いま子どもたちに伝えたいこと#02_他人は変えられない
ある学級委員の悩み
4月に新しいクラスがスタートし
連休前後のこのくらいの時期になると
学級委員になったばかりの子からこんな相談を受けることが多かった。
「先生,学級委員になってクラスをちゃんとまとめたいのにみんなが勝手なことばっかりして,全然指示に従ってくれないんです…」
学級委員としての適性
小学校までは
学級委員=担任にとっての良い子
(大人の指示に従える,担任の顔色を読めるなど)
だけで務まっていたのが
中学校になった途端に
急にリーダーシップを求められるようになる。
つまり,教員からのウケがいいだけでは務まらなくなる。
学級委員の役割は
学校行事やクラス全体で活動する場面で
整列や集合の指示を出したり,教員から
「これ,クラス全体に説明しておいてね」
などと頼まれることも多い。
時にはクラス全体に向けて
小言のような耳の痛いことを言わねばならない場面もある。
こういう役割を担うこと=リーダー
と定義するのもどうなんだろうかと思うが,
少なくとも小学校の時と同じ感覚で学級委員の役割を引き受け
自分が声を掛ければクラス全体がすぐ指示に従って動いてくれるだろうと思っている子に人望がなかったりすると
大抵1ヶ月も経った頃には
「こんなはずじゃなかった…自分ばっかり一生懸命頑張って」
と不満を訴えたり,
時には学級委員になったことをきっかけに不登校になる子もいる。
(中学1年の1学期は特に多い)
他人を思い通りにしようとする=不幸の始まり
この手の相談を受けた時
必ず最初にこう言うようにしていた。
「残念だけど,あなたがどんなに頑張ったところで他人は変えられないよ。唯一変えられるのは自分だけだからね。」
すると子どもは一瞬絶望的な表情になる。
私がとっておきの秘策でも授けてくれると「期待」していたからだろう。
そう,この「期待」もよくない(笑)
「相手が自分の期待通りに動いてくれないことは当然のこと」
という至極当たり前のことを受け入れられるまでには結構時間がかかる。
中学生同士のトラブルの大半がここに起因すると言ってもいい。
というか,大人になっても大半の人がここで悩む(笑)
子育ても,夫婦関係も,ありとあらゆる人間関係全般においてそう。
「相手が〇〇してくれないから,自分は不幸なんだ」
と思っている人は,一生不幸でいることを自分で「選択」してる。
幸せになりたいのなら
相手の変化を期待する前にまずは自分が変えられることを考える。
自分の言動,信念や思い込みを手放すこと・・・
それしか方法はないし
そこが変われば実は見える世界が180度変わることもある。
子どもに教えること
他人は変えられない。変えられるのは自分だけ。
もしも誰かに変わって欲しいと切に願うならば,
まずは自分自身が変わるしかない。
学級委員として
クラス全体に規律を守らせたいと思うならば
誰よりもまずは自分が守る。
人は恣意的に自分を動かそうとしてくる人の言葉には敏感になる。
だからこそクラスの仲間が自然と
「学級委員を助けてあげよう」
と思ってくれるまで
ただ己のことをきちんとやるしかない。
一ミリたりとも「クラスのみんなを思い通りに動かそう」
なんて思ってはいけない。
そんなことを思ってやればテコでも動かなくなるのが人の心。
まぁ一生懸命やってみて,それでもダメだったとしても
自分が変わるんだからいいじゃない。
そういうのを「経験」っていうんだよ。
仮にクラス全員が指示通りに動いてくれたとして,
皆はただ自分の意思で動いただけなのに
それを「自分の指示のおかげだ」
なんて勘違いしたまま大人になる方がよっぽど怖いよ。
と今だったら付け加えるかもしれない。