青森ラン(2日目)
起床(朝5時)
ものすごい雨の音で目が覚めた。
時計を見ると朝5時だ。身体は脚から肩から凝りに凝ってバキバキ。
深夜にも何度か館内に響く足音で中途覚醒した記憶がある。おそらくバイクおじさんが煙草を吸いに玄関に出たのだろう。
飯にするかとパンを焼いたりカップ麺にお湯を入れたりしていたら、少し離れたソファで寝ていた同行者が起き出し、ものすごい雨が降っているのを確認しスマートフォンを少しいじって「バスは10時ごろ出ているみたいだな…」と呟いて再び寝た。
僕は朝から元気に冷たい牛乳を飲むと、腹を下し、雨雲レーダーとグーグルマップを確認しながら安静にしていた。
なんとしても今日は自転車で移動したい。
今日は一番の「走りどころ」なのだ。
同行者、起床。
6時半ごろ、雨が弱まっているのに気づき、「おい雨が弱まっているぞ」とやや大きめの声を出して同行者を起こす。
雨装備を持っていないとのことで、昨日夕飯を買った商店でカッパを買ってから出発しようということになる。なんと木村ストア、7時半開店である。
カメムシの住処となっている我々の荷物置き場からロビーに荷物をおろし、そういえばこの宿で予約した自分たちの部屋にいた時間はほんのわずかだったなあと思いながらロビーで着替える。
一応確認したが、荷物内にカメムシは侵入していなかった。
今日は丸一日自転車移動なので、上下サイクルジャージで上にマウンテンパーカー(コロンビアのアウトドライという強力な耐水性を持つやつ)を羽織った。
濡れること前提の日は、乾きやすい服に限る。濡れても雨が上がれば走っている間に乾いてしまうので、いつまでも体温を奪わないし、何より気持ちがいい。洗濯しても(たとえできなくても)干せば一晩で乾くから、翌日着られるし、着ない場合も軽く運べる。
起き出してきたバイクおじさんが自撮りを取りたいというのでノーメイクで映ってやり、見送ってから8時頃チェックアウト。と、行っても宿主はいないので宿泊代はフロントのバーコードからキャッシュレス決済で支払った。
やっとこさ出発
無事カッパを手に入れて出発したが、雨はかなり弱まっていた。
ダラダラとした下り、昨日のトンネルを抜けて、湖沿いの道に出る。
水、澄みまくり。
湖畔の道は濡れてはいたが走りやすく、互いの後輪で巻き上げた水にかかり大声で威嚇しあいながら気持ちよく走る。
途中、林が切れて湖面が見えるところがあり、ガードレール越しに眺めたら透明に澄み渡っていた。
雨が降っていると川や湖は濁るものだと思っていたので、透明で底まで見える湖面にぱちぱちと雨粒が波紋を起こしているのを見ると不思議な感じ。
森へ川へ奥入瀬へ
湖畔の道もすぐに終わり、奥入瀬渓流沿いに道を曲がって入っていく。
川と一緒に森を下っていく、今回の旅のメインディッシュだ。
すぐに空気が変わったことに気付いた。
森は昨日抜けてきたそれよりもグッと暗く、雨も生い茂る樹々が受け止めて直接僕らの身体に当たることはなかった。
路面は依然として濡れていたが、観光道路だからだろう、新しく黒いアスファルトが敷かれていて、その上に水が張っていたので大きな鏡のようだった。
僕らが走る大きな鏡はその身体いっぱいに樹々の緑を写し、世界がすべて緑色に染まったようだった。
渓流は岩を乗り越えるたびに空気をはらんで白く照り映え、緑一色の暗い世界に鮮烈な輝きを加えていた。こんなにも美しく生き生きとした水を見たのはこれがはじめてだった。
没入感、という言葉がぴったりだった。
綺麗な水で作った透明なゼリーの中を泳いでいるような感覚。
潤いに満ちた世界であった。
おそらくこれは音響も影響している。
渓流の流れる音、高いところで聴こえる鳥の鳴き声、ベースのノイズのように鳴っている雨粒が葉を打つ音。
最も近くで聴こえるのは、自分が乗るロードバイクのタイヤが、薄く雨水をまき上げながら、ス―――ッと紙を切るような音、やわらかいゴムがアスファルトに吸い付き、それをまっすぐに剥がすような音。
この音、つまり走行音は、耳からだけではなく、ハンドルからサドルからペダルから伝わる振動としても伝わってくる。
雨の中、車や電車に乗ると外と中の世界が隔たれていて妙に安心感があるが、ずぶ濡れになって走る時の安心感はまた別種であるように思う。
天水で全てがおおわれてピタリとあいだが塞がれてひとつながりになった世界の一部になっている感覚。
自分と自転車はひとつの「走行体」とでも言えるものになり、川の水が流れるように森の中を滑っていく、滑っていく。えもいわれぬ安心感。
奥入瀬には多くの滝がある。
木々の間に視界が開け、白い瀑布が現れると、その方向からさわやかな風が吹き抜ける。その度に立ち止まって眺めた。
人工的な壁のような断崖絶壁を絹糸のように走る滝や、大きなスクリーンのように幅広の滝、何段階かに分かれて流れ落ちる躍動感ある滝など、滝にも多くの種類があり、全く飽きることがない。
ああ、雨予報で迷ったが、自転車で来て良かった、と心の底から思える行程だった。
待ちに待った昼飯 十和田名物を食す
森を抜けて、大きな橋を渡ると小さな集落に出た。
そこに目をつけていた定食屋がある。食堂上高地だ。
駐車場に自転車を停めると、紫陽花が綺麗に咲いていて蜻蛉が飛び回っていた。ちょうどボツボツと大粒の雨が降ってきたので足早に入店。
時計を見るとおよそ10時半。店は10時からやっているが一番乗りであった。
各テーブルにはガスコンロが置いてある。
ここで食べるのは、名物のバラ焼きである。
玉ねぎと牛バラ肉を甘めのタレに絡めて鉄板で焼くきわめて単純な料理だ。
昨晩から食パンとカップ麺しか食べていない我々は、大喜びで肉を食した。
ゆったりカフェ・タイム
食後、ゆっくりと食休みをしている時に、天気予報を見ると、これから一時的に雨が強くなるとのこと。
同行者の提案で、せっかくだから雨宿りがてら近くのビジターセンターにあるという林檎のパイを食べながら優雅なるティータイムとすることに。
奥入瀬渓流館はリニューアルしたてなのかとても綺麗な建物だった。
たくさんおみやげ物も置いてあり、近くの星野リゾートから裕福そうな家族連れが多く訪れていた。
りんごパイと林檎ほうじ茶を楽しんでいると、外は滝のような雨になった。まったく、ついている。命拾いをした。
かわいらしいTシャツがあったので購入した。ムササビのポシェットも可愛かったが、これは使うタイミングがないので見るだけとした。
最も激しい雨を降らせる雲が行ったようなので、我々も先へと進むことに。
まとまった時間休んだので、服はすっかり乾いていたが、外に出て自転車にまたがるころにはまたすっかり濡れていた。
本日最後の難所 急坂ヒルクライム
奥入瀬渓流館から、本日の宿、蔦温泉までの距離は約5㎞。
正直ロードバイクにとってこの距離はあっという間だ。
しかし、ラストの2㎞弱でグネグネとした道を300m一気に登る。
急な坂は前に進まない上に、自分のような重量級の自転車乗りは身に着けたその質量の分余計にエネルギーを支払わなければならない。
でも、実は僕、短くて急な登りは好きなのだ。
踏めるなるべく重めのギアを選択し、ハアハア息を吐きながら立ちこぎ。
膝が痛みだす前に登り切った。
いくら通気性が良いマウンテンパーカーといえども、カッパはカッパ。
まるでサウナスーツ状態で、登り切った時には表裏どっちが雨で濡れているのかわからない状態になった。
無酸素運動で一気に自転車を漕ぐと、ランナーズハイのような状態になり、(僕はたまにアドレナリンでペダルを回す癖がある)登りながら大声で同行者になぞかけをしていた。
「キツい登りとかけて、水戸黄門光圀ととく、その心は?」
「どちらも、いんろー(イン・ロー、印籠)で切り抜けるでしょう!」
※イン・ロー…インナー・ローの略で一番軽いギアのこと
笑いは起きなかった。
宿着。
やっと宿についた。
先の宿とは異なり、今回の宿はかなり奮発した。
青森の山奥の歴史ある秘湯、温泉宿だ。
この宿も例によって深夜テンションで決めた。
近くにアントニオ猪木家の墓があるじゃあないかとさしてプロレスに興味があるわけではないのに、興に乗って予約。
部屋に通されると、まずインセクト・チェックをしたが、今回は馬鹿でかいカメムシ(初日の宿にいたカメムシの3倍くらいの大きさ)が窓に1匹はりついているだけだった。
いい宿は虫までラグジュアリーだ、とかなんとか言いながら紙袋を利用して外に逃がす。さて、部屋も貸し切りになったわけだし、風呂だ風呂。
温泉、良すぎ。
温泉はすごいのひとことだった。
これはぜひ訪れて欲しいとしか言いようがない。
浴場に入ると、天井がものすごい高く、そして全体が落ち着いた色のヒバの木でできていた。
キンキンの水風呂があり、これも実によかった。
筆舌に尽くしがたいとはこのことである。
山奥にこんなにすばらしい施設があることに深い感動を覚えた。
これからの人生で、必ずまたこの湯を訪れようと心に誓う。
蔦沼散策
風呂から上がり、夕飯までだいぶ時間があったので散策に出ることに。
たしかまだ15時台であった。
フロントで長靴を借り、蔦沼へ。
森を抜けて沼に出る道にはキノコがたくさん生えていた。
鬱蒼とした森。鬱蒼って嘘みたいに鬱蒼とした漢字だな。
図解にするとこんな感じ↓
鬱蒼鬱蒼キノコ鬱蒼鬱蒼鬱蒼僕鬱蒼鬱蒼鬱蒼鬱蒼
そんな森を抜けると、きれいな沼に出た。
JRのディスティネーションキャンペーン(大人の休日俱楽部?)のポスター写真に使われたようで、沼をバックに映画『青い山脈』で有名な吉永小百合が写る大判のポスターが宿の廊下に貼ってあった。
僕永小百合はというと、たくさん蜻蛉がいたので追いかけまわして遊んでいた。あと、声が反響して面白かったのでここでも大声を出してみた。
今日はもう自転車に乗らなくていいとなると、力を残す必要がないのでこのように元気いっぱいである。
同行者が元気のないミヤマクワガタを見つけたので、生死の判定をするためじっと動くのを待ってみたが、ゆっくりと上顎を持ち上げて威嚇してきた。
生きててよかった。
沼の奥から霧が降りてきて、何やら薄暗くなったので退散することに。
いい散策であった。
宿、最高。
宿に戻るとウェルカムドリンクとして提供されていたりんごジュースを飲んだが、これがひっくり返るくらいおいしかった。
それからは、相撲を見たり、もう一度温泉に入ったり、文豪ゆかりの図書室で日記をつけたりと自由に過ごした。
夕飯もとんでもなくおいしかった(特に岩魚)
塩焼の岩魚の頭部の匂いを嗅いで「シャネルがこの匂いの香水だしてたな、確か…」とは言いながら舌鼓。何もかもうまかったので全て胃の中に入ってしまい、一枚も写真は残っていません。
青森の地酒も飲んだが、これが美味いのなんの。
旅情もかきたてられ、ああ旅に出てよかったと頬をつたうひとしずく。
(一部表現に脚色を加えています)
ああ、愉快愉快
明日は基本下りなので、チェックアウトの朝10時まで宿でゆっくり過ごせるのだ。
ゴキゲンに就寝。