕らの基地、帰ってくる場所としてのラーメン屋の記憶である。
ホッと緩和する食べもの
ゴールデン街に24時間営業のラーメン屋がある。
飲み歩いているうちに仲良くなった女性に「シメにラーメンでも食べない?」と誘ってもらって訪れた店だ。
煮干しが効いていておいしいし、その日は冷たい雨の日だったからあったかいラーメンがより嬉しかった。
女性の方など見ずに、丼と向き合い格闘していると、さっきまで張っていた気が緩んだのか、ぽっと「もう9年も彼氏がいないんだよね…」と漏らしていた。
僕はガツンと来る煮干しの香りと、スープをお気に入りのパーカーに飛ばさないように麺を啜ることに集中していたため、「はぁ」と気のない返事をしてしまったが、これが緊張と緩和ってやつだな、と気付いた。
流石に飲み歩き慣れている女性はそこのところを心得ているな、と妙に感心してしまった。
ラーメンでも、の安心感
総じて、僕のラーメンの記憶は「気楽さ」と結びついている。
新入生の時に先輩に連れて行ってもらったラーメン屋や、付き合いたての彼女と入ったラーメン屋の味は正直なところあまり印象に残っていない。きっと緊張していたからだろう。
ラーメンは緩和と、気楽さと、安心感と、相性がいいのだ。