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最近、思い出した出来事がある。

小学校6年生の時。
田舎特有の集団登校をしているときのこと。

わたしは、
その日まで、
たったの一度も
登校中に”前”を向いて歩いたことが無かった。

どういう訳か、
わたしは小学校に入ってからの5年間、
ずーーーーーーーーーーーっと
下を向いて登校していた。



この白線はここで途切れるから
そうしたら次は
このマンホールの上を歩いて
また白線の上をゆく。

この赤い橋は
たまに動物が車にひかれて死んでいるから
足元だけをみて渡る。(軽めのおまじない)

陸橋の前の縁石は
薄暗くて
湿っぽくて
虫がいて気持ち悪いから
ちょっと大回りして通る。

この角はこうやって
最短距離でコーナリングする。

そうやって歩いていたら小学校に着く。

.

これを5年間毎日続けていた。

そう、だから
別に俯いていたわけではなくて
下は下で面白かったから
下を向いて歩いていたわけだ。


そして6年生になった4月。
わたしは登校班の班長になって、
黄色い旗を持って先頭で歩くことになった。

もう6年も歩いた道を
またいつも通り歩くだけの話だが
ちょっとだけ憧れていた
黄色い旗の木の棒の感触と
一番先頭という馴染みのない配列に
わたしは少しだけ緊張していた。

いつもは見送らない母が
なぜかこの日は玄関先まで出てきたりなんかして
余計緊張した。
(こういう時の大人のムーブまじでやめたほうがいい)


そうして歩き始めた時。

初めて通学路を

"前"を向いて歩いた。

心臓がバクバクした。

.

なんだか朝は景色が全体的に白んでいて
もやがかかったような感じ

赤い橋から見える川で
カルガモの親子が泳いでいる

近所のレストランの名前に
カルガモって入ってる理由ってこれか

陸橋からおびただしい量の通勤の車が見える

欄干がかなり錆びついている
ここに積もった雪を傘で落とす奴だったのか、
全校集会で怒られてたの

あんまり話さないけど
親同士が仲いいから
絶妙な距離感を保っているK君も
班長になってる

.

とんでもない量の
5年間遮断していた情報が
一度に目の中に飛び込んできて
6年生になりたてのわたしはくらった。

猛烈に感動して誰かに言いたかったけど
後ろにいる2年生の女の子に言っても
意味がわからないだろうし、
最悪トラウマにもなりかねないし
仮に言うとしてもどう言えばいいのか分からないし
誰にも共有できないから
わたしはただ一人で感動を噛みしめていた。

脳みそがパチパチした。

その日以降、
毎日”前”を向いて歩いた。

それはそれは楽しかった。

そんな選択肢があったなんて!と。

誰に強制されたわけでもなく
全小学生が前向いて歩いている中で
自分が勝手に下向いて歩いて、
あるタイミングで前向いて感動してるわけだけど
目から鱗だった。

勝手に目ん玉に鱗張り付けて
落としてるだけの話だけど、
目から鱗だった。


なんだよ、目から鱗って。
どういう状況?


ま、それはさておき、
当時のわたしは、5年間のロスに狼狽えるでもなく、
ピュアに、ただ全面で喜びを感じていた。


地元の冬はとても厳しくて
寒い雪の中の登校が嫌いだったけど、
冬になると木に雪が積もって木の輪郭がはっきりするから
遠景が近づいたような感覚になることも登校中に知った。
(文字だと伝わらないけど本当にそうだから私の地元まで見に来てほしい)


ということがあって以降、
つい先日までこの出来事を忘れていたのだが
なぜか急に思い出した。

あの晴れ晴れとした気持ちを、
小6の私の低い目線を、
その景色を、
感覚を。

なぜかはわからないが、
書き連ねながら思う。

何かの予兆であってほしい、と。

今、人生の中で一番といえるくらい
心身の健康が危うくて
毎日地底を這っているような感覚で。

そこに対する暗示であってほしい。

最近掴み始めたわたしの傾向として、
自分で勝手に決めたルールや
少し無理してやってしまう行為を
「誰もが当たり前にやっていることだ」
と思いこんで、
全然周りはそんなことないのに
自分自身を苦しめていることがよくある。

細かいの含めたら
すんごい数あるんだと思う。

こういうの、
30歳になるまでに、
すべてを辞められなくても
把握しておけるようになりたいな。


できるかな。

みんなできてるのかな。

とか思っちゃうのが良くないんだよね。

そんなことないよね、
きっとね。


上は向かなくても、前見て歩けてたら
いいよね。



おわり。

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